第6話 ドゥーンとギルド結成審査


 》


「よ……っし」


 腕の腱をのばし、脚の関節に力をこめ、ブーツの紐が固く結ばれていることを確認した俺は、正面の荒野に目を向ける。


 それは、荒涼、と言っていい土地だった。


 風が巻き上げるものは、砂と乾いた何かの残骸のみ。

 陽光は砂まじりの大気によって半ば遮られ、土と岩、あるいはそれらを構成物としてもつ丘と山だけが、はるか先の地平線まで続いてる。


 もしも人間全てが魔獣に駆逐され、絶滅の憂き目にあったとしたら、100年後には、世界中がこのような死地に変貌してしまうのだろう。

 そのような、しなくてもいい想像を、否応なく強制させてくるような、そんな風景だった。


 俺の隣から、声が響いた。


「えー、はい。ではですね、これより、ドゥーン・ザッハークさまを筆頭とした新たなギルドのですね、えー、はい。結成審査をですね、始めさせていただこうと思います」


 声を放ったのは、いかにもマニュアル人間と言った風体の、メガネをかけたローブ姿の年若い役人だ。

 話を聞く限りでは、去年試験に受かり、配属されたばかりの新人だということだった。

 これまで主に、事務仕事を担当してきたが、将来の幹部候補だとのこともあり、経験を積ませるという名目で、今回の試験官に選ばれたらしい。


 神経質そうな試験官、そのメガネの奥にある瞳を見ながら、俺は言う。


「運がいいなァ、アンタ。将来のランカーギルドの、その結成に関われるなンてよ。もしもこの試験に受かったら、そのままアンタが俺たちの担当官になるんだろ?」


「え、えー、そうですね。そのようになります。局長とアリシアさんからも、今回誰があなた方の担当をするのか、という話になった際、間髪入れずに『お前いけ』となりまして。これは期待を寄せられているのだと、より一層気を引き締めてまいりたい所存です。どうして死亡保険の加入状況をきかれたのかは謎ですが」


 まあ、「前線」より北側の土地は、たとえ討伐が完了していても危険だからな。そういう確認もあるだろう。


「アニキ、アニキ」


 と、俺がそのような確認項目を、試験官と話し合っていたとき、横で暇そうにストレッチをしていたノエルが、小声でこちらへと話しかけてきた。


「どうした、ノエル。飴ちゃんか? 保存食ならあるぞ。原材料のわかンねェやつ」


「それは道中たくさん食べたよ! いや、そうじゃなくて……」


 ノエルは試験官の方を横目で示し、


「あの人、メガネがダッサいからわかりづらいけど……結構なイケメンでは?」


 と、ノエルはそのようなことを、蘭々と輝く瞳で、報告してきた。


「ンー……いや、マジでメガネがダッサくてよくわかんねェなァ……つうかお前も好きだなァ」


「イケメン嫌いな女子とかいないんだよ!? メガネがダッサいのも事と次第によっては高ポイントだしね!」


「メガネダッサいことが加算になることなンてあンのか……深いな……」


「あなた方、えー、ダッサいダッサい言い過ぎでは?」


 それはそうである。


 俺とノエル、試験官の三人が、新たなギルドの結成審査のため、転移門と電動馬車を駆って、やってきた場所。それは、「ブルーフレア」より北西に数百キロ以上も離れた場所ある、ほんのひと月前まで、「都市級」の大魔獣が支配していた土地だった。


 ギルドの結成には、当然ながらいくつかの条件と、申請しなければならない要項がいくつもある。

 その中のほとんどは、想像通り俺の追放を聞いて大爆笑をかましてくれた局長に便宜を強制させることでクリアできたが、それでも、通過しなければならない審査が、数点残されていた。


 そのうちのひとつが、解決能力審査であった。


 難しく言っているが、つまりは作ろうとしているギルドが、「ギルドとして成立しているかどうか」ということだ。

 一定数以上の魔獣を駆逐できるか。一定等級以上の魔獣を撃破できるか。他、必要であれば一般人の非難誘導や、救助任務を請け負うこともある「ギルド」という集団単位に、新しくギルドを結成しようとしているものたちが、足り得ているのかどうか、などを、総合的に審査する項目なのだ。


 その条件に当てはまり、国が求める任務をこなすことができるのであれば、究極ただひとりのメンバーしかいないギルドであっても、「ギルド」という単位は成立する。

 無論、そのようなギルドがその先、与えられた任務をこなしていくことができるか、というのは別問題だが、俺たちのような、ただふたりしかいないギルドであっても、テストさえクリアすれば、国の認可を得ることはできる、ということだ。


 そうして俺たちが連れてこられたのが、この荒野なのだった。


 》


 俺たちのギルドの審査に、この荒野が選ばれたのは、理由があった。


 通常、ボス魔獣が撃破されたあとの土地は、年単位での残党討伐が実施された上で、人間の領域として認められる。

 それを繰り返し、前線を北上させても問題ない、との判断がなされれば、「ブルーフレア」のような前線都市が、都市ごと移動を開始するのだ。

 前線が移動したもっとも最近の例は、五年前。「ブルーフレア」が今の場所に移されてきたのも、その時の前線移動に伴ってのことだった。


 ゆえに、この荒野に関しても、通常であれば、これから先は地道な掃討作戦の対象になっていくはずだった。


 はずだった、のだが──。


「えー、記録によればですね、こちらの土地、『大魔獣』撃破時は、森だった、とのことで」


「……俺もそう聞いてたンだがなァ」


「私は知らなかった!」


 なら言うな。いやそんなことはどうでもいい。


 目の前に広がるものは、どう見ても荒野である。報告書に、誤字なり認識の差異なりあったとしても、森が荒野にはならないだろう。

 だがしかし実際に「そう」なったのだとすれば、その原因として考えられるのは、ただひとつだ。


「まあ、そんな自然現象もあるよね」


 違う。


「新しい大魔獣が、ここら一帯に根を張っちまった、ってのが、一番ありえる可能性だな」


 》


 虚構領域に住まう魔獣たちの大半は、100年前の「聖魔戦争」時、異世界から送られてきた、超常生物たちなのだという。

 ゆえにそれらに、人間の常識の一切は通用せず、「あらゆること」の想定が、開拓者には必要になってくる。


 そしてこれは、そんな起こりうる「あらゆること」の中でも、比較的ポピュラーな現象であった。

 環境の書き換え、である。


「手段はともかく、その理論の一切が不明。えー、記録によればですね、大魔獣の発生など、過去幾度か同じことが起こった際には、同じように、えー、著しい環境の変容が、行われていたそうです」


「……知ってンよ。俺の地元でも、似たようなことがあった」


 だが、これが魔獣の存在に端を発していることは、おそらく間違いない。

 というより、それ以外に説明がつかない、というのが、実のところだ。


「しかしながらですね、それは、あくまでもいくつかの可能性のひとつに過ぎない、というのがですね、えー、統括局としての見解です。森が荒野になる、というのは、雪山が大海になる、ということよりはあり得る、と、そのような理論で」


 試験官は、「まあ個人的にはそんなわけねーだろとも思っているのですが」と前置きして、


「えー、ええ。果たしてこの森は、実際に一夜にして焼き払われたのか? それとも、本当に『大魔獣』による環境書き換えがあったのか? そのあたりの解明が、今回、おふたりのギルド結成に際し課せられた、課題、ということになります、はい」


 そう言って、言葉を結んだ。


「……どれにしたって厄介系の魔獣案件じゃねェのか、それ」


「おそらくですね、局長によるあなたへの嫌がらせも含んでいるのではないかと、はい」


 有り得そうなのがまた嫌だ。


 しかし、実際に森が荒野になっている以上、「開拓者」の端くれとしても、調査をしないわけにはいかない。

 その結果が新たな「大魔獣」の発生ともなれば、流石に対処のしようがないが、第一発見者にでもなってしまえば、俺たちのギルドに与えられる貢献ポイントは、相当なものになる。


 俺を追い出した、「暮れずの黄昏」へと追いつくためには、そういったスタートダッシュは、正直ありがたい。


「ただなァ……」


「? 何か、問題がありますですか?」


 荒野向こうの地平線を眺めながら放たれる俺の言葉に、試験官が疑問の声を発した。


 俺の正面。北西側へと、無限に広がっているのではないかと思うほどの、ある種勇壮な大自然を前に、俺はその事実を口にする。


「いやァな、まァ、さくっと調査終わらせて、さくっと貢献度だけいただいてさっさとギルド作って、色々と準備を始めよう、と、そう思ってたンだけども」


「ギルドの結成に臨む申請者の九割が書類審査で落とされる、というのを、えー、ご存知の上でそれ言ってらっしゃる?」


 無論存じ上げている。いやそんなことはどうでもいい。


「実際に来てみてわかったことなンだがな? ……これ、超絶面倒案件だな」


 そう言った瞬間であった。


「!」


 会話を交わしていた俺と試験官の背後、電動馬車の荷台から、愛用の大剣を取り出していたノエルが、唐突に鋭い気配を、荒野側へと発した。


「ひっ……!」


 剥き身の刃のような圧をまともに受けた試験官が声を上げ、荒野ではなく、ノエルへと向けて恐れの視線を送る。


「試験官さんよ、大丈夫だ。猫とおンなじだ。いきなり速く動いたりしなけりゃ襲ってこない。生魚は持ってるか? なければマタタビでもいいが」


「ま、マジ猫と同じ対応で大丈夫なので!?」


 大丈夫なこともあるし、ダメなこともある。


 ともあれ、荒野だ。


 そちら、ノエルが殺気を放った向こう。茶色と薄茶色と焦げ茶色だけで構成された、荒涼とした大地に、いくつもの気配が湧き出てきた。


 あるものは地面から。あるものは丘の向こうから。

 あるものは岩場の陰から、あるものは風の隙間から、あるものは瞬きの合間にいつの間にか居て、あるものは本当に何もない空間から。

 それらは、たった今そこに生じたかのようにして、その数を増やしていく。


 今や数百をも超えて、荒野の見える範囲を全て覆い尽くすほどにまで増えた魔獣。その見た目は、狼に近いものだ。

 しかしその姿は、薄めすぎた黒の絵の具で描かれたかのように、景色を透かしつつ曖昧で、一体一体の体長は、悠に二メートルをくだらない。


「中等魔獣──シャドーヒポポタマス」


「ど、どう見ても狼ですけれど!?」


「──の、近似種だろう。多分、おそらく。近くはあるはず」


「あなた割とベテランだと聞いていたのですが!」


 いや魔獣って種類いすぎてわからないんだって。むしろ近いのを知ってるあたり褒められて然るべきだぞ。


「こいつら多分、群れをなして魔力を拡散、縄張りを構成していく、結界系の魔獣だ」


「魔獣が……結界形成を?」


「現状の開拓者の戦種は、大体魔獣の能力を元に分けられたモンだぞ」


 開拓者が使う結界形成は、主に「閉じ込める」ことと「分け隔てる」ことに特化する。

 対し、魔獣が使う結界は、群れや超大型の魔獣が、自らが暮らしやすい環境を整えるために使われるのだ。


 過去に例がある、大魔獣による環境改変もその一種だ。

 しかし今回の場合は、そういった先例のある案件とは、少々事情が異なっている。


「この魔獣の結界効果は、周囲に魔力を満たして幻覚を作り出し、獲物を困惑させんとする狩猟本能によるモン、だ。つまり──森が荒野に変容した異常現象の正体は、こいつらの存在で間違いねェ」


 要は、である。


「大魔獣なんていやしねェ。こいつらはただの残党で、今回のギルド結成審査は、こいつらの討伐をもって、上に判断されるだろーよ」


 だが、


「こいつら相手じゃ、大魔獣ほどの貢献度は得られねェ。それでいて、この程度の魔獣相手に逃げ出すなんて、審査的にありえねェンだから、こいつらは俺たちで殲滅する必要がある」


 ある、のだが、


「……この数の魔獣討伐なンて……三日仕事だろ。貧乏くじにも程がある」


 》


 しかしやはり、やる以外に選択肢はないのだから、本当に嫌になる。


「さ、て。ノエルよ。わかっていると思うが」


「アイヨっ」


 心構え的にも装備的にも、戦闘態勢を整えたノエルが、試験官と入れ替え代わりに俺の隣へとやってきた。


 その横顔を確認して、俺は言う。


「俺はこれでベテランの開拓者だが、実のところ、ろくに戦えない」


「いつも通りだね!」


「だからノエル、基本的に襲ってきた魔獣の処理は、お前の仕事だ」


「いつも通りだね!」


「俺も戦うには戦うが、仕事量としては……そうだな、お前の二十分の一がいいところだろう」


「いつも通りってことだね!」


 そちらこそいつも通り快活なのは、さすがと言ったところか。


「他に確認したいことはあるか?」


「ない!」


「そうか。じゃあ……」


 俺は、腰に刷いてきた、トワイから渡された黒剣の柄に手をかける。

 あいつの説明不足もあり、この剣に関する詳細は未だ不明だ。

 魔力を少し通しはしてみたが、「加護」が発動する気配もなく、やはりただの大量生産品と言うのが、正直な印象だ。


 やはりこれは、トワイから俺への、正直な評価の結果、だということなのだろうか。

 もはや決別を果たした、「暮れずの黄昏」。そのギルドマスターである、「最新の英雄」トワイライト・レイド。


 その存在に想いを馳せ、しかしそれらがもはや戻れぬ場所であることを思い出し、


 ……。


 俺は、手にした剣を、正面に掲げた。


「──この場所が、俺たちの、」


「レッツスタートだァ!」


 そう言ってノエルは、ちょっと良いことを言おうとして腕を振り上げていた、俺の動作の一切を無視し、猪のような勢いで走り出した。


「……」


 俺も走り出した。

 目の前の荒野、そこに殺到する、狼の群れへと向けて。

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