第47話花の雲

優が真剣に筆を動かせ始め、真矢がノートパソコンで何か作業を始めた向いで、朝霧も染色しながら時折花の雲を見ながら密かに思いを馳せる。



朝霧はこの世界へ来て、優にさっきと同じ笑顔でこの世界の文明を丁寧に色々教わり随分助けられた。




そして、回想はやがて過去へ向かう。



小さな頃、朝霧は喘息持ちで身体も小さく、泣き虫でどうしよも無かった。



その結果、少しでも気の良い所でと幼くして母親から離されて、父のつてで荒清神社に預けられていた。



社には二人の年の近い男の子がいたが、上の一人は勉学の為朝霧と入れ代わるように近くの高名な学者の元に預けられ時々帰社して、下の観月春光だけがいつも居た。



朝霧の目に映る春光は何処かの高貴な姫君の様で、どう見ても女の子だとしか思えない小ささと美しさだった。  



だが当の本人は、剣の練習が大好きで木刀を振り回し、木登りが大好きで、庭に来る動物を興味津々で追いかけてすぐ身体に傷を作っては朝霧をひやひやさせた。



朝霧は幼いながら父母に、身体の事などで疎まれているのを知っていた。



江戸から一緒に来た世話人は優しいが、それは仕事だとも知っていた。



誰も、本当に誰も、肉親ですら自分を必要としていない…



そう、幼心に絶望していたが、春光だけは違っていた。



年上のなのにひ弱で細く小さな朝霧を馬鹿にする所か、貴兄様と呼び春光は慕って来た。



そしてそれがやがて貴ちゃん、と更に親しく呼ばれるのはすぐだった。



喘息で寝込めばずっと側にいてくれて時に背を擦り、いつも花や果物を、見て見てこんなの持って来たと笑顔でくれた。



江戸に居る血の繋がった実の弟でさえ、こんな事をしてくれなかったのに。



そして、気分の良い日は一緒に、まだその時は今程大きく無かったこじんまりした庭をゆっくり手を繋いで散歩した。



やがて精神が安定しだし食欲が出て酷すぎる偏食も無くなり、身体を鍛えやがて喘息が治まり、朝霧は剣の練習も始めて春光と切磋琢磨し、恐ろしい程の短期間で別人の様になった。



一度も会いに来なかった母がそれを聞きつけ朝霧に会いに来たのだが、手の平を返した様に優しかったのが不気味でしかなかったのを覚えている。



「僕がもっと丈夫なら、将来ハルの側にずっといられるお役目になりたいのに…」



まだ丈夫になる前、虚弱な朝霧は、春光にあの桜の木の下、とうに花が散り去り青葉が眩しい中そう言った。



「本当に?」



春光は、まるで春の光そのままの笑顔で朝霧をまっすぐ見た。



「なら、待ってる。貴ちゃんが丈夫になるのを。丈夫になって、僕の側にずっとずーと居て!」



その春光のたった一言で、朝霧は、自分を変えようと、健康で強くなろうと決心した。



そう、春光の側にずっと居たいが為だけに…



記憶を無くしている上不安な生活を強いられている今の貴方には、決して、決して、言えないけれど…



朝霧はそう思いながら、自分の幼少の記憶にそっと、そっと、又再び重い蓋をしようとした。



だが、その前に、眼前に居る今の成長した春光、いや、優に、小さな頃の彼を重ねる。



身体は大きくなり凛々しさが加わり中性的になったが、面差しは変わらない。



そして、又、薄紅色の花びら達を見た。



ふと、優も何気無く桜を見て次に朝霧の横顔を見る。



すると、そこに一瞬おぼろ気に、小さな子供の顔が浮かび重なった。




朝霧によく似た、でも、今の彼の逞しさと違いかなり痩せていてどこか弱々しそうだ。



優は瞬きを何度かして、今のが自分の幼い頃の記憶では無いかと自問自答した。




もしそうなら、このまま更に少しでも思い出したくて朝霧を見詰めていると、視線に気付かれて目が合った。



一瞬、世界はただ無音になり、ただ二人きりしかいない錯覚に優は落ちた。



「おいおい…手が止まってるし、なんも今そんな見詰め合わなくても、後で二人きりの時やってくんねぇ?」



呆れと冷やかしの混じった声で、真矢が笑って言った。











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