第五章:人類滅亡へのシナリオ
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「気に入らんな。全くもって気に入らん」
恒例の新宿署内各セグメント連絡会議の休憩時間、須藤はロビーでコーヒーの入った自販機の紙コップを握り潰さんばかりの憤りを感じていた。松尾はそんな彼を諭すように寄り添っていた。
「そんなに熱くならないで下さい、主任。組織が個人の思惑通りにならないのは、いつの世も同じですから」
「別に俺は熱くなってなんかないさ。ただ気にくわないってだけだよ。だって世間を揺るがすような重大案件でもないし、定年間際の俺達に割り振られた
自分らが取り組むべき仕事を達観しているというよりも、むしろ諦めてしまった傍観者の様な言い草を聞いて、松尾は寂しような悲しいような気持ちになった。須藤はこんな刑事ではなかったと聞き及んでいる。もっと熱くひたむきで、狂犬のような獰猛さで仕事に取り組んできた男だったと。それが今、牙を抜かれた老犬のようになってしまっている。彼をもう一度奮い立たせることは出来ないのだろうか?
「大先輩の須藤主任に、私のような小娘が言うのもおこがましいですが・・・ 主任はもっと積極的に仕事に取り組んでくれるものと期待していました。勿論、主任にとっては不本意な仕事かもしれません。今まで担当してきた案件に比べれば、地下の子供達を確保する仕事なんて馬鹿馬鹿しい限りでしょう。でも、どんな仕事であってもベテラン刑事としてのプライドを持って、若造の私を厳しく指導してくれると思ってました。主任はいつからそんなに・・・
松尾に正面から見据えられ、須藤は固まった。そして思わず目を逸らした。いや、逸らさざるを得なかったのだ。自分の娘のような松尾に、イジケた気持ちをまともに指摘され、とても合わせる顔が無い。
「俺は・・・」須藤は言い淀んだ。「君を失望させていたようだね。すまんかった・・・」
彼女とコンビを組んで時が経ち、少しずつ打ち解けてきた結果、つい思慮の足らない言葉を口にしてしまった。
「悪いが定例会議の後半は君一人で出席しておいてくれないか」
「主任・・・ あ、あの・・・」
しまった。プライドの高い須藤に辛辣な言葉を浴びせ過ぎたか? たとえ自分の方が筋が通っているとは言え、後輩が先輩に対して口にして良い言葉ではなかったったかもしれない。そんな思いが松尾を狼狽えさせた。須藤を憤慨させてしまったのではないかと、彼女は気が気ではなかった。彼との関係がこじれてしまったら、自分一人では地下で活動することなど出来ないのだから。
しかし松尾の心配をよそに、須藤は微かに笑った。
「君の言う通りだ、松尾。このイジケたじじぃに、よくぞ言ってくれた。ちょっと外で頭を冷やしてくるよ」
「しゅ、主任・・・ 私・・・」
慌てて言葉を継ごうとする松尾に、須藤は片手を挙げて背中を向けた。みっともない所を見せてしまったという想いが須藤を落ち込ませていたが、それ以上に松尾の落胆した視線を受け続ける自信が無かったからだ。自分の器の小ささに呆れた。松尾の言う通りだ。いつから自分は、こんなにも腑抜けた男になってしまったのだろう。
恥ずかしさのあまり、松尾を置いてロビーを去ろうとした時、廊下の角を曲がって姿を現した浮田とぶつかりそうになってしまった。
「おっ、すまん、浮田」
慌てて須藤をかわした浮田は、その後ろでオロオロしている松尾を認めた。
「あっ、あれ? スーさん、どこ行くんだい? 会議室はあっちだぞ」
「いや・・・ 俺はチョッと抜けるよ・・・ 後半は松尾に任せてある」
そう言い残しエレベーターホールに向かって立ち去った後に、松尾と浮田が取り残された。二人の様子を見た浮田が気を利かせる。
「どうした、松尾ちゃん。スーさんとぶつかったか?」
こう見えても浮田は、配属されたばかりの頃の松尾をSJ3で指導していた立場だ。彼女が窮地に陥っているとなれば、放っておくわけにはいかない。
「い、いえ・・・ ちょっと・・・」
「ははぁん、さてはいつもの癖で、またキツイことを言ったんだろ? SJ2に移る前に教えただろ。スーさんみたいな昔気質の刑事は、上手くおだてながら付き合わないとダメだって。俺みたいなタイプとは全然違うって」
「それは心得ていたつもりなんですが・・・ つい・・・」
立ちんぼになっていた松尾は、再びロビーのベンチにヘナヘナと沈み込んだ。そして頭を抱えそうな勢いで凹んでいる姿を見た浮田は、彼女の向かいの腰を下ろすと「言っちまったものはしょうがないな」と漏らした。
項垂れていた松尾は顔を上げると、浮田を見据えた。そしてアドバイスを求めようと身を乗り出した。
「浮田係長? 須藤主任はあまり、この仕事に熱意を持っておられないような気がするんですが・・・」
「そうなのかい?」浮田だって新宿署に長く務めるベテラン刑事の一人だ。須藤との付き合いだって、松尾の年齢より長いくらいだ。彼が須藤という人間をどのような人物像で捉えているのか興味が有った。
「昔はねぇ、『冷徹の須藤』つって歌舞伎町界隈のヤクザには恐れられてたんだがなぁ・・・ それくらい熱い刑事だったんだよ」
「じゃぁどうして?」
「うん・・・ まぁ・・・ それは色々とね・・・」浮田は松尾の質問には答えず、質問を返す。
「どうして警視庁の刑事達が地下に詳しいか、君には教えてあったたかな?」
松尾は首を振った。
「でも須藤主任からは、昔、ヤクザが麻薬を隠してた事が有ると窺ってます」
「そう。ヤクザだけじゃない。凶悪犯や窃盗犯、不法就滞在外国人が潜伏していたことも有ったんだ。だからスーさんみたいな四課だけじゃなく、他の課出身の刑事たちも、それなりに地下を知っているってわけさ。一度なんか、行方をくらましていた政治献金疑惑の渦中にある代議士秘書が、地下で射殺された事件が有ってね」
「政治献金がらみなら、浮田係長のいた捜査二課ですよね?」
「そんな単純に割り切れないさ。あの事件では犯人が持ち逃げした金が暴力団に渡ったらしいってことで、『捜査を主導するのは四課だ!』って、どこかの厳つい刑事さんが二課に怒鳴り込んできたことが有ったよ。ハハハハ。勿論、私達は彼の
そうそう。そういった姿こそが須藤に重ねられたイメージだ。犯人を挙げるためならば、身内にだって咬み付くのが須藤という男だったはずなのだ。
「それで須藤主任は、いまだに浮田係長の事を良く言わないんですね?」
「はっはっは! 私がスーさんに嫌われていたことは知ってるが、まだ許してくれてないのか? まいったなこりゃ。わっはっは」
「で、その事件はどうなったんです?」
「実はそのガイシャが就いていた代議士が、総理経験者の息子、小柳進次郎だったんだ」
「小柳進次郎って、大した実績も政策も無いのに口だけは上手くて、若くして官房長官に抜擢された?」
「そう、あの男さ。あの当時、愚策に失策の上塗りを繰り返し、国民の信頼を完全に失っていた自由党は若手ナンバー1である進次郎と、その妻である元美人女性アナウンサーの人気頼みというお粗末な状態だったのさ。だが当の本人は大臣職などに抜擢されたもんだから、中身が無いことが徐々にバレて雲行きが怪しくなり始めた。だって国政に関わる重要案件に関しては、いつだって自分の態度を明示することを避けてきたんだもんな。それを周りは『進次郎は慎重派だから』と勘違いしてくれていたんだが、単に何も考えていなかったってことに世の中が気付き始めちまったのさ。で、これ以上、彼の経歴に傷が付くことを恐れた党幹部の意向によって完全に握り潰された形だな」
「はぁ~ぁ・・・ 警察官なんて所詮、権力の犬でしかないんですよねぇ。彼ら雲の上の人達のご機嫌を損なわない範囲を越えて、正義を成すことはまかりならぬ・・・ てね」
「やっぱ顔に似合わず辛辣だなぁ、松尾ちゃんって」
「だって権力者や警察組織を守るためなら平気で嘘をつくし、市民を裏切るし、都合の悪いことを隠蔽したりなんて日常茶飯事じゃないですか。都合の悪い捜査資料はシュレッダーに掛けちゃうし、パソコン内のデータだって『復活できないと聞き及んでいる』で済まそうとする。私だって初心な子供じゃないから、警察にそこまで盲目的な理想を抱いていたわけじゃないんですけどね・・・。確かにあの事件、ハッキリしないままニュースにも取り上げられなくなったなぁ」
「あぁ、秘書だけが罪を背負って、その背後の闇はうやむやのまま幕引きさ。勿論、あの当時の官邸からは、警察だけじゃなくマスコミにも強力な圧力が加えられていたらしいね。知ってるかい? あの頃の日本って、先進国では最低レベルの報道自由度だったんだぜ。殆ど独裁軍事政権や共産主義国家なみの言論統制だったんだ。一番笑えるのは、その当時の国民が自国の惨状に全く気付いていなかったってことかな」
「そんな・・・ 検察は何をやってたんですか? 権力の暴走を止められるのは検察だけじゃないですか」
「検察だって言いなりさ。そんな状態だから政府はやりたい放題。国民への説明義務を果たすことも無く、勝手な解釈で勝手なことやる。それでも飽き足らず、遂には憲法まで書き換えて、一時はお隣の韓国と開戦直前にまで行ったんだ。今にして思えば、あれこそが『暗黒の時代』だったってなもんさ」
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