行方不明のニシキリアン

 冷光れいこう家の玄関引き戸を開けると、なぜか東根ひがしね先生(本物)が出迎えてくれた。相変わらず美人でおっぱいが大きい。ぴったりとした黒い長袖のタートルネックシャツにローライズのスキニージーンズという、前回と同様にボディラインを強調した恰好だった。

 明るい茶髪をかき上げて(人差し指にはまった、髪の長い女の骸骨がいこつが絶叫しているようなデザインのシルバーリングがきらりと光る。)サイドヘアを耳にかけつつ(耳の下で、蛇に巻きつかれた逆さ十字のピアスがきらりと光る。)、くりっとした猫目を細めて何とも胡散うさん臭い笑みを浮かべると、ハスキーな声で東根先生が言う。


「やあ、二週間振りかな? 通話には出てもらえず、ラインはブロックされて、我慢の限界を迎えてしまったものでね。とうとう会いに来てしまったよ」


「ひっ、近づかないでください! 私の半径5メートル以内に入るのは禁止です! 即刻出て行ってください!」


「そう邪険にしないでくれたまえ。温泉でのことなら謝ったじゃないか、既読スルーされたがな。そもそも私はここに立っていただけで、近づいてきたのは君の方だぞ?」


「う、ううっ……! あ、謝られたからって、安心できませんもん。また変なことするかもしれないじゃないですか、また!」


「ふむ、謝られても許さないということかい? それは困ったな、ごめんなさいという言葉は許してもらうためにあるのに」


 私とねるこちゃんと弓矢ゆみやちゃんの三人がいる、一枚岩の敷石が敷かれた土間よりも一段高くなった廊下から、東根先生がニマニマと嫌らしく笑って私を見下ろしてくる。

 すると、隣に立っていたねるこちゃんが私を庇うように一歩前に出て、東根先生と向かい合う。


「それは詭弁きべんというものでござろう。ごめんなさいという言葉は謝意を伝えるためにあり、許してもらうためにあるわけではござらん。許す、許さないというのは相手が決めることでござる。どこのどなたかは存ぜぬが、貴女きじょの論はまるでやくざ者や詐欺師の言い分でござるよ」


「む? これは一本取られたな。ヤマコが口下手だからと油断していたよ、なかなか弁の立つさくらんぼおともだちじゃないか。金髪、碧眼、低身長、ござる口調で友達思い……容易には味わうことのできない、珍味だね」


 東根先生はそう言って、自身のグミのようにぷっくりとした唇を舌先でぺろりと舐める。

 なんだかねるこちゃんがロックオンされてしまったような気がするが、大丈夫だろうか?

 弓矢ちゃんがねるこちゃんよりもさらに前に出て、東根先生に話しかける。


「こんにちは、お姉さんが一時からの予定だったお客さん? 予定の時刻よりもちょっと早い気がするけど……」


「いやすまない、予定よりもだいぶ早く着いてしまったものでね。実はもうご当主サマとの話も済ませてしまったよ。本当は空いた時間に冷光の所有する資料なんかを拝見させてもらいたかったのだが、残っていた物も焼失してしまったらしいじゃないか」


 ああ、ハッチーの焼きジャガイモ騒動か。ハッチーは勿論もちろんのこと、なぜか私まで杠葉ゆずりはさんからめちゃくちゃ怒られたっけな……しかし、もしもハッチーが燃やした資料の中に何か東根先生が狙っている物が紛れていたのだとしたら、これでよかったのかもしれないな。だってこの人、心霊スポットにあったひつぎやらまで持ち帰ろうとするし、何をしでかすかわかったものじゃない。

 くつくつと笑って東根先生が言う。


「ああ、それとだ。必死にお願いをした甲斐かいがあって、ご当主サマからヤマコを借りる許可をいただけた」


「へ?」


「当然ではあるが、ご当主サマの監視付きだがね。というわけで、すぐにでも出発したいから家まで送ろう。多分泊まりになるからな、一度家に帰って準備したいだろう?」


「はい?」


 ん、んん? どういうことだ?

 今から私、東根先生に貸し出されちゃうのか?

 しかも、泊まりで……?


「――わ、私、杠葉さんに売られちゃったんですか!?」


「なんだ、もしかして期待しているのか? それならば勿論、応えてあげたいところだが」


「いいです、いいです! いりません!」


「フフ。まあ、普通にお仕事さ。順調に行けばだがな。私のファンであるヤマコは知っているだろうが――」


「東根先生のファンじゃないです、東根先生の作品のファンなだけで東根先生のことはこれっぽっちも好きじゃないです!」


「私と、私の作品のファンであるヤマコは知っているだろうが」


 うわ……、無理やり押し通してきたぞ。


「自らを『ニシキリアン』と称する、私の熱心なファンたちが定期的にオフ会を開いては拙著せっちょの舞台のモデルになった事件現場や心霊スポットなんかに出かけていてな。ちょうど一週間前にもそういう集まりがあったようなのだが、それに参加したニシキリアンたち総勢15名がまとめて失踪してしまい、未だに誰一人として帰って来ていないらしい。私のファンたちが居なくなったというのに、捜しもせずに見捨てるわけにもいかないからな。さすがの私も重い腰を上げて、こちらのご当主サマに頭を下げに来たというわけだ」


「東根先生が失踪したと思ったら、その二週間後に今度は東根先生のファンが15人も失踪したんですか……」


「フフ。主従揃って似たような反応をするんだな、ご当主サマにも『小説家が失踪したと思ったら次はそのファンか』とげんなりした顔で言われたよ」


「そりゃあ、この状況だったら誰だってそう言いますよ」


 困った人たちだなと呆れていると(まあ、かく言う私もニシキリアンなのだが。)、弓矢ちゃんが振り返って私とねるこちゃんに言う。


「そうだ、生ものも多いし、とりあえず買ってきた物全部台所に持ってっちゃうね」


「あ、それじゃあよろしくお願いします」


「よろしくでござるー」


 私とねるこちゃんの手から買ってきたお菓子を回収して、弓矢ちゃんが玄関から廊下へと上がった刹那せつな――カッコイイ指輪をはめた東根先生の手が弓矢ちゃんのお尻に向かって伸ばされた。

 間一髪だったが、どうにか東根先生の腕をつかんで弓矢ちゃんへの猥褻わいせつ行為を阻止する。以前の私だったら間違いなく間に合わなかっただろうが、高性能になったヤマコアイのおかげで即座に反応することができた。

 何も気がつかないまま弓矢ちゃんが廊下を駆けていくと、何事もなかったかのような顔をして東根先生が言う。


「なんだ急に腕をつかんできて、そんなに私の肉体に興味があるのか?」


「とぼけたって無駄です、ちゃんと見ましたから。弓矢ちゃんは小学生ですよ? いや高校生に手を出すのも十分ヤバいんですけど、ほんとに東根先生逮捕されちゃいますよ? 私、東根先生がしょうもない犯罪を犯して逮捕されて新作が読めなくなったら、なんていうか、凄いむなしい気持ちになりそうです」


「ふむ、その認識は良くないかもしれないな。被害者の心情を思えば、この世にしょうもない犯罪なんてものはただの一つたりとも存在しないのだから」


「そう思うんでしたら、ほんとにやめてくださいよ!?」


「私の愚かな行いのせいで例えあの少女がこの先ずっと苦しむことになるのだとしても、どうしても触ってみたかった。私に触られるために生まれてきたようなお尻の形をしていたあの子にも罪があるのではないかと思う」


「東根先生に触られるために生まれてきたお尻なんてこの世にありませんし、弓矢ちゃんにはなんの罪もありませんし、そもそも弓矢ちゃんは男の子です!」


「なに、それは本当か? 私をかつごうとしているんじゃないだろうな?」


「本当ですよ、疑うんでしたら杠葉さんに確認してみたらどうです?」


「な、なんだと……」


 蒼褪あおざめて、愕然がくぜんとした様子で東根先生が崩れ落ちる。

 私はビシッと指先を突きつけて、東根先生に言い放つ。


「そういうことです。東根先生は女の子だと思い込んで、男の子のお尻を触ろうとしていたんですよ!」


「そんな……くそ! もしそうと気づいていれば前から触った! 前から触っていれば多分ヤマコに止められることもなく、触れていた! ああ、なんてことだ! 私の目は節穴ふしあなか!?」


「あ、男の子でも良かったんですか……」


「弓矢ちゃんとか言っていたか? あんなに可愛い男の子なら完璧だ、監禁かんきんしたいくらいだ……しかし、冷光の血を引く者ともなると色々とややこしいな。少なくとも現状では手が出せそうにない」


「いや、今後も出しちゃダメです、逮捕ですよ逮捕。拉致らち監禁なんてやらかしたらもう二度と本なんて出せなくなりますよ、ただでさえ重罪なのにしかも被害者が未成年者となったら、しばらくおりの中ですからね?」


「そうだな、弓矢ちゃん――弓矢くんか? 彼を手に入れるための方法は後でじっくりと考えるとして、今はとりあえずヤマコを家まで送らねばな」


「あ……」


 どうしようか、このまま東根先生とうちに帰ってしまうとハッチー、バッケちゃん、アンコちゃんというスイーツモンスターたちに今買ってきたスイーツを全部食べられてしまいかねないぞ。

 普段スイーツを自由に食べることのできないねるこちゃんに食べさせてあげたいのは勿論だが、それはそうとスイちゃんが怖い。やつも私の五感を介して状況を把握しているだろうから、もうすぐ食べられると思っていたスイーツが食べられないとなったらきっとめちゃくちゃ怒ると思う。


「あ、えっと、あのですね、私、東根先生と一緒にお菓子を食べたいです。今日来るお客さんのために、つまりは東根先生のために私自ら選んできたお菓子でして、東根先生が急いでいるのはわかっていますけど、せっかくなのでできれば食べてほしいですし、一緒に食べたいといいますか、あのう、そのう……」


「おやおや、かわいいことを言うじゃないか。フフ、そうだな……なら、ラインのブロックを解除してくれたら一緒に食べてあげよう」


 あれ? 私のことが大好きな東根先生のことだから、無条件で飛びついてくるかと思ったのにな。

 困ったぞ、ブロックの解除ときたか……東根先生のラインはとにかくしつこいし、内容も気持ちが悪いのだ。例えるならばそう、腐ったジャムみたいにベタベタとしている。

 しかし、おやつを取り上げられたスイちゃんがどんなキレ方をするかわからないからな。東根先生からのラインはただウザいだけだが、スイちゃんがキレたらもっとずっと本格的な被害が出そうな気がする。


「うう、わかりました……解除します」


 ぷるぷると震えながらもどうにか言葉をしぼり出した私に、ねるこちゃんが心配そうな面持ちでたずねてくる。


「や、山田氏、大丈夫でござるか? もしかして、この女に何かとんでもない弱みを握られているのでござるか?」


「いえ、東根先生には特に何も握られていないんですけど、私の中のヤバいやつに命を……」


「フフ、ヤマコと一緒にお菓子を食べることでブロックを解除してもらえるなんて実に運が良い。出会いにも恵まれているし今日の私はツイているな。さあほら、早く上がりたまえ」


 いつの間にこの屋敷の主になったのだろうか、我が物顔で東根先生が手招きをしてきた。

 お尻を警戒しつつ、靴を脱ぎっぱなしにして廊下に上がった私の背後で、ねるこちゃんが「お邪魔するでござる」と言って脱いだ靴を揃える。偉いな。ねるこちゃんのお父さんは礼儀なんて欠片も知らなそうな人だったから、多分こういうのは学校で教わったのだろうな。

 廊下の向こうからアンコちゃんがやって来て、ねるこちゃんを見て「あ、ヤマコちゃんのお友達の子ですね? 授業参観で会いましたよね! 授業参観ではタイミングがなくて直接お話しできませんでしたけど、私は冷光杏子あんずと言います、よろしくお願いしますね!」と言ってはしゃぎ出す。

 どうせだからアンコちゃんにお茶とかを用意してもらおうと思い、お辞儀をし合う二人の様子を見守っていると、顔を上げたアンコちゃんが私を見て言う。


「そうだ、ヤマコさん。これ、先日街で買ってきたきり忘れていたんですけど、ヤマコさんにも一つ差し上げます」


 アンコちゃんがエプロンのポケットからネックストラップが付いたピンク色のたま〇っちのような物を取り出して、私に手渡してくる。

 どこで何をしていたのかは知らないが、玄関引き戸を開けて屋敷に入ってきたハッチーが、「なんじゃ、食い物か?」と靴を脱ぎ散らかして駆け寄ってきた。ちなみに今日はドット柄の水色の長袖シャツに星柄の桃色のミニスカート合わせたコーディネートで、安全ピンか何かで留めているのだろうか、至るところにキャンディやらマカロンやらユニコーンやらリボンやらといったマスコットが付いている。確か、こういったファッションを『ゆめかわ』系とか言うのだったか? 何にせよ、私は一度も着たことがないタイプのデザインだ。


「防犯ブザーですよ、蜂蜜燈はちみつとうさんも一つ持っていてください。見た目は小さな女の子ですし、変な人が寄ってこないとも限りませんからね」


 そう言ってアンコちゃんがピンク色のたま〇っちをもう一つポケットから取り出して、ネックストラップを広げてハッチーの首かける。


「いらんわ、こんなもん」


 と、しかめっ面をしたハッチーが防犯ブザーを外そうとして雑に引っ張った途端とたん、キュピピピピピピピッと大音量でアラームが鳴り始めた。

 ハッチーが「のわあっ!!?」と悲鳴を上げる。どうやら引っ張ることでアラームが鳴るタイプの防犯ブザーだったようだ。

 アンコちゃんが慌ててアラームを止めるが、耳が良いせいで音に敏感なハッチーは目を回してしまった。

 困った顔をしてアンコちゃんが言う。


「うーん、こんな風になっちゃうんじゃかえって危険かもしれません……蜂蜜燈さんに防犯ブザーは駄目そうですね。そういうわけで一つ余ってしまったんですけど、よかったら寝子ねるこさん使いませんか?」


「お気遣いはありがたいでござるが、それがしにはブシドーがあるでござるからな。そういった物は不要でござるよ」


「そうですか……じゃあ、はい。ヤマコさんにもう一つ差し上げますね」


「え、はい、どうもです」


 アンコちゃんから余ったブザーを差し出されて、反射的に受け取ってしまう。すでに一つ貰っているので、二つになってしまった。

 なんというか、一つ目を貰った時にはアンコちゃんからの思いやりみたいなものを感じたのだけど、この二つ目にいたってはただ単に不用品を押しつけられた感が強いな……。

 東根先生が手の甲を細いあご先に当てて、小さくうなずいて言う。


「ふむ、ヤマコに防犯ブザーはよく似合う。だが、鳴らされてしまった時のことを考えてこちらも対策を講じておかねばな」


「いや、そもそも防犯ブザーを鳴らされるようなことをしないでくださいよ」


「それは無理な相談というものだ。ヤマコだって呼吸をするなとか、まばたきをするなと言われても困るだろう? ……ん? それくらいのことならば、もしかしたらヤマコほどにもなればどうにかなってしまうのか?」


「どうにもなりませんよ! と言いますか、私に変なことするのは東根先生にとってそんなにどうにもならないことなんですか!? そんなことを聞いたらますます一緒に出掛けたくないんですけど!」


「わがままを言うんじゃない。一緒に出掛けたくないなどと駄々だだねるなら、私だって一緒にお菓子を食べてやらないぞ?」


「えっ!?」


「フフ、来客用と言いつつ自分が食べたいお菓子を買ってきたのだろう? 私は別にお菓子が食べたいわけではないからな、時間に余裕があるわけでもないし、このまま出発してしまうのでも何ら問題はないわけだが……どうする?」


 く、くそう。わけわけわけとしつこく三回も繰り返して、何だかねちっこくて嫌らしい言い方をするじゃないか。

 ニタニタとした笑みを浮かべる東根先生に、私は必殺の反撃をお見舞いする。


「だ、だったら、そんなことを言うんだったら、私だってラインのブロック解除しませんから!」


「ほぉう? まあそれは悲しいが、一刻も早く行方不明者たちの捜索に向かわねばならないから仕方がないな。では、今すぐに出発するとしよう」


「うえっ!!?」


 な、なんでだ!? 私のことが大好きな東根先生のことだから、てっきりそれだけは勘弁してください~って泣きついてくるかと思ったのだが……ど、どうしよう? お菓子が食べられないとなるとまずいぞ、スイちゃんが怒ってしまう。

 迷いのない足取りで玄関に向かって歩いていく東根先生の背中を見つめつつ、私は悔しさに震えながらも懇願する。


「う、ぐうっ、ラインのブロックも解除しますし、素直に一緒にお出掛けしますから、どうか私と一緒にお菓子を食べてください!」


「よろしい」


 そう言って振り返った東根先生の勝ち誇った顔を目にして、私はいつかギャフンと言わせてやるからなと強く思うのだった。


 そんなこんなで、みんなで(正確に言うと杠葉さんは食べに来なかったし、ハッチーは防犯ブザーアンコの罠のせいでダウンしていたが。)お菓子を食べて、東根先生の車で一度祖父の家まで送ってもらった。

 一時間後に迎えに来るからそれまでに準備を済ませておいてくれと東根先生から言われたが、いくら友達とはいえさすがに下着類を一緒のリュックサックに入れたらねるこちゃんが嫌かもしれないなと思い、ねるこちゃんに私が持っているリュックサックの中で唯一黒くない、小さめのピンクのリュックサックを手渡す。


「え、でも、旅行でござろう? さすがにそれがしは山田氏の部屋で、冥子めいこ氏とお留守番しているでござるよ」


「多分、お金は東根先生が持ってくれますから気にしないで大丈夫です。うちに泊まりにきてるねるこちゃんを放って行くのも何だかモヤッとしますし、一緒に行きましょうよ。ねるこちゃんのこと気に入ったみたいですから東根先生も喜ぶと思いますし」


 それにねるこちゃんがいれば、もしも東根先生が襲ってきたとしてもねるこちゃんを生贄にして逃げられるかもしれない。

 ねるこちゃんが首をかしげてつぶやくように言う。


「そうは言っても、迷惑にならないでござろうか」


「大丈夫ですって。私もねるこちゃんがいないと寂しいですし、行きましょう。ほら時間があんまりないですから、急いでそのリュックに持っていく物を詰めちゃってください」


 ねるこちゃんにそう言って、私も自分用の黒いリュックサックに二日分の下着類とスマートフォンの充電ケーブルを詰める。

 一分くらいで準備を終えて振り返ると、後ろで見ていたらしいねるこちゃんが「それがしに気を使わなくとも良いのでござるよ?」と言ってきた。

 しかし、私は何のことを言われているのかさっぱりわからずに、質問に質問で返す。


「えっと、なんの話ですか?」


「着られる服がこれしかないでござるから、それがしも荷物の内容は同じようなものでござるが、山田氏は自分の服があるでござろう? それがしに気を使って山田氏までずっとスウェットで過ごす必要なんてないでござるよ、ちゃんと余所行よそゆきの服を持って行ったらいかがでござるか? あと、どういった所に泊まるのかわからないでござるが大浴場とかがあるかもしれないでござるし、下着は一応上下を揃えた方が良いのではござらんか?」


「えっと、二日か三日程度なら下着だけ替えればいいかなと思ったんですけど……上下を揃える、ですか? でも、上下セットのやつを買うとだいたいパンツが先にぼろっちくなって捨てちゃうので、お揃いで残ってないんですよね」


「あ、そもそもお揃いで持っていないのでござるか」


「ねるこちゃんはパンツが駄目になったら、残ったブラジャーも捨ててセットで買い替えちゃうんですか?」


「いや、それがしは片方ずつ買えるところでしか買わないでござる。いつもブラジャーを一つ買ったら、一緒にお揃いのパンツを二枚か三枚は買うようにしているでござるよ」


「え、頭良すぎませんか?」


「え、そうでござろうか? まあ、もなか氏やルームメイトのみんなはパンツが駄目になったら後から同じのか、なければ似たようなパンツを買い足しているでござるな」


「え? そっか、そういう手もあるんですね、その発想もなかったです」


「え? 逆になんで思いつなかったのでござるか?」


 そんな風に訊ねられるも答えにきゅうしてしまい、何かかわいそうなものを見るかのような視線を向けてくるねるこちゃんから顔を背けて、話題を変えるためにもさっきから一切喋ることなくバイクに乗った外国のおじさんの旅番組を(こないだ私がプレイステージ5と一緒に買わされた大きなテレビで)見ている冥子ちゃんに声をかける。


「そうだ。冥子ちゃんもたまには一緒に行きませんか?」


「ただの旅行ならいいけど、お仕事でしょう? 変なことになったら面倒だもの、冥子は遠慮しておくわ。それに、今はちょっと忙しいの……どうやらシーズン4ではノー〇ンが日本に来るらしいから、早くそこまで視ちゃいたいのよ」


「誰ですか、ノー〇ンって?」


「今映ってるこの人。ハローキ〇ィのことが大好きなおじさんよ」


 ヤバそうな人だな。どうして冥子ちゃんはそんな変態くさいおじさんの旅番組に夢中になっているのだろうか? ちょっと意味がわからないが、何にしても冥子ちゃんに付いて来る気はなさそうである。

 それから少しの間みんなで謎のおじさんがツーリングを楽しむ姿を眺めていると、現実で車が走ってくる音が聞こえてきて家の前に停まった。

 ねるこちゃんと共に、それぞれリュックサックを手に取って立ち上がる。


「それじゃあ、私たちは行きますね」


「はーい、行ってらっしゃい」


 視線はテレビの画面に固定したままで、冥子ちゃんがひらひらと手を振ってくる。

 冥子ちゃんのおざなりなお見送りを受けた私たちは部屋を出て、じいじ祖父にも「行ってきまーす」と挨拶をして外に出た。


 赤くて背の高い車が家の前に停まっていて、その脇に東根先生が立ってタバコを吹かしていた。助手席に杠葉さんが座っているのが見えたが、シートに寄りかかって目を閉じている。杠葉さんは東根先生とあまり相性がよくないようだし、現場に着くまで眠っているつもりなのかもしれないな。


「おや、思っていたよりも早く出てきたな。本当は私が恋しくて仕方がなかったと見た」


「そんなわけないじゃないですか、一分で準備が済んじゃっただけです」


 ふむ、鼻は高いがお尻はぺったんこという形状をしたこういう車は、確かSUVとか言うのだったか? SUVなんて聞いてもいまいち意味がわからないけど、多分元はスーパー・ウルトラ・ヴァイオレットとかそんな感じで何かの略語なのだろうな。

 私たちが外に出てきてもタバコを吸い続けている東根先生に、ねるこちゃんが訊ねる。


「えっと、それがしも一緒に行っても大丈夫でござろうか? なんでも、かかる費用はすべて持ってもらえると聞いたのでござるが……」


「さくらんぼは大歓迎だ、何粒だって食べられる」


 大歓迎してくれた東根先生に、ねるこちゃんが続けて問う。


「さくらんぼ、でござるか?」


「ああ、そうだ。一応確認しておくが、君はどこの国の出身だ?」


「それがしは日本生まれでござるよ。パパ上はオーストラリアで、ママ上はイタリア生まれでござる」


「そうか、それならば特に問題はなさそうだな」


 そう言って、指の間にタバコを挟んだ東根先生がうんうんと頷くと、ねるこちゃんが怪訝けげんそうな顔をする。


「いったい何を心配していたのでござるか?」


「いやな、私のファンたちは基本的には大人しいやつらなんだが、ひとたびアメリカの手先だと思い込んだら容赦なく攻撃し始める厄介なところがあってね。君の容姿は目立つし、もしも君や君のご家族がアメリカ生まれだったり、アメリカに住んでいたりしたことがあるなら少々危険かもしれないと思っただけさ」


「それは何というか、ずいぶんと過激でござるな。しかし、どうしてそんなにアメリカが嫌いなのでござろうか? 国として嫌いなのはわからなくもないでござるが、住んでいただけの人までを攻撃するなんていうのは中々聞かない話でござるよ」


「疑心暗鬼なのさ、やつらは世の中の悪い出来事はすべてアメリカの陰謀だとかたくなに信じているからな。少しでもアメリカのにおいがする人間は工作員かもしれないと疑ってしまうんだ、ワクドナルドのあいつとか、ケンタくんフライドチキンのあいつとかもだ」


「えーと、何がどうしてそんなことになってしまっているのでござるか……?」


「私の熱心なファンたちは、毎日私から特別な情報が届く有料のメールマガジンを購読してくれているのだが……さすがに毎日ネタを用意するのが大変でね。ちょうど良さそうな時事ネタがあれば、とりあえずアメリカの影の政府シークレット・ガバメントの陰謀ということにしてメールを書いて送っていたんだ。そうしたら、いつの間にか渡米歴がある親戚を警戒して絶縁したりするような連中に育ってしまっていた。もしもやつらが犯罪を犯したら私まで叩かれる恐れがあるし、困ったものだ」


「他人事みたいに言っているところ申し訳ないでござるが、完全に東根氏のせいではござらんか?」


「そんなことはないだろう、私はノンフィクション作家を名乗った覚えはないぞ。私はエンターテイナーで、私が配信しているメールマガジンの内容はエンターテインメント性を重視した完全なフィクションだ、それを真実だと思い込む方がどうかしている。多分、ああいったやつらがカルトなんかに洗脳されるのだろうな」


 まったく困ったものだと繰り返して、東根先生が当たり前のようにタバコの吸い殻を私の祖父の家の庭にポイ捨てした。

 しかし、すぐに「おっと失礼」と言って捨てたばかりの吸い殻を拾い上げて、運転席のドアを開けて車内の灰皿に捨て直す。


「いや、申し訳ない。つい癖でな。ヤマコのを汚すつもりはなかったんだ、どうか許してくれ」


「なんか普段の振る舞いは優雅に見えますけど、東根先生ってちょいちょいアウトローっぽいところがありますよね。実は昔は不良少女だったんですか?」


「まあそうだな、そんな感じだったかもしれない。心霊スポットやらを探検する方が楽しくなってしまって、すぐに不良少女は卒業したのだが……」


「それがしは心霊スポットを探検している人も、十分アウトローだと思うでござるよ」


「む、君はちょくちょく痛いところを突いてくるな? まあ、私の昔の話なんてどうでもいいだろう。もうすぐ日も暮れてしまう、とりあえず出発しようじゃないか」


 そう言って東根先生が運転席に逃げ込もうとするが、マイペースなねるこちゃんが東根先生の車を眺めながら「うん?」と声を上げる。


「どこかで見た覚えのあるロゴでござるな。何々、アストン・マーティン……? それがし、あまり車には詳しくないのでござるが、確か物凄い高級車ではござらんか?」


「え、東根先生ってお金持ちなんですか? 私は好きですけど、そんなに小説が売れているような感じはしませんよね」


「確かにそんなに売れてはいないが、失礼なやつだな。私のファンならば少しくらいは私を持ち上げてくれても良いと思うのだが……とはいえ、この車は普通に買ったわけじゃない。中古車販売をしている知人が特別に安く譲ってくれてね、本来ならば中古だとしても私なんかでは手の届かない値段なんだが、そういった事情があってどうにか手に入れることができたんだ」


「へえ。でも、なんか意外ですね。なんていうか、高級車に興味があるようなイメージがなかったので」


「確かに高級車というか、車自体にそんなに興味がないな。だが、この車だけは特別でね、どうしても欲しかったんだ。最初は私の知人もあまり価格を下げてはくれなかったんだが、まあ粘り勝ちというやつだな」


「あー、東根先生ってラインとかでも凄い鬱陶うっとうしいですもんね……東根先生に粘られたら面倒くさくなって、もうタダで持って行っていいから二度と関わらないでくれみたいな心境になったとしても不思議じゃないです」


「フハハ。古くから生きている大妖おおあやかしともなればそんなものなのかもしれないが、ヤマコは随分ずいぶんと遠慮のない物言いをするな。だが、二度目のブロックはなしだぞ? 今回せっかく交渉して解除してもらったのに、意味がなくなってしまうからな」


「あんまりしつこくされたらもう、次はアカウントを替えちゃいます。どうせお友達なんてほとんどいませんから大した手間でもありませんし」


「おいおい、ひどいな。まるで私がストーカーみたいな扱いじゃないか」


「いや、実際にストーカーですよ! 東根先生が女性で美人なのでヤバさが薄れてしまっていますけど、汚い身なりのおじさんとかだったらもうすでに逮捕されてますからねきっと!? 先生は私に対してそういうことをしてるんですよ!」


「フフ、美人だなんて嬉しいことを言ってくれるじゃないか」


 いつもの胡散臭い笑みを浮かべて、自分に都合のいい部分しか聞こえない特別な耳を持つらしい東根先生がふざけたことを言う。私の隣で、ねるこちゃんが「おおあやかし?」と首をかしげていた。


「さて――実際に時間がないのも事実だからな、話の続きは車内で楽しむことにしよう。ひとまず後ろに乗ってくれ」


 そう促されてねるこちゃんと一緒に車に乗り込むと、車の正面からは見えなかったが後部座席には先客がいた。

 色合いはねるこちゃんと同じ金髪碧眼だが、ねるこちゃんと違って背が高そうなスレンダー体型の美少女だ。ノースリーブの、スカートの長い真っ黒なワンピースを着ている。段々と暖かくなってきているとはいえノースリーブはさすがにまだ寒いと思うのだが、旅行者とかを見ていてもそうだけど外国の人って妙に寒そうな恰好をしていたりするよな。

 とにもかくにも、よく冷光家の車の後部座席でハッチーとバッケちゃんにサンドイッチされている私はいつもの癖で後部座席に真ん中に座った。

 すると、謎の金髪美少女が私を見て、変なことを聞いてくる。


「マキマスカ? マキマセンカ?」


「え? なんですか?」


「マ〇マサンデスカ? マキマセンカ?」


「あれ? さっきと微妙に違ってませんか?」


 謎の金髪美少女と見つめ合う私に、運転席に座った東根先生が振り返って言う。


「気にするな。そいつは毎日延々とアニメばかり見ていてな、すぐに変なことを言うんだ」


「誰なんですか、この子? 顔立ちが整ってますから、妖怪でしょうか?」


「私の仕事道具さ。私の家が代々のろやぶりという仕事をしていることや、私が人形師もしていることは以前にも話しただろう? こいつは小夜さよというんだが、人形師として、そして呪い破りとしての私の最高傑作だ。オークションにでもかければ数百万円の値がつくだろう生き人形に、我が家に伝わる秘術をもちいて本当に魂を宿して付喪神つくもがみ化した。それをさらに式神にして使役しえきしている。戦闘能力こそ皆無だが、呪いや怨霊を身体に封じることができる。そもそも人の代わりに厄を負う形代かたしろとして誕生した人形は、呪いを封じるのに適しているからな。しかも、一時いちどきに全身をけがすほどの大量の呪いを封じでもしない限り、アトリエに帰ればいくらでもパーツの替えがくから半永久的に使える」


「こんばんは! 小夜です! お母さんの娘です! いえい!」


 東根先生の紹介を受けて、急に大声で話し始めた小夜ちゃんが満面の笑みを浮かべてピースサインを私のほおに押しつけてくる。

 なんか見た目こそお姉さんって感じだけど、舌足らずな喋り方だしめちゃくちゃはしゃぐな。元は人形だと東根先生が言っていたし、外見の年齢は当てにならなそうだ。精神年齢はだいぶお子様なのかもしれない。

 東根先生が呆れた顔をして小夜ちゃんに言う。


「こら、せめて姉と呼べといつも言っているだろう」


「はい! ごめんなさい! お母さん!」


 はい! と言ったタイミングでなぜか挙手して、小夜ちゃんが何もわかっていなそうな発言をした。

「呪い、怨霊、付喪神……いったい何の話でござろうか?」と首をかしげているねるこちゃんと並んで、私も首をかしげる。


「最高傑作、ですか?」


「疑う気持ちもわかる。だが、呪いや怨霊を封じる形代としての性能は最高だ。まあ、妖怪までは封じることができないがな」


 製作者である東根先生から性能を保証された小夜ちゃんが、すかさず声を上げる。


「でぃずいずあぺん! ぺんぺん! フーウ!」


「見た目は外人なのに、英語の発音がひどいんですけど……?」


「仕方がないだろう。私が外国人風の容姿に仕上げたというだけで、小夜自身は日本で作られて、海外に住んだことすらないわけだからな」


「でぃすいずあっぽー! べりべりべりでりしゃす! ベッロー!」


「なんか、ミ〇オンみたいな挨拶してますけど……?」


「仕方がないだろう。頭が悪いんだから」


「なるほど……」


 呪いや怨霊を封じる性能は最高だけど、頭は悪いのか。

 しかし、いくら凄い性能を持っているにしても、頭が悪くて大丈夫なのだろうか?


 眠っているらしい杠葉さんが、「ぶ……めら、ん……」と寝言を言った。

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