第一章 ハンサム、大地に立つ
プロローグ
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――フカク!
下っ端のキャッツが喰われる音を、間近で聞きながら、ジェイミーは悔いた。
ちょっとした遊びのつもりだった。
そしてできればドラッグやホスト通いのための小遣い稼ぎにでもなれば、そう思っただけだったのに。なお「キャッツ」は下っ端がAVに出演した際の芸名である。
「キャーッツ!」
「先輩……ああッああ~何これサメちゃんスゴイよお!」
キャッツの言動が狂い始めていた。生きながら喰われていくことに精神が耐えられなかったのだ。
「こんなの聞いてないよォ! クローンフカヒレとかだと思ってたのによォオオオオ」
相棒のピンキーも混乱している。
無理もない。研究所のなかでサメが出たのだ。
地下施設にこんなやつがいるなんて。
キャッツをむしゃむしゃ食べているのは、半重力スーツとヒレ用マスクを着た、浮遊シャークだ。博士は研究所の地下にサメを飼っているのだ。
ジェイミーは逃げ出したかった。
こんなことなら家業の漁師を継いでおくんだった。AV女優でもいい。こんな研究所のビキニ警備員になんてなるんじゃなかった。
△△△
この海上研究施設には噂があった。
地下深くに秘密のフロアがあって、そこで謎の研究が行われている、と。地下へは、エレベータのボタンを何らかの順番で押せば降りてゆける、というのである。
美女だという噂だったが、研究施設の所長という女には会ったことがない。専用の出入り口を通って、人知れず出勤しているということだった。ジェイミーらのような「旧市街」出身のビキニとは待遇が違うのである。
エレベータの手順を知っていたわけではない。
見回りのたびに、適当な番号を押して遊んでいただけだ。
それが、この日は偶然正解してしまった。
入力した番号は、558989。ゴーゴーぱくぱく。
慌てて相棒のピンキーと下っ端のキャッツを呼んで、三人で地下へ向かった。
いったい、地下で何の研究をしているのか。
理論的に言ってクローンフカヒレに違いない、と彼女らは話し合った。
研究所に市長が金を出していることは聞いている。あの悪辣な市長のことだ。違法なフカヒレでボロもうけをしているに違いない。それに美女の所長ともバックでやってるに違いない、などと笑っていた。
それがこんなことになるなんて。
地下施設をサメが守っているとは思わなかった。
△△△
二人はサメに向かって叫ぶ。
「サメがァアアアアッ」
ビキニの胸元から拳銃を抜いて撃ちまくった。口の中のキャッツに何発か当たったけれど、もうしかたがない。ハプニングバーでコイツだけモテるのにムカついてもいた。
サメに拳銃の効果が薄いことは周知の事実だが、近距離ならまったく無力ということはない。浮遊ザメがわずかに下がった。
「ひるんだ! ミートバーグの漁師を舐めるからだッ」
「バカッ逃げるよ!」
「コイツが道をふさいでるのよォ!」
「奥に進むしかねぇってッ!」
「……あば……あばばあば……先輩ィイイイ~」
「ごめん……ごめんなさい!」
「成仏してよねッ!」
下っ端を見捨てて奥へ逃げるしかなかった。
何フロアか進んだときである。
「あれえ?」
相棒のピンキーが妙な声を上げた。
振り返ると、相棒は「壁に喰われて」いた。
奇妙な壁だった。
おそらく特殊なものであろう。壁の表面一〇センチほどが、ゼリー状になっている。
普通の壁に分厚い寒天を重ねた、といった風情である。
相棒は、その一〇センチほどのゼリーに、今や体の半分ほどまで「喰われて」しまっている。
無論、ゼリー部分に人ひとりのみこむほどの厚みはない。
ゼリーに取り込まれた部分の肉体が、無い。
まさしく喰われているのだ。
なんとゼリーのなかを無数の小ザメが泳いでいる。
まるでピラニアの群れである。これが博士によって作り出された「ピラニアシャーク」と「ピラニアシャーク専用ペペローション」であることは言うまでもない。
ジェイミーが生きたまま喰われていく。
特殊ゼリーの効果か、彼女は体の半分を失い、乳も丸出しになりながらまだ生きていた。
ただしショックのため、もはや精神に異常をきたしている。支離滅裂である。
「あれえ? あれれれれえ? 酔ってないよ? 酔ってないのに体がずぶずぶ沈んでいくよォ~? 私、一回立ちションしてみたかったのにィ~」
「ピンキー……ごめんッ ごめッ――あれれぇ~?」
相棒を置いて逃げようとしたところでジェイミーは転んだ。
起き上がろうとすると片足が無かった。
地面ちかくに、ピンク色をした反重力ザメが待ち構えていて、噛み切った彼女の足をもぐもぐしていた。浮遊ザメはもう一体いたのだ。しかもショッキングピンクの。
「いやああああっ! 可愛いイィイイイイッ!」
もはや支離滅裂である。
彼女は半狂乱になって逃げようとする。
その時、背後で爆発音がした。
おそらくピンキーだ。彼女は護身用の手榴弾をビキニに忍ばせていた。この街では誰でも対サメ用の武器を隠し持っているのだ。
ピンキーは手榴弾でサメを道連れにしたのだろう。あるいは単なる自殺か。
警報が鳴り響く。壁に穴が空いたらしい。隔壁の下りる音が近づいてくる。
これで戻れなくなった。
ピンクの浮遊ザメを銃で威嚇しながら、ジェイミーは乳を振り乱して這い進んだ。
△△△
菊の花の匂いが彼女を迎えた。
地下研究所の最奥にたどり着いたのだ。
半重力シャークはなぜか追ってこなかった。
この部屋を破壊しないよう躾けられているのかもしれない。
つまりここに大切なものがあるということ。
ならば、もしもの時にそなえてホットラインがつながっているはず。
これで救助を呼べる。
向こうだって「研究成果」を守りたいはず。必ず救助隊を送ってくる。
いや、とジェイミーは引きつった笑いを浮かべる。
それどころか交渉次第では多額の口止め料をせしめることもできるだろう。
暗くてよく見えないが、部屋の奥に培養カプセルが置いてあって、その中には人のような影がある。
理論的に考えてサメ人間を造っているに違いない。
映画で見たことがある。サメ映画は裏切らない。
こんな実験が公表されれば大問題だ。
市長も口止料を惜しまないだろう。
ジェイミーは欲望が急激に高まるのを感じた。生命の危機に瀕して性欲が増すことがあると、どこかで聞いたことがある。
「やった……助かったんだ。それに……金。ぶんどってやる……酒……ホスト、ドラッグ……」
カプセルに近づくと菊の匂いが強くなった。
周りを大量の菊の花で飾っているのだ。
「……これで……私も……一発逆転……」
菊を踏み、カプセルにしがみついて立ち上がったところで、ジェイミーは培養液中のサメ人間をはっきり見た。
傷の痛みを忘れた。花の香りも失せた。
『彼』の美貌は、花よりも鮮やかに、サメの牙よりも深く、彼女のハートをえぐった。えぐれた心臓から欲望の炎が噴きだした。
ビキニの尻がサンバを踊りだす。
「ハンッ! ハンッハン――」
その時である。
培養カプセルの超強化ガラスが内側から砕け散った。
サメ人間。ジェイミーは自分で言ったその言葉を思い出した。
が、鋭い牙が自分へ迫ってくるのを見つめながらも、彼女は恍惚としたままだった。
ビキニ警備員、ジェイミーが最後に残した言葉はこうである。
「――ハンサム!」
声だけ残して、ジェイミーの姿はこの世から跡形もなく消えた。
あとには花とガラスに包まれた『彼』の白い裸体だけが残った。
ジェイミーを喰らった「サメ」の姿はどこにも見当たらない。
警報が鳴り響いている。
深い、フカい、海の底での事件である。
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