第108話 偽りの神託

 レイル教皇が話している女神パナケイアの神託には、実は策略が混じっていた。

 話している神託の内容に嘘はほとんどない。

 だが、この神託には教皇レイルも知らない秘密があった。

 レイル教皇がファビアン王に謁見する前日のこと、つまりルイたちが聖都に戻った翌日のことである。



「ルイくん、おはよ。早いね」


「あぁ。ジルニトラのところでは、早い時間に起きる生活だったからな。

 まだ身体が元の生活に戻ってないんだ」


「なんかすっごい早そうな生活してそう」



 ユスティアが嫌そうな顔をして苦笑いをしていたが、そのあとキョロキョロと居間を見渡す。



「いつもなら起きてるのに、ちょっと昨日は飲み過ぎちゃったかな。

 珍しくあの子もけっこう飲んでたのよね」


「……そうなのか。まぁ、なんとなく酒がすすむって日もあるからな」



 ルイが昨日お土産としてもらったパンやお惣菜を用意し、ユスティアと二人で食べているとクレアが起きてきた。

 ルイが部屋を出たときにはまだクレアはルイのベッドで寝ていたのだが、一度部屋に戻って着替えてきたようだ。



「お、おはようございます」


「おはよ。こんな時間まで珍しいわよね。まぁ、たまにはいいんじゃない?」


「そ、そうですね」



 昨夜のことがあるからなのか、クレアがいつもよりユスティアの方ばかり顔を向け、そうじゃないときはお皿に目線をずっと落としている。

 そんなクレアの様子を見て、ルイはわざわざそれに触れるようなことはしなかった。


 朝食を終えて食器を洗っているルイのところに、クレアが下を向きながら寄ってくる。

 黙ってルイが洗った食器を拭き始めるが、少しずつルイの方へと寄ってきた。



「あの、ルイさん? 昨夜のことなんですが…………。起きて、ましたよね?」



 ここで寝ていたというのは、あまりにも不自然。

 何度か言葉を交わしていたことを考えれば、すべて憶えていないということにはできないなとルイは思った。



「若干うろ憶えって感じではあるが……」



 クレアがさっきより下を向いて、金色の髪がクレアの横顔を隠してしまった。



「で、では、その……私の……胸を触ったのも?」



 真っ赤な顔でルイを覗き込んで、クレアが確認してくる。

 クレアに言われてルイの視線は下がり、昨日の感触が思い出された。

 その様子を見て察したのか、クレアが拭いていたお皿を胸の前に持っていって隠す。



「わ、わかりましたから、言わなくていいです」



 少しの間黙って後片付けを二人はしていたが、クレアの方から口を開いた。



「さ、昨夜のことは、ルイさんが約束を守らなかったのがいけないと思います」


「あ、ああ」


「だ、だからですね、二人でお話ししたかったんです。

 そしたら、なんか止まりませんでした。だから、責任取ってくださいね」


「あ、ああ。わかった。そのうち出かける時間でも作ろう」



 ルイの答えがうれしかったのか、下を向いていたクレアが赤くなった顔を向けてくる。

 周りにキョロキョロと視線を送り、一瞬だけ触れるようなキスをした。




 その日の午後、ルイの家にはエリスとアランが来ていた。

 ルイが昨日の段階で話したいことがあるからと、集まるように言っていたのだ。



「シュプリームで話せない感じだったが、話したいこととはなんなんだ?」



 アランが話しの内容を促してくる。

 顔を合わせる機会はいくらでもあるが、それを待たずにわざわざ集まっているのもあり、重要な話だというのは察しが付いているのだろう。



「話はリリスとどうやって戦うのかだ」



 いきなりの内容に、全員に緊張が走った。



「リリスと戦うにしても、闇雲に突っ込むわけにはいかない。

 俺たちは失敗するわけにはいかないからな」


「当然だ。私たちが失敗すれば、ガイアがリリスから開放されることはないんだ」


「そうだな。だから俺たちは、少しでも成功率をあげる必要がある。

 そのためには俺たちがリリスの下まで行くのではなく、誘き出すのがいいと思う」


「誘き出す、ですか」



 まだあまりイメージがつかないのか、クレアが反芻はんすうするように呟いた。



「俺たちが乗り込んだとしても、どれだけの魔物と戦えばいいかわからないからな。

 それこそ体力や魔力が尽きかけたところで、なんてなったら目も当てられない」


「そうね。正直私たちだけじゃ手に負えないかもね。

 軍の力を借りたいところではあるけど……。

 エスピトに私から協力を要請してみる?」


「そうですね。お父様もある程度の事情は知っているのですが、それでもどれだけ軍を動かして貰えるかは……」



 ユスティアとクレアが言うが、どちらも懐疑的な声色になってしまっている。

 だが個人で軍を動かそうと働きかけるとなれば、そうなってしまうのは当然だった。



「まずリリスと戦うには、どれくらいの戦力が必要なのかだ。

 ルーカンに集められた戦力は三〇〇〇〇。

 それを考えるとユスティアとクレアが動いたとしても、三〇〇〇〇からよくて五〇〇〇〇ってところだと思う。

 この数では成功率をあげるのは難しいと思う」


「ならどうするんだ? 三〇〇〇〇でも五〇〇〇〇でも、いるのといないのとでは大きく違うぞ」


「確かにアランの言う通り全く違うが、その違いはほとんど成功率が変わらない違いだ。

 そんな状態で今後のガイアの命運を懸けることができるか?」


「それはそうだが……」


「俺たちがリリスを倒せるかどうかは、状況をどれだけ整えることができるかだ。

 ユスティアとクレアが考えたように、リリスを倒すには協力が必要だろう。

 だからセイサクリッド、エスピトだけではなく、他国からも軍を動かしてもらう」


「各国の軍なんて、どうやって動かすつもりだ?」


「パナケイア教団をエリスに動かしてもらう」


「え? 私ですか?」



 エリスはここで自分の名前が出るとは思っていなかったのか、随分と狼狽えている様子だった。

 クレアたちもエリスの名前があがったのは意外だったのか、目を丸くしている。

 そしてルイは考えている内容を話し始めた。



「エリスには、パナケイアからリリスを討つように神託を受けたと教皇に報告してもらいたい。

 リリスが目覚め、魔神や魔獣が現れるようになった。

 今やブルクは陥落し、その危機は他の国にもある。

 この危機は事実そうだが、その事実を煽って他国に協力を呼びかける。

 そしてこの戦いでリリスを倒せなければ、二度とガイアがリリスから開放されることはないと伝えて連合軍を組織する。

 教団の教皇がセイサクリッドに働きかければ、各国の協力を取り付けるのも可能なはずだ」


「ルイ様は私に、女神パナケイア様の御神託で嘘をつけと仰るんですか?」



 真っ直ぐにルイを見返してくるエリスの声に抑揚はない。

 本気で言っているんですか? っという雰囲気が伝わってくる。

 そんなエリスからの視線を受けてなお、ルイは答えた。



「そうだ」


「ルイさん、それは……」



 ルイは顔色一つ変えずに言い放ち、クレアが心配そうにエリスを見る。

 ガイアの人々にとって、女神パナケイアという信仰が強いことはルイにもわかっている。

 それはきっと、ルイが思う以上の信仰心があるのだろうとルイは考えていた。

 だがそれでもルイは言葉を続ける。



「戦力をどれだけ集めることができるのかは、戦う騎士たちの命に関わる。

 多ければ多いほど、死なずに済む騎士がいるんだ。

 それは俺たちの戦いにも影響する。

 俺たちが負ければ、パナケイアが言っていた通りリリスが消え去ることは永遠にないんだろう。

 だが俺たちは違う道を手繰り寄せることもできる。

 パナケイアはワイズロアで、俺たちがどういう選択をするのかを見ていたと言っていただろ?

 運命は決まってなんかいない。選び取る道を俺たちが選択するんだ。

 そして俺は、リリスを倒すための選択をする。

 全ては俺たちがなにを選択するかだ。神は見ているのかもしれないが、それだけでなにも変わりはしない」



 ルイは返答を待つが、エリスは下を向いて考え込んでしまう。

 クレアたちにも言葉はなく、ただエリスの返答を待つしかできなかった。



「少し、考えさせてください」



 そして神殿へ戻ったエリスは選んだ。

 その結果レイル教皇はファビアン王の下へと向かうこととなったのだ。

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