29-7の恋
ももも
9月
「あなた、そろそろイイ人を連れてきて、お父さんに紹介したら?」
これは母親からの“結婚のプレッシャー”だ。実家に電話すると数か月に一回このセリフが出てくる。あたかも、父親がそう言っているというような言い方で自分の言いたいことを言ってくるのが母のやり方だ。
「うん、でも今付き合ってる人いないんだ」
「でも、少し前には“いる”って言ってたじゃない?」
そう、先日別れた。振られたのだ…、もう向こうには新しい相手がいるだろう。
「いろいろあるのよ。仕事も忙しいし、彼氏作る暇なんてないわよ」
「だったら、こっち戻ってきて結婚したら?お父さんの仕事関係の人でいい人いるわよ」
「うん、ごめんねお母さん。でもこっちで仕事したいから…」
「涼子。あなたももう30歳になるんだから、本気で考えないと…」
「わかってるって。じゃぁ、切るね。お父さんにもよろしく言っといて」
“ちょっと待ちなさい”と聞こえたが、聞こえないふりをして電話を切った。
盆暮れに帰省するだけじゃ心配するかと思って、月に一回くらい電話しているが毎回結婚の話題になるとその電話もしたくなくなる。そんな気持ちは親不孝だろうか?
年齢のことは言われなくてもわかっている。もうすぐ30歳。まだ誕生日は来てないから29歳だが、世間の皆さんはそんな細かいことまで加味してくれない。一括りで30歳。もっと広くとらえて≪アラサー≫だ。
私は天崎涼子。短大を卒業後、今の会社に入社して10年目。女性社員が10年も勤務していると妙な貫禄がでるのか、(お局扱いはまだされないが)男性社員からは一線引いた距離感がある。経理を担当していることも原因かもしれない。
私が勤務している会社は、「OTAMESHI」というクリーニング用品のレンタル会社だ。従業員は13名ほど。普段事務所には、社長と人事担当の真澄さんと経理担当の私だけが常駐し、営業の男性社員は日中はほとんど外周りで事務所にはいない。
真澄さんは35歳で10歳の男の子のお母さん、ご主人はIT関係の仕事をしているって聞いたことがある。普段は人事業務だけではなく、営業サポートも熟す仕事ができるお姉さん的な存在だ。私もいつも助けられている。必ず定時で上がることで、仕事を家庭のオンオフを切り替えていると言っていた。
中小企業なので、業務の兼任も当たり前のことだ。私も経理だけではなく、総務も兼任している。数年前に前任者が退職してから人員の補充がなく、やむなく一時的に引き受けたら、その後うやむやにされて現在に至っている。かと言って給料が上がるわけではないので、社長の笑顔をみると癇に障るのだ…。
17時になると営業の男性社員のほとんどが事務所に戻ってくる。それから、それぞれが伝票や日報作成などのデスクワーク黙々と取り組むのだ。私も営業の方々が持ち帰った新たな注文に対して商品の手配とスケジュール調整をし、問題が起きなければ18時~18時半で退勤することができた。しかし、月末近くなるとこれに各所からの領収書処理が加わり激務と化し、必然的に私の機嫌も悪くなるのだった。でもまだ月の半ば、順調に仕事が終わり上機嫌の私はPCの電源を落とし、まだデスクに向かっている方々に「お先に失礼します」と声をかけ、更衣室に向かった。
更衣室は会議室の奥、給湯室の隣。男性社員が近寄ることも少ない場所だ。外も暗くなってきている。夏だとこの時間でも明るいこともあったが、9月になり秋めいてくると日の傾きも早くなっているようだ。うす暗い通路を心もとない数の蛍光灯が歩くのに支障のない程度の光を照らしていたが、会議室からも光が漏れていた。
「誰か会議室使ってる?電気の消し忘れ?」
会議室のドアに手をかけようしとしたら、中から声が聞こえてきた。
「…当社のおそうじモップは、独自の構造により洗剤の吸収性に優れているため、掃除効果の持続が特徴です。是非、一度お試しください!」
「…うん、もっと誠意をもって説明しないと…、暗記してきましたって感じなんだよね」
新入社員の研修のようだ。主力商品の“そうじ用品”は、2週間の無料レンタル期間を経て、契約につなげるため、最初に「お試し」してもらわないと始まらない。そこで「是非、お試しください」というワードが常套句になっているわけだ。だから社名が「OTAMESHI」。
この声はきっと4月に入社した…山…山…、山下君!彼が営業の先輩からレクチャーを受けているよう。約半年の倉庫番研修を終えてやっと営業にデビューするらしい。
新入社員は皆、数か月の「倉庫番」という名の雑用を課せられていた。取り扱い商品を憶えるという名目だが、アレは雑用だ…。山下君とはあまり話したことないけど、(歓迎会であいさつしたくらい?)優しい顔した男の子だったよな。そう、たしか「あんなに優しい顔した子が、営業業務で凛々しく、男らしくなっていくんだ…」って思ったんだった。
「あっ、帰らなきゃ」
足を止めていたことに気づいて、更衣室に向かって歩き始めた。
「がんばれ、青年!」心の中で声援を送った。
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