第10話 ドゥーンとノエルと灰翼の少女


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 それは、王都北方「無言の底沼」で、緊急討伐案件が発生した、と言う情報を俺が得た、その翌日のことだった。


 俺はちょうどその時、もとよりこの部屋に備え付けられていたデスクにかじりつき、手に入れたばかりの情報を、精査しているところだったのだ。


 この討伐案件、どうにも位置・情報・タイミング的に、「都市級」というのは怪しいが、それでも何かしら厄介系の魔獣が生じているのは間違いがない。


 もしもこれが誤報なのだとしても、どちらにせよ王都としては、その時点で集められる最大戦力を召集することになるだろう。

 ゆえに、この情報をどうにかこねくり回せば、「暁」にとっての最大利益と、「黄昏」にとっての最大不利益を引き出すことができるかもしれない。

 そういう「チャンス」の匂いを、俺はこの一件に感じとっていた。


 だがしかし、そのためにはクリアせねばならない、いくつもの障壁が横たわっている。


 何せこちらは、何の実績も成果も持たない、生まれたてホヤホヤの新ギルド。

 色々と無理を通せば、参加ギルドの中に「暁」を滑り込ませることくらいはできそうなものだが、それをして果たして、割りにあう成果を持ち帰ることができるのか、というのは、微妙なところだった。


「やっぱしばらくは下積みだなァ……」


 開拓者の仕事というのは、何も討伐案件だけではない。

 魔獣を駆逐し、安全を確保したなら、その地域周辺の道路整備や、新たな「前線都市」の建造計画が持ち上がる。

 そうなれば、事前調査のための専門家や官僚が視察を行うことは当然の流れであるし、そのようなものたちの護衛・引率にも、「開拓者」という戦闘集団は、便利に使われるものであるのだ。


 実際、無名時代の「黄昏」が一躍脚光を浴びたのも、そのような海千山千の護衛依頼がきっかけだった。

 あの事件は本当に大変だった。気まぐれで「前線の視察に出たい」などと言い出した王族の護衛、と言うだけでも厄ネタだったのだが、まさかそこから予定を大きく超えて三ヶ月以上にもわたる長期任務になるとは、誰も予想できなかった。


 だが、それで「黄昏」というギルドが大きく飛躍したのも確かなことであるし、総じて、人生とは何が起こるかわからない。


 我が「明けずの暁」には、ノエルがいる。

 今のノエルはソファの上で丸くなっていびきをかく猫のような何かだが、ノエルはこう見えて、一流の開拓者であり、武具闘術の達人だ。

 俺のような三流開拓者は、こうして書類とにらめっこし、たまにノエルのつゆ払いをしてやるくらいしか能がないのだが、それでも、これだけの才能を有しているノエルがいるならば、そのうちチャンスは巡ってくるだろうと、そう思っていた。


 その時だった。


「たのもーう!」


そう言いながら、我が「明けずの暁」に与えられた、統括局内事務所(暫定)の扉を、蹴破る勢いで開け放ってきたのは、スカイブルーの髪が特徴的な、翼人の女だった。


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 最近の俺も、昔の俺も、翼人の女を相手にするとろくなことがない。

 だから俺は、不躾に部屋へと入ってきたその女に対しても、最大限の警戒を無意識に傾けていた。


 それは、妙に目に力のある女だった。


 年齢のほどは十五、六。軍服にも似た膝丈ワンピースと、腰には細剣。そしてその背には、大きく突き出た、一対の翼がついている。


 灰色の翼それ自体は、翼人としてはありふれたものだ。「黄昏」のメンバーの中にも確か二、三人くらいはいたはずだし、「前線都市」で日がな一日空を見上げていれば、おそらく両手の指では足りないくらいは、その姿を目撃することができる。


 だが俺は、彼女の翼に、正体のわからぬ違和感を感じ取っていた。


 灰色の翼。よくあるもの。本当にそうだろうか。仔細のわからない違和感ほど気持ちの悪いものはない。猫撫で声でトワイに擦り寄るマティーファくらいには気持ちが悪い。否、それは勝負にならない。無論マティーファの方が気持ち悪い。否そうではない。マティーファの気持ち悪さは本物だが、そうではない。


 そう、これは違和感というよりは、既視感だ。かつてどこかで見たもの。かつでどこかで感じたもの。

 というか、


「……幻視香、か……? しかもその調合は……」


「お、初見で気づきおったか。さすがというか、お主が作ったんじゃから当たり前と言えば当たり前なのか」


 少女は、妙な言葉遣いでこちらの言葉を肯定する。


 そして、気づいた。


 だから俺は、ノエルを止めることをしなかった。


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 翼人の女の隣には、彼女本人がたった今開けたばかりの、内開きの扉がある。


 次の瞬間だった。


 扉そのものと、その周囲の壁と、事務所がある統括局四階北廊下、及びそこに面した幾枚かの窓ガラス。


 その全てが、ノエルの大剣の威力で、外側へと吹き飛んだ。


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 ノエルが大剣を構え、床を蹴り、すると大音と豪風が部屋の中を駆け抜けて、その全てが威力に変じた。


 ノエルという名の暴走列車は、勢いと運動エネルギーと暴力の塊となって、統括局の四階から、その外の宙へと、全てを掻っ攫いながら飛び出していく。

 そのコースの途中には、当然あの翼人がいた。

 無論、衝突コースだ。

 普通であれば、普通の翼人であれば、その勢いに引っ掛けられるだけでも、致命の傷を負ってしまうことは、避けられないほどの暴風だ。


 俺はノエルが残した傷跡を辿るように駆け出し、統括局四階廊下に開いた大穴から、外を見た。


 その先にはあるのは、統括局裏手、憲兵局が誇る大規模演習場だ。

 ノエルが吹き飛ばした建材や破片の多くは、演習場に落下し、わずかにいた憲兵局員たちが、何事かと空を見上げているのが見えた。


 その視線の先、空中には、宙で睨み合い、互いの得物で鍔迫り合いを演じている、ふたりの少女の姿があった。


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 翼を振るい、宙に身を固定し、細剣をもってノエルの大剣を受け止めていたのは、無論のこと、例の翼人の少女だ。


「く、は! なんと愉快! いきなりドカンとかちょっと頭おかしいんじゃなかろうか貴様!」


「うるさい聞かない応じない! それでいいんだよね! アニキ!」


「当たり前ェーだ! ぶっ飛ばせ! 骨も残すンじゃねェぞ!」


「がってんだ!」


 俺が気付き、ノエルが気付き、それがゆえにこの展開を是としたもの。


 それは、翼人の女が右耳につけていた、鷹の意匠をもったピアスだった。


 鷹は、少なくともこの大陸ではみられなくなった絶滅動物の一種だ。

 否、どこかには生き残っているのかもしれないが、領土のほとんどをいっとき「虚構領域」に飲み込まれたがゆえ、その生存を確かめる術は、今の人類にはない。


 ゆえにそれは、ある一族を象徴する意匠として、この国では有名なものだったのだ。


「あんたたちは普段、それ見せりゃあ最高のVIP待遇でおもてなしされてンのかもしれねェけどなァ! 俺たちにとっちゃそんなモン、不吉の象徴でしかねェんだよ! 面倒も厄介ごとも、全部ゴメンだ! どうしてあんたがその『香』を持ってンのかはしらねェが……」


 俺は親指を立て、それを下に向け、翼人に対するものとして最大級とされる侮蔑のジェスチャーを、少女へと見せた。


「適度に怪我してお帰りいただく……! 帰りの交通費がねェなら交番は目抜き通りの真ん中にあるので後でノエルが案内を」


「アニキアニキ! 今なんか最高速で日和ってない!?」


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 ノエルが剣を振り、その軌跡を見切ったような華麗さで、翼人の女が翼を振る。


 すると互いの位置がダンスをするかのように入れ替わり、ターンを踏んだノエルが、続け様の一撃を放った。


 ノエルの足元は、見えない「何か」で固定されている。


 闘気使いの間では「残滓」と呼ばれるもので、術師の間では「エアフロー」と呼ばれるものだ。


 だがノエルは、純粋な武具闘術師。どうしてそれが使えるのかと言うと、


「お主、戦種は武具闘術師じゃろう! どうしてわらわと同等以上に宙で立ち回れるんじゃ!」


「はぁ!? 知らないの!? 女の子はね、恋をすればふわふわと宙に浮くような気持ちになるんだよ!」


「理解できないわらわ、もしかしたら女の子じゃなかったかもしれん!」


 そこはさすがに自信をもってもらいたいが、なんとなく気持ちはわかる。


 そうこうしている間にも、ノエルと翼人、互いの攻撃は、高速で交わされ続けていた。


 ノエルの得物は、大剣、「老骨白亜」。

 対する翼人の得物は、叩けば壊れてしまいそうなくらい華奢な身を晒した、銀色の細剣だ。


 ノエルが剣を振り、翼人がそれをかわす。

 あくまで「宙に足場を作る」だけのノエルの戦い方に比べ、翼人のそれは、翼を最大限に用いた、立体的な軌道を描くものだ。

 互いが動き、位置が変わるたび、翼人は積極的にノエルの死角をとりにいき、しかし、


「あまぁい!」


 立体的な軌道をつくり、宙で天地を返す翼人を追うように、ノエルの大剣が軌跡を作った。

 剣の重みをまるで感じない挙動で、しかし確かに存在する鉄の質量が、踊るように飛び回る翼人の胴体に迫る。


 打った。


 しかしそれは、鉄の響きを伴った。


 翼人が持つ細剣だ。


 普通にノエルの大剣を受け止めたなら、サイズで劣る細剣は、粉々に砕け散る。

 だから翼人は、ノエルの大剣の軌道に対し、細剣を添えるにとどめ、


「!」


 まるで巨大なうちわを振るうようにして、己が翼を稼働させた。


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 翼人に迫る大剣が細剣の上を滑り、それと同時、局所的な台風が生じた。


 受け止めることはかなわない。弾いて逸らすことも、できるかもしれないが、ちょっとノエル相手では確度が低い。

 だから翼人が選択したのは、翼を用い、受け逸らしと回避の挙動を高度に連動させ、逆さのまま己の体を回転させることだった。


「ぶ、……わ!?」


 大剣の軌道に突如として生じた台風に、虚を突かれたノエルが、腕の力を一瞬、取りこぼす。


 武具闘術とは、要は己の力と技術だけで武器と一体化し、その想定スペックを最大限引き出す戦闘法だ。

 闘気や術式と違い、才能がなくとも会得可能で、多くの戦場で役割を得られるため、特に人間種の開拓者に好まれる。


 だが今、ノエルは高度に繋がった武器と己の連動を、一時、風によって崩された。


 天地を逆さにした状態で翼人が回転し、その暴風に、剣の先端と勢いを、飲み込まれたからだ。


 そうして危機を脱した翼人は、回転の中にあっても鈍ることのない、力ある視線を、位置的に下となったノエルへと送り、


「──」


 風の中、突風のような鋭さを持った刺突が、ノエルへと迫った。


 》


 大振りをスカされ、宙で身を崩したノエルは、自分へ迫る剣閃への対処を迫られた。


 先ほど渾身の攻撃を見舞い、相手を試したのはノエルだったが、今度はその立場が、逆になったというわけだ。


 ノエルは、迫る切っ先を見つめた。


 剣を引き戻すことは間に合わない。

 普段ノエルは、このような刺突は、肩と胴に仕込んだ鉄板で、受けるか逸らすかするのだが、体勢的にもタイミング的にも、その「いつもの対処」は、無理があるように感じた。


 翼人の狙いは、ノエルの喉元、その一点。

 体の振りで避けようにも、いずれにせよ体のどこかには当たる。そのような狙いを感じる一撃だった。


 殺意と戦闘の高揚を含んだ剣閃が、確かに迫り、ノエルは、


「──嘘じゃろう!?」


 翼人が放った刺突の先端を、己が上下の前歯に挟んで、受け止めた。


 》


 できるかできないか、で言うならやれるだろう。ノエルは、それほどの武具闘術師だ。

 しかしそれが実際になされたとあれば、翼人も俺も、驚愕するほかない。その光景は、それほどの衝撃的なものだった。


 ノエルが剣の先端をくわえたまま、口の端から唾液をこぼしつつ、声を放つ。


「おえーーーーーっ! あんあおえあっていあえおおえーーーーーっ!」


 わからんが、何か抗議をしているようだ。しかし思うに、


「そ、それはわらわのセリフじゃて! なんじゃそれ! どういう歯ぁしとるんじゃ! びっくりしすぎて卵産みそうになったわ!」


 翼人て別に卵生じゃなかったはずだが、彼女は違うのだろうか。


 翼人が剣を引くと、意外にも素直にノエルは口を離し、両者の間にしばしの距離が生まれた。


「いってー……唇切った。ちょっとあんた、それズルくない? ハンデ強いよ。翼もぎ取ってその辺おいてから、仕切り直ししない?」


「その理論で言うならわらわはお主の歯ぁ全部引っこ抜くことを要求したいところなのじゃが」


 交渉が決裂したので、また両者が剣を交わし始めた。


 ノエルが打ち、翼人がかわし、互いの位置が入れ替わり、上下と左右すらごちゃ混ぜにしながら、鉄の音が無数に生じる。


 基本的な流れは先ほどと同じだが、今度はそれに、翼人の方が翼を用いた「崩し」を入れ始めた。


 翼人が時折、ノエルの剣を大きく避け、その際、強く振った翼の一撃を置いていく。

 当然ノエルの武具闘術は、その程度では崩されないが、それでも空中戦における有利は、明らかに翼人にあるように見えた。


 ノエルの剣は、次第に翼人を追うだけのようなものになっていき、対する細剣の一撃は、鋭さを増していく。


 重さがあるゆえ、強い踏み込みを必要とするノエルの大剣は、自由自在を体現したかのような翼人の剣術に、置いていかれ始めているように見えたのだ


「……ぬう」


 当然俺は、ノエルが負けるとは思っていない。


 だがそれは、あの翼人があくまで真っ向勝負を演じてきた時の場合だ。

 幻視香を用い、誇るべき己の翼の色を隠すような真似をする輩に、そのような期待は寄せられない。


 俺は、統括局四階に開いた大穴から外へと身を翻し、地上に降り立った。


 走る。


 ノエルと翼人が起こす鉄音と風の響きが、より一層、強さを増していっていた。

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