第3話 ドゥーン・ザッハークとノエル・ザッハーク


 》


 俺は、「黄昏」にあてがわれた館を出たあと、「ブルーフレア」の中心部に位置する、ある建物へと向かい歩き出した。

 その目的地は、大陸の開拓事業をお上側から管理・監督する、「開拓事業者統括局」──要は、ギルド周りのあらゆる情報・手続きを担当する、俗に「お役所」と呼ばれている場所だ。


 いかに理不尽にギルドを脱退させられたものであっても、大陸第四位のギルドともなれば、人員の増減を報告しないわけにはいかない。

 そのあたりは俺の後を引き継ぐ事務官か、あるいはマティーファ自らが後で届け出をするのであろうが、あることないこと吹き込まれて、失職手当てにケチがつけられでもすれば、たまったものではないのだ。


 おそらく、受付のアリシアや局長あたりは、喜色全開でこちらを指差しながら「ざまぁーーーー!」とするのであろう。しかし、恥ひとつで問題ひとつ、解決するのであれば問題はない。

 極端に癪に触ることでもあったなら、一発殴るくらいは許されることだろうしな。

 アリシアはあれで一応多分生物学的には女性なので、拳ではなく、秘技・下着抜きくらいが妥当であろうか。


 俺が歩くブルーフレアの目抜き通りで感じる春の陽気は、もはや夏の訪れをすら強く感じさせていた。

 それは、都市の北に鎮座する「鉄血山脈」が放つ、超然的なまでの威容に比べると、まるで天国と地獄を境界で分けたかのようだった。


 先ほどまでいた館の内部、マティーファとでくわした廊下では、俺はそんな暖かな季節感を感じることすらできなかった。

 心の余裕がなかったからだ。

 それが今、数十分もたたないうちに、またこの陽気を謳歌できるようになっているのは、俺の生来の図太さゆえか、あるいはそれほどまでに今日の気候が穏やかであるからか。


 だがどちらにせよ、


 ……たとえセクハラ疑惑を払拭できたとしても、俺はもうアソコにはいられねェな。


 トワイの裏切り。ノエルの結婚。波濤するように訪れたいくつかの事態は、俺の精神に決して小さくない影を落としていた。


「……さっさと行くか」


 いつの間にか、統括局へと赴く足取りが、ブルーフレア目抜き通りの片端で、ゆるゆると遅くなっていることに、俺は気がついた。


 と、その時だった。


「アーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー……」


 聞き覚えのある声が、空から降ってきた。


 都市「ブルーフレア」は、突貫建築でなされた街であるとはいえ、前線都市群の中では指折りの規模を誇り、またこの位置に居を構えてから、もう五年もの時がたつ。


 ゆえにその景観にはすでに一種の生活感が生まれており、ここが戦いのための前線都市だという雰囲気は、もはや薄い。

 人も建物も流通も、この都市が魔獣討伐の「最前線」であることを良い意味で「忘れ」、この場所、この土地に、根付き始めているのだ。


 とはいえ、だ。


 この街の基礎となる建築は、やはり突貫によるものだ。

 魔獣の侵入を防いでいた濠の向こう、残党討伐が終了した区域に、新たな建物が次々建てられてはいるが、それでも建築においての優先事項は「速度」と「堅牢さ」である。

 つまり、見た目、および手間のかかる装飾・追加機能は、基本的に二の次なのだ。


 要は、この街には「高さ」がないのだった。

 普通は平屋、あっても二階建て。例外となるのは、それこそ大規模ギルドの拠点や、王都各種省庁の直轄である公共機関だけであろう。


 だからこそ、これはおかしい。高層建築の上部から飛び降りるのでもなければ、頭上から声が降ってくることなど、あり得てはいけないのだ。


 例外は、それこそ──。


「ーーーーーーーァァァァニキぃぃぃぃぃぃいいいいい!!!」


 叫び。その後ろの方はもはや裏返り、ビブラートをまじえながらどうしてか涙声になっていた。


「アニキぃぃーーーーーーーーー!!!」


 俺は声に反応し、頭上を見上げた。


 こちらを兄と呼び、周囲をはばかることなく叫び声をあげ、そして意味もなく高い場所から降ってくる。


 誰が見間違えようか、その愛らしい姿を。


 我が最愛の妹、ノエル・ザッハークが、太陽を背にしながらこちらへと降ってきていた。


 》


「どりゃっしゃあーーーーーーー!」


 ともすれば攻撃の意思すら感じる声をあげ、ノエルの小柄な体が、俺の上半身に飛びついて──否、衝突してきた。


「アニギアニギアニギアニギぃぃぃぃーーーー! ドボじげがだジバでボいでグボボボボボボーーーー!」


 人語かどうか怪しいが、どうやら泣き叫んでいるらしいことはわかった。


 ノエルの髪色は、俺と同じ黒。それをポニーテールにまとめており、体は、その膂力とテンションはどこから湧いてくるのかと、いつも疑問に思うほど華奢だ。

 童顔も相まってよく子供に間違われるのだが、色々省いて説明すると、間違えたやつは全員今ではノエルのことを「姉御」と呼んでいる。


 ノエルが着込む服装は、俺の軽鎧より、さらに防御力を削ぎ落としたようなものだ。

 へそを丸出しにしたレンジャージャケットに、ポケットの多いショーツパンツ。それは戦闘を第一に考える開拓者のものというより、文字通りレンジャー──冒険者のものを彷彿とさせた。

 短剣やナイフ、場合によっては剣などを提げられるよう、至るところにベルトやポーチが備えられているのも、よりそれらしい雰囲気を助長する要素となっている。


 そのような機能性に特化した服装である割に、腹と太ももが丸出しなのは、本人曰く「この方が力出るんだよね!」とのことなので、もはや誰も何も言わない。

 実際、山岳行軍の際に無理矢理厚着をさせてみたら、やたらと注意力が散漫になり、戦闘時に被害が出た──主に彼女の攻撃が仲間にヒットする形で──ので、結論だけ言うと退役年金とは魔獣相手の被害を前提としているので申請と許可とごまかしと口止めで一年くらいかかったしギルドの貯金がパーセント単位で目減りした。


 ともあれ、そんな最愛の──ついでに言うとトワイと結婚したはずの──妹が、どうして空から降ってきて、そしてなぜ俺の上半身に脚と腕と全身をタコのように絡ませて泣き叫んでいるのか。

 俺は訳がわからず、そのことを本人に確認しようとするが、


「ほあーーーーーーーっ! ほあーーーーーーーっ!」


 泣き声が鳴き声に昇華しつつあり、埒があかない。退化かもしれんが。


「ノエル、ノエル。落ち着けってェの。ほーらほら、飴ちゃんをやる。オレンジ味か? それともブドウか?」


「ブドゥーーーーーーーー!」


 味の要求か鳴き声かは判然としないが、とにかく飴をその口に放り込む。するとノエルは次第次第に落ち着きを取り戻し、やがて俺の上半身に絡ませた手足を解き、そのまま猫のような身のこなしで、俺のかたわらに着地した。


 ようやく泣き止んだノエルは、浮いたままの涙を拭くこともなくこちらを見上げ、そして言った。


「あ、あ、あ、アニキ! ギルド抜けるって本当!?」


 》


 ノエルが放った言葉。ギルド、と言う単語が、つまりトワイを筆頭とする「暮れずの黄昏」を意味していることは、特に言及せずとも明らかなことだ。

 しかし、


「耳が早ェな。さっきトワイに宣告されたばかりだってェのに」


「友達がね、教えてくれたんだ。幽鬼系の、わかる? シュシュって子。基本ずっと霊体だから盗み聞きと拡散が趣味の」


「お兄ちゃん的にはちょっとその子とは縁を切ってもらいてェところだが」


 しかしまあ、聞かれていたとは。これでは俺の脱退がギルド、否、このブルーフレア全体に広まるのも、時間の問題だろうか。

 どちらにせよ「黄昏」の任務に俺が顔を出さなくなれば、遅かれ早かれバレていた話でもあろうが。


 ……ん?


 ここで俺は、ある疑問にたどり着いた。


「ノエル、お前……俺がギルドを抜ける、って、トワイあたりから聞いてなかったのかよ?」


「トワイライトから? んーん、聞いてないよ。さっき聞いてびっくりしたところだもん。ねぇ、なんでいきなり抜けたの? トワイライトと喧嘩でもした?」


「いや、まあ……喧嘩っちゃあ喧嘩かも知れんが……」


 何かがおかしい、と俺は思う。俺へのセクハラ疑惑なんて言う話は、当然マティーファの仕組んだ捏造であろうが、トワイとノエルの結婚話自体は、書類も存在する歴とした事実であるはずだ。


 それにトワイは、自信満々に言っていた。「ノエルはお前とは行かない」、なんなら「本人に確認すればいい」と。

 それは当然、ノエル自身にも、ギルドから俺を追放する、と言う件に関しては、根回しが済んでいる、と言う意味でもあったはずだ。


 にもかかわらず、ノエルは何も知らない。それどころか、俺の脱退を知り、こうして文字通り──手段は不明ながら──飛んできてくれたのだ。


 俺は、少しのはばかりを感じながら、しかし確認せずには話を進めることはできない、と決意を固め、ノエルへと切り出した。


「ノエル、お前……トワイと結婚する、ってのは、本当か?」


 》


 俺の疑問に対するノエルの返答は、明確だった。


「結婚? 私とトワイライトが? なんで?」


 ……は?


「しないよ、そんなモン。だって私は『開拓者』だし……たとえ誰かと結婚するとしても、アニキの傍からは離れないよ。だって」


 言った。


「私たち、家族じゃん」


 ノエルが放った言葉。それは俺が心のどこかで望んでいたもので、しかし同時に襲いくる違和感と、信じられない、という思いで、俺の心中はごちゃ混ぜになった。


 しかし。


 ノエルはトワイとは、結婚しない。


 今噛み締めるべきは、その事実ひとつだけだ。


 ノエルは結婚しない。ノエルは結婚しない。ノエルは結婚しない。

 俺はその言葉を幾度も心の内で繰り返し、


「……はぁーーーーーーーーー……」


 深いため息をこぼし、その場にへたり込んだ。


 》


「あ、アニキ! どうしたの突然変なこと聞いて、へたり込んで! 頭でも打った!?」


「打ったとすればさっきのお前の一撃によるモンなんだが……あー、まあ、いいや今は」


 安心と脱力と、そして先ほど俺が得た驚愕と葛藤はなんだったのか、と言う、理不尽に対する怒りにも近しい感情が、俺の心を支配する。


 ノエルは結婚しない。

 状況に対して疑問に思うことも、考えることも、無数にある。

 だが、今はそれだけがわかれば十分。そう思えるほどに、ノエルという存在は、俺の中で大きいものだった。


 当然だ。ノエルが生まれた時からずっと傍にいて、領地を出て、そこから先いくらかの修羅場も、共にくぐってきた。

 開拓者仲間、という命を預け合う間柄は、時に家族よりも強い絆を築くが、それ以前として俺とノエルは家族なのだ。年季が違うし、実際に存在する血という繋がりは、魔獣が跋扈する危うさを伴ったこの世界においても、やはり強固で堅牢だ。


 ノエルはこれから先も、俺と共にいてくれる。いつかは離れる日が来るのかもしれないが、それは今ではない、と、ノエルはそう言ってくれた。


 今はそれだけで、十分だった。


 》


 ……しかし。


 しかし、ならばどうしてトワイは、ノエルと結婚する、などという、すぐバレる嘘をついたのだろうか。


 俺からギルドに残ろうとする意思を奪うため? しかしトワイは「確認しろ」とまで言っていた。実際に俺が確認をすればバレる嘘に、一時凌ぎ以上の意味はないだろう。


 それとも、マティーファの策の一環か? それこそ意味がわからない。実際にノエルが結婚する、となれば確かに俺は生き甲斐を失って何も手につかなくなり家を飛び出し露頭に迷って最終的には溶けてなくなってしまうだろうが、それもノエルに根回しをしないのであれば、結論は同じことだ。やはり一時凌ぎ以上の意味はない。


 あるいは、実際に俺がそうなってしまったように、勝手に絶望し、ギルドの脱退という処分を放心状態のまま受け入れてくれる、というのを期待したのか。否、それにしたって確度の薄い話だ。


 大体、トワイにそんな器用な嘘がつけるはずもない。だとしたら──。


「ねえ、アニキ、本当に大丈夫? さっきから何かぶつぶつ言って……」


「ああ……ノエル。お前は本当にかわいいなぁ」


 うつむいた俺の顔を、前屈みになって覗いてきたノエルの頬を、猫にそうするようにしてもみくちゃにしてやる。

 最初の方は「や、やめろよう!」とやっていたノエルも、言っても無駄だと悟ったのか、だんだんと抵抗を減らしていき、やがてはされるがままになった。


 個人的には一生こうしていたいものだが、そういうわけにもいかない。

 今でこそ、それなりに幸せそうな顔でされるがままになっているノエルだが、以前これを四時間ばかり続けて見せた際には流石に最後の方は無表情になってしまっていた。否そうではない。そうではないこともないのだが、そうではない。


 ノエルの現状がどうあれ、俺はすでにギルドを抜けた。あの場所にも未練はない。


 そして、ギルド「暮れずの黄昏」のナンバーフォーが、こうして俺の元へと馳せ参じてくれた。


 念のため、俺は確認をする。


「ノエル。事情は後で説明するが、俺が『黄昏』を抜けたのは紛れもねェ事実だ。お前はどうする?」


「そりゃもう当然! アニキについてくよ! なんたって私たちは二人きりの家族だかんね!」


 だとすれば、決まりだ。


 目的地は変わらない。「開拓事業者統括局」。建築として、この街で一番の高さを誇る、幾千のギルドを統括する最大級のお役所だ。


 だが俺は、『黄昏』からの脱退を報告しに、その場所へと向かうわけではない。いや、脱退は報告するし失業手当ても適当にせしめるが、それだけを目的として行くわけではない。


「ノエル。俺たちも作るぞ」


「作る、って……こ、子供を……? マジでか……?」


 マジかはお前だ。いやそうではなく。


「俺たちの、新しいギルドを、だよ」

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