第5話 獣人の家

 翌朝。陽の光に誘われるように目を覚ました。


「あれ、ここは何処だ……」


 また白い部屋か? 寝ぼけて立ち上がろうとすると、座っていた椅子から転げ落ちた。


「痛ってて……。あっそうだ、ここは獣人の娘の家だ」


 眠気も吹っ飛び、飛び起きて隣の寝室のベッドを覗き込んだ。

 獣人の娘は寝ていたが少し苦しそうだし顔が赤い。額に手を当ててみる。


「熱があるな。破傷風だとまずい事になるぞ」


 破傷風は放置すると死につながる。そういえば鞄の箱の中に医薬品みたいなのがあったはずだ。慌てて鞄の中を探し、金属の箱の中にあった薬らしき瓶を取り出す。


 瓶は2つあるがラベルが剥がれ落ちてしまったのか、説明書きも無いし何の薬か分からない。

 蓋を開けて確かめてみると、ひとつは丸薬で臭いからすると胃腸薬のようだ。もう一方は白いカプセルの錠剤。


「これが抗生物質なら、助けられるのだが……」


 獣人の娘をこのまま放っておくわけにもいかない。効くかどうか分からないがイチかバチかこの薬を飲ませよう。

 水筒のコップに水瓶の水を汲んでベッドに戻る。獣人の娘を少し起き上がらせ、カプセルを飲ませようとするが飲んでくれない。


 仕方がないので、俺が口に含んで口移しで飲ませる。肺に入って咽せないように、ゆっくり流し込むように飲んでもらう。


 ゴクリと喉が鳴って、何とか飲み込んでくれたようだ。ゆっくり体を寝かせて、濡れた布を額の上に置いてやる。


「ふぅ~。これで薬が効いてくれればいいんだがな」


 改めて獣人の娘の顔を見てみる。耳は完全に頭の上だ。髪は黒髪のショートヘアで横髪だけは伸ばしていて肩くらいまである。


 確か首の後ろから背中にかけて、タテガミのような毛が生えていたな。顔は人間とあまり変わらん。むしろ彫りの深い目元や鼻筋の通った綺麗な顔立ちをしている。


 獣人が暮らしているなど、いかにも異世界ファンタジーだ。女神様の白い部屋から落とされて、何も分からずここまで来たが、この世界で生きていく覚悟を決めないといけないだろうな。


 そう思っていると急にお腹の音が鳴った。


「食事でもするか」


 俺が倒れてしまっては、助けられるものも助けられなくなるからな。獣人の娘には悪いが、奥の部屋に吊してあった肉をもらって食事にしよう。


 奥から肉を少し切り取ってかまどに向かう。肉を薄くスライスしておき、鞄から非常食の袋を取り出す。

 かまどに火を入れて上に置いてある鉄鍋を熱し、薄切りにした肉を鉄鍋の底に敷き両面を焼く。肉の香ばしい香りが鼻をくすぐる。


 その鉄鍋に水を入れ、非常食の粉を入れて一煮立ちするまで待つ。自分用の小さなコッフェルに取り分けてテーブルに運ぶ。

 こうしてテーブルでしっかりと食事を摂るのは、この世界に来て初めてだな。


「いただきます」


 なかなかに美味いじゃないか。やはり肉が入った分、昨日よりも旨味がある。今までまともな料理など作ったことはないが、なかなかいい出来だ。自分で作った飯を夢中になってほおばる。


 食事をして人心地ついたところで部屋を見渡す。ここは洞窟の中だが明るい。

 直接穴は見えないが、入り口の上の方から陽の光が差し込んでいるようで、間接光で洞窟全体が照らされている。


 その光を取り入れるため部屋に天井は無く、太い木の梁と柱で組んだ四方を、木の壁で囲んで部屋にしている。隣の寝室も同じように明るかったな。狭い入り口から部材を運んで洞窟内で組み上げた家なんだろう。


 よくよく考えると寝室にはベッドが2つあった。獣人の娘の他に同居人が居るはずだ。

 昨日から丸一日たった今も帰って来なかったが、遠くの仕事に出かけているなら今日ぐらいには帰って来るのかもしれないな。


 この状況をどう説明したものか? 敵意のないことを説明して分かってもらいたいものだが……。

 しかし色々やらかしてる気がする。今、獣人の娘は裸同然だし、奥の食料庫から肉を少しもらってしまった。いや~、仕方がなかったんだけどね~。


 まあ最悪、俺がここを逃げ出せばいいさ。なんと思われても獣人の娘が助かるのならそれでいい。

 後はその同居人が、獣人の娘の面倒を見てくれるだろう。


 だが熱が下がるまでは心配だ。それまでは看病をし、安心してここを立ち去れたら一番いいんだけどな。


 そう思いつつふとテーブルの横を見ると、獣人の娘を治療するときに寝かせたローブがまだ床に敷いてあった。獣人の血がこびり付いていて、このまま敷いておく訳にもいかんな。


「洗濯でもするか」


 着ているシャツも汗で汚れているし、獣人の娘が眠っている今の内に洗ってしまおう。かといって洗濯機はもちろん石鹸のような物もない。

 手洗いなど今までしたこともないが、水洗いだけで何とかなるか。


 水瓶からこの家にあった大きな鍋に水を入れて外に出る。陽の光がまぶしい。これなら洗濯物もよく乾きそうだ。

 ローブに水をかけて雑巾を洗うようにゴシゴシ洗ってみると、シミのように固まっていた血がボロボロと落ちていった。


 手洗いの経験はないが、これは少し異常だ。ローブをバンバンと勢いよく上下にはたくと赤黒かった血の跡もなく、元通りの濃い藍色を取り戻した。表面は僅かにキラキラ光っている。さすが女神様にもらったローブだと感心しながら、洞窟の壁際に干しておく。


 着ていたシャツも洗濯したが、こちらは普通のシャツのようだ。残念。


 その日の夕方になっても獣人の娘は起きてこなかった。

 もう一度薬を口移しで飲ませた後、椅子を持っていき少しの間獣人の娘の様子をみる。


 まだ熱があるのか、苦しそうにうなされている。発熱は細菌やウイルスなどの外敵から体を守る防御反応だと聞いたことがある。この娘の体内で生きようと必死に戦っているのだろう。


 額の汗を拭ってやり、そっと獣人の手を握る。不甲斐ない俺だがやれるだけのことはやったつもりだ。


「頼むから、助かってくれよ」




 翌朝、俺は隣の部屋でローブにくるまって寝ていたが、寝室からガタンという音で飛び起きた。


 寝室に飛び込むと、獣人の娘が起き上がろうと両手をベッドについていた。駆け寄り背中を支えて起こしてやり、獣人の顔を見つめる。

 血色のいい薄紅色の頬に、薄く青いみ空色の生き生きとした目は少し驚いたように丸く開かれていた。


「もう大丈夫だ、助かったぞ! 良かったな。良かったな」


 俺は嬉しくて少し泣いていたのかもしれない。

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