忍び寄る鶏冠《とさか》

小膳

忍び寄る鶏冠(1/5)

 男がパイプ椅子に拘束されている。


 殴られた顔はどす黒い紫色に腫れ上がり、歯はほとんどが折れ、すでに瀕死であった。


「お前を除いて四人だな?」


 その後ろに立っている別の男が問う。彼が落とす異様なシルエット……モヒカンじみた鶏冠とさかを持つ人型の影が床に落ちている。


 天井で蛍光灯がバチバチと火花を散らした。


「そ……そうだ」


 テーブルには拘束されている男から奪ったスマートフォンが置かれている。後ろに立った男はそれを手に取り、操作した。


〝急な仕事が入ったから遅れる。明日また連絡する〟


 バキッ!

 打ち込んだメッセージの送信を終えると、男はスマートフォンを握り潰し、拳を振りかぶった。


「お前にもう用はない。じゃあな」


 拘束された男は必死で懇願した。


「待ってくれ! 言うことを聞いただろ!? 何でもする、だから命だけは」


 後ろに立つ男は煮えたぎるような怒りを込めて答えた。


「お前はこれまでに他人の命乞いを聞き入れたことがあるのか?」


「う……それは……」


「気にするな。俺もない。オラアア!」


 グシャア!

 拘束されている男の頭が潰れ、脳漿がテーブルに飛び散る!


 真っ赤に染まったスマートフォンの画面には「わかった。必ず来いよ!」という返信が表示されていた――



***



  巨大工業都市、天外てんげ


 まちを覆い尽くす工場は二十四時間休むことなく排煙を垂れ流し、真っ暗な暗雲に溶けてゆく。そして毒性まみれの汚染霧雨となり、地上へと降り注ぐ。


 工業地区が続く郊外から田舎へ出る街道の途中、ワゴン車の後部座席にいたナニーは、ひび割れたアスファルトの道端で野犬が死んでいるのを見かけた。


 ワゴンはふらふらと蛇行しながらその隣を通り過ぎた。


蜜姫ミツキ! おいおい、ジコる!ジコるって!」


「んん~……」


 助手席の女が運転席の男に抱きつき、顔中にキスの雨を浴びせている。


 後ろの席にいたナニーはうんざりした様子で言った。


「夜までガマンできないの?」


 蜜姫は猫のように甘ったるい声を上げた。


「できなぁ~い」


「前もヤリながら走らせて事故ったんでしょ」


「おうよ。フロントガラス突き破って飛び出すと同時に俺らもイッた」


 ハンドルを握っている雷虎らいこが言うと、合法麻薬エル(この世界では麻薬が一部合法化しており、製薬会社が一般販売している)の粉末を吸引していた長髪の男が「ヒュウ」と声を上げた。


「女ァ抱えてどうやってハンドル握ってたんだ?」


「ハンドルは俺が握ってたさ。で、蜜姫には俺のナニを握らせてた」


「お前のハンドルを握ってたわけだな」


 彼らは大笑いした。ナニーだけはうんざりしたような顔だったが。


 改めて車内にいる四人を紹介しておこう。


 運転手の軽薄そうな男が雷虎。


 その恋人で助手席にいるやたらと露出の多い服の女が蜜姫。


 後部座席で合法麻薬エルをやっている長髪男がジブロ。


 その隣にいる眼鏡をかけた控えめな容姿の女がナニーだ。


 いずれも二十代前半である。


 雷虎の懐で着信音が鳴った。ハンドル片手にスマートフォンを取り出した雷虎は眉根を寄せた。


「どうしたの?」


 雷虎は蜜姫にその画面を見せた。


「ブラックドッグの野郎からだ。〝急な仕事が入ったから遅れる。明日また連絡する〟ってよ」


 ジブロが目を見開いた。


「オイ、血盟会けつめいかい幹部の呼び出しだぞ?!」


「俺が知るか。このまま行くしかねえよ」


 雷虎は〝わかった。必ず来いよ!〟と返信すると、ワゴンをUターンさせた。ブラックドッグを拾う必要がなくなったからだ。


 ジブロが合法麻薬エルの吸引器をナニーに回した。輪違製薬の軽度覚せい剤、ドレンクロムだ。


 ジブロが鼻の穴に突っ込んでいたそれをナニーは嫌そうに見ただけで、そのまま蜜姫に渡した。


 蜜姫は自分がまず吸い込み、それから隣の雷虎に吸わせた。すっかりハイになった雷虎がやたらに大きな声を上げた。


「ようし、血族けつぞくになったときの話しようぜ! 最初に殺したのは? 蜜姫」


「両親。ウザかったしスカッとした。雷虎は?」


「職場の上司。いや、そいつの妻か。犯してる最中に死んだっけ。次、ジブロ」


合法麻薬エル薬局の店員。パクった合法麻薬エルドリンクの原液を風呂に満たして浸かったんだよな。ありゃマジで宇宙を感じた。うーん、思い出すだけでもスペーシー……」


 冗談のような内容だが、三人ともありのままを話している。彼らは人間ではないのだ。


 血族――太古より人狼、精霊、妖怪などと呼ばれてきた超常の存在である。彼らは見た目こそ人間と同じで、傍目にもそう振る舞っているが、人外の怪物の末裔なのである。


 ジブロがナニーのほうを見た。


「ナニーは?」


 ナニーはキョトンとした。


「え……私? 私は……あんまり楽しい話じゃないけど」


 ナニーは恥じるように目を伏せた。


「妹とデパートに出かけたとき、どこかの血族が大暴れしてて。そいつから血を授かった。妹を殺されて、その血族は私が殺したけど……」


 血を授かったとは、すなわち人間であった彼女が血族化したということだ。輸血、細胞の移植、修行など家系によって手段は異なるが、血族は吸血鬼のように人間を血族化させることで数を増やす。血族は全員が元人間なのだ。


 ナニーの暗い口調に一同はテンションが下がり、蜜姫が「白ける女」と吐き捨てるようにつぶやいた。


 『ようこそ! 屍捨原かばねすてはらへ』と書かれた看板が見えてきた。集落の入り口だ。


 古いブリキの看板は錆びてボロボロで、風に煽られキイキイと物悲しい音を立てている。


 ワゴン車は給油のために小さなガススタンドに寄った。これまで車窓から見える風景は廃村と荒れ田ばかりだったが、このあたりはちらほら農家が見える。


 車を停めて四人が店に入ると、老いた店主が彼らを睨んだ。余所者に対する警戒と敵意を隠そうともしない店主に、雷虎がへらへらしながらキーを投げ渡した。


「満タンで頼む」


 キーを受け取った店主は不機嫌そうに唸り、新聞を畳んでカウンターを出た。


 ナニーは薄暗い店内を見回した。朽ちかけたカウンターには色あせた絵葉書や雑誌のラックが置かれ、あちこちに行方不明者のポスターが貼られている。


 ナニーは奥のテーブルに先客がいるのに気付いた。表に停まっている軽自動車の持ち主だろう。銀髪の美女で、トレンチコートを着込み、缶コーヒーを飲んでいる。


 彼女はナニーの視線に気付き、微笑みを返した。


「こんにちは。旅行かしら」


 ナニーは愛想良く答えた。


「ええ。このあたりに知り合いがいて」


「そう。気をつけてちょうだい」


 女は壁に張られた行方不明者ポスターを見た。


「子供ばかりをさらって殺す殺人鬼がいるのよ。指名手配リストに乗りながら何年も捕まっていないの。噂じゃ人間じゃないとか」


 ナニーは怪訝そうに相手を見た。


「ふーん。もしかして怪物とか?」


「ええ。怪物はきっとあなたたちの近くにいる」


 ナニーがほかの三人と顔を見合わせると、雷虎が肩をすくめておどけたように笑い、囁いた。


「天外じゃ頭がまともな奴を探すほうが難しい」


 ジブロは女に違法麻薬アイを買わないかと持ちかけたが、彼女はやらないとだけ答えた。


 間もなく給油を終えた店主が店内に戻ってきた。四人でジャンケンをし、負けた雷虎が愚痴りながら支払いをした。


 ナニーは女に小さく頭を下げた。


「それじゃ私たちはこれで。お気をつけて」


「ええ。あなたたちも。気をつけて。怪物はすぐそこにいるわよ」


 女はもう一度微笑みをナニーに向けると、缶コーヒーに視線を落とした。



次回 02/03(00:00) に更新予定! 

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