第5話「――勇者、いいや、脱走兵よ。君を拘束させてもらう、存分に抵抗したまえ」

「――護衛の空きはあるよ、雇われてくれるかい?」


 半ばシルフィを誘導してしまったような気はする。

 記憶がなく、行く当てもない現状、自分に役割が欲しかった。

 怪しげな任務を与えられた勇者とは違う役割が。


「ああ。とりあえず任期は、俺の記憶が戻るまでで良いか?」

「もちろん。ただ、記憶を取り戻した途端に背中から撃つのは、やめてくれよ?」


 シルフィが嬉しそうに笑っているのを見ると、任期を区切ったのは正解だったらしい。彼女は俺に何かを妄信するなと言っていた。子守をしている余裕はないと。彼女が俺を“雇う”と言ったことにも意味があるんだろう。


「……もちろん。記憶を取り戻した後、アンタと敵対していないことを望むよ」

「それはありがたいね。私も君が“人間の国”出身だと嬉しいな――」


 そう静かに俺の瞳を見つめてくるシルフィ。


「……綺麗な瞳だ。その黄金色、かなり独特だね」

「そうなのか……? 自覚はなかったが」

「まさか自分の姿さえ覚えていないわけじゃないだろう?」


 彼女の問いに頷く。言われて分かった。

 俺は、俺の姿を知らない。鏡を見た記憶がない。


「……やれやれ。本当に重症のようだね。

 どれ、鏡くらい造ってやろうじゃないか」


 そう言ったシルフィが宙に円を描く。

 それをクルリと回すと、円は鏡になっていた。


「……魔法か」

「そうだ。根源としては普通にエルフの神の力だけれどね」

「――ふむ、確かに独特だ。俺の顔、というか髪と瞳が」


 瞳の色は、シルフィに教えてもらっていたが、なんで髪は銀色なんだ。

 わざわざ染めていたのか? 記憶喪失になる前の俺は。

 それとも誰かに染められた……?


「……ヤバイな。なんか恥ずかしくなってきた」

「おいおい、自分の容姿じゃないか。自信を持てよ。私は好きだぞ」

「本当に……?」


 こちらの言葉に頷くシルフィ。


「良い色が出ているし、そもそもの顔立ちも悪くない。

 皇帝に気に入られていたのだろう? あいつの趣味だ。

 ――おっと、記憶がないんだったな。すまんすまん」


 懐かしい旧友でも語るみたいに話すものだな、機械皇帝のこと。


「知り合いなのか? 皇帝と」

「まぁな。14年戦争の調停を頼まれる程度には奴に顔が効く。

 おかげで戦う羽目になったけれどね」


 あまり深く聞き込むのは良くないだろうか。

 なにかこう、センシティブな雰囲気を感じる。


「――それよりも、君の名前をどうしようか」


「え? 名前?」

「うん、私の護衛が“勇者”では困るからね。役割ではない名が必要だ」


 役割ではない、名前か……。


「名前なんて必要か?」

「必要さ。私が君の名を呼びたいからな。なんなら名付けてやろうか?」


 シンプルな回答だが、理屈は通っている。

 俺は今からシルフィに雇われるのだ。

 そんな彼女が俺の名を呼びたいというのなら、名前を用意しなければいけない。


「……ジョン、名無しのジョンだ」

「随分と武骨な名前を名乗るものだね」

「不服かい? だが、雇い主といえど名前を変えろという権利はないぜ」


 こちらの言葉に笑うシルフィ。


「当然だ。名前というのは個人のものだからね。変えさせる権利は誰にもない。

 それに名前なんてあれば良いんだ。意味は自然とついてくる。

 君の生きる人生が、君の名に意味を与えていくだろう――」


 ふふっ、本当にいちいち含蓄のある言葉を話す女だ。

 独特の重みがあると感じてしまう。


「それでは、ジョン。これからしばらくはよろしく頼む」

「……握手か」

「名無しのジョンというのもそうだが、常識や知識は覚えているようだね?」


 シルフィの言葉に頷きながら彼女の手を握る。

 冷たくも柔らかな手のひらを、俺は心地いいと感じる。


「ところで、ジョンじゃなかったらなんて名付けるつもりだったんだ?」

「――ふふっ、まだ考えていなかった。ダメだな、勇者と聞くとなかなかね」


 勇者という言葉が誰を指すのか。

 シルフィの中には、明確な相手がいるように感じた。


 そして同時に、それを聞く暇がないということも分かった。


「――出てきなよ。隠れていても無駄だ」


 感じたのは僅かな違和感。川の流れという慣れた音に紛れた石の揺れ。

 そんな音が聞こえ、俺は数回の加速思考を重ね、周囲を見渡した。


 だから分かった。この深い宵闇の中に1人の男が立っていることが――


「……流石は勇者殿だ。この隠密コートはかなり効くと思ったが」


 そう答えた男に向き直る。

 距離としては一足では詰めることができない程度だが、相当に近づかれている。

 ……隠密コートの実力は本物だということだ。


「おいおい、隠密を解いた瞬間に真っ赤っ赤とはな。どういう趣味してんだ?」

「――“陽動”部隊だったからね。それに真紅は私の武運を高めてくれる」


 色の変わるコート、陽動部隊、真紅を好む男。

 ……記憶が戻ったわけじゃない。それでも分かった。

 俺の頭の中に情報が残っていたのだ。


「ッ……お前、剣聖ウォーレス少佐か?」

「知ってはいるんだね、目覚めたての時には虚ろな瞳をしていたけれど」

「どうも記憶を奪われていてな。なんか知らねえか? アンタ」


 こちらの言葉に少し驚いたような顔を見せる剣聖。

 この表情を見ていると、そこまで悪い奴ではなさそうだ。

 まぁ、味方という訳でもないんだろうが。


「勇者としての訓練を受けた精鋭の兵士とは聞いていたが、それだけだ。

 それで、本当なのかな? 記憶喪失というのは」

「ああ、本当さ。それに彼女がテロ組織の首謀者だという嘘も掴まされていた」


 俺の言葉を聞いて、静かに首を傾けるウォーレス。

 決してこちらから視線を逸らさない彼を見ていると優秀な戦士だと分かる。

 ……雨が降り始めてもなお、気持ちが悪いくらいに瞳がこちらを離さないとは。


「――確かに当初の情報との齟齬はあったね。

 私も彼らがテロ集団だと聞いていたが、実際には人身売買組織だった。

 まさかエルフの少年少女を捕えているとは思っていなかったよ」


 ッ、あの村には他にも被害者がいたのか。

 子供たちが捕まっていた……。


「……焼いたのか? 村を焼けというのが指令だったはずだ」

「まさか。敵の退路を断つために火を使ったが、民間人を焼くわけにはいかない。

 まぁ、助けるのに人手は使ったけどね。おかげで君への追手は私1人さ」


 ――1人だと? 確かに他に気配はないが、どこまで本当か。


「それで勇者くん。君はどうして任務を放棄した? なぜ目標と共にいる?」

「……悪いがそのコードネームは捨てた。帝国軍が信用できなくなったからな」


 こちらの回答を聞いて、口元を釣り上げる剣聖。

 まったく、何が楽しいんだろうかな。

 いや、なんとなく分かる気はする――


「――記憶を奪われていたから、ということだね? 勇者くん。

 それで、そこの魔女に懐柔されたと」


 剣聖の瞳が一瞬、俺を外れる。その瞬間にインテグレイトを引き抜く。

 だが、まるでそんなことは見えていると言わんばかりに、剣聖も同じように引き抜いていた。


「ふふっ、勇者殿。正直なところ君とは一度、戦ってみたいと思っていた。

 帝国が訓練した勇者という力、どれほどのものか感じてみたい――」


 剣聖のインテグレイトに光が灯る。

 光線による刃が実体を帯び、降り落ちる雨を蒸発させていく。


「――勇者、いいや、脱走兵よ。君を拘束させてもらう、存分に抵抗したまえ」

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