Jitoh-32:極限タイ!(あるいは、取る物取り敢えず/エストレモストラテジーア)


 追い込まれてきてる感……のっけからうまくやられた感がずるずると。


「……」


 ずんめり肺奥に吸気と共に侵食してくるかのようで。流石の鉄腕もその初見初体験の第一投は精彩を欠いてしまい、とりあえず奥辺に在った日之影の青球に当てたは当てたが、軌道が真っすぐ過ぎて、奥壁に押し込んだ青球はそこから跳ね返ってくると鉄腕の赤球を逆に弾き返すという結果に。そして中途半端な場所に浮いたかのような赤球をこれまた高鍋か高原かだかが敵ながら癪なほどにきっちり奥のポケットに沈めるという連携……やっぱ慣れてるような気がしてならねえ。こいつら運営の息がかかった輩とかいう可能性はねえよな?


 詮無いことを考えてる場合じゃねえ。ここ一番で乾坤一擲をカマしてくれるJ村くんも、狙いがいまいち分かっていないようで力任せの一撃を放って青球に当てるは当てることが出来たが落とすまでには至らず……さらには投げた自分の手球は乱反射した挙句、手前の穴に吸い込まれていく始末……ひでえ流れだ。これでこっちの赤球は投げた三球全部がアウトしてしまったことになる。盤上には二つの青球が奥辺やや左と、右辺中央あたり、狙いにくそうなところにまた場を囲むクッションにくっつくようにして転がってやがるよ……それを見ての最後の青の投擲者は余裕の緩やかなフォームで投げ転がすが。


「……?」


 失投か? 右辺やや奥に接するかのようにあった自陣の青球にぶつかったぞ? が、


「……!!」


 するすると、投げ放った青球も、右辺にあった奴を追っていくかのように滑り転がり、奥の右コーナーポケット目掛けていく。自爆か? とほくそ笑んだのも束の間、穴の前に絶妙な感じで二つの青球が並んでつかえるかのように止まった。穴を、塞ぐかのように。


 いやな、予感がする。


<優位を築いてからは盤石に防御に徹するという構えか。定跡。ゆえにちと厳しいな>


 俺の右隣の隣で鉄腕がそう聞えよがしに、おそらくは俺とジトーへの注意喚起の意味合いで言ってくるが。時すでに遅し感は否めねえ。築かれつつある……勝ちへの布石って奴を。粛々と。


「!!」


 残るは摩訶不思議Jパワーに委ねるしか無さそうだが、右手側の奴からは右奥の球は狙いにくそうだ。穴は奥へと引っ込んだ所にあるし、その手前にはクッションが伸びていて遮られている。しかも敵方の青球二つの位置が絶妙に穴へと通ずる場所、クッション同士が直角に並んだそこにわずかの隙間だけ残して接するように鎮座している。本物のビリヤードでも陥ったことのある、「強めにブチ当てて両方とも力づくで押し込んでやろうと思ったら乱反射して跳ね返された」……そんな時のような感じだ。Jの字にとってはいちばん相性が悪い局面。であれば……


 俺が行くしかない。左端ボックスの俺からだと、右奥コーナーポケット前に横並ぶ青球への視界はクリアーだ。そこまでに遮る球も無え。が、が、だよな……そこからの絵図が描けねえぞ……片一方の青球にだけ薄く当てて穴へ落とす……? うぅぅん、ミリでの軌道取りを問われる投擲かよ、しかも約三十メートルくらい先のときた。


 軽い絶望感に覆われそうになった気分を一度リセットしようと、場に背を向けて膝屈伸をカマしてみたら、後方でこちらを心配そうに窺っていたエビノ氏と国富が、俺の窮状を汲み取ってくれたのか、例の胸元がばっくり開いた水色と黒色のスーツの狭間から双球を覗かせつつ、水色の左球と黒色の右球をぷにと寄り添いくっつけ合わせた挙句、双方上目遣いで「こういうこと……?」みたいな感じの目顔で問うてくるがいや違うだろ。それだと四つだ。いやそうじゃないな、そこじゃない……


 軽く混沌に引き込まれそうになった俺だが、凝り固まった頭と身体に、海綿体経由での新鮮な血流が行き渡った気がした。


「リーダーどんッ!!」


 そんな高揚感を散らすかのように右横手から要らん野太声がいいのか悪いのか分からんタイミングで入るが。何だよ。


塊球かたまりだまは任せるでごんすッ!! リーダーはひとつでも『残す』流れをッ!!」


 喋り方はままならねえもののこいつ……やっぱり結構考えてんのか? その巨顔の上の巨大そうな大脳でよぉ……


 諸々、気合いは入った。チームメンバーへの助言はペナルティだよぉ、とか壮年実況に制されて、当の角刈りは何か水風船がそこかしこに付けられたベストみたいなのを着せられているが。何やそれ。が、


 野郎がそこまで言うんだったら信じるしかねえ。託すしかねえよな。俺は「残す流れ」……各自三投が終わった時から始まる「サドンデス」に備えた投擲を、


 ……しなければなるめえ。


 奥辺のやや左にぴったりに止まってやがる、日之影の第一投……狙いはそこだ。と言っても「落とし」を狙うわけじゃあねえ。


「……」


 寄せてやる。


 もはや安定も安定過ぎて普通に立っているよりも座りがいいんじゃねえかくらいの俺の投擲フォームは、叩き込まれた基本中の基本、「真っすぐ投げ」を愚直にするために、何万回と投げ込んで身につけたものだ。球の材質・重さが変わろうが、転がすフィールドの材質が変わろうが、「真っすぐ」の感覚は、初見でも九〇パーくらいの精度で、さらに一球投げればミリ単位の調整・修正は可能なんだよ。この二投目からが……


 勝負だこのやろう。


 指先から離れた赤球はするすると、限りなく静音を保ったまま緑のラシャの上をぶれずに進んでいく。狙いは日之影ヤロウの青球の、


「……!!」


 右隣。微妙な右回転をかけていた赤球は、奥面のクッションに柔らかくぶつかり弾き返されると、青球にそっとキスをするようにその傍らに寄り添ったのであった。ふっ、これが本当のキスショットだぜ……?


 要らんキメをしてしまったかに思えたが、周囲ギャラリーの中には相当目の肥えた人間たちもいるらしく、控えめながもおおぅ、というようなどよめきが響き渡った。


 この位置なら、そう簡単には落とせないだろ。真横のコーナーポケットを狙うにしても、右側は例の二つの「塊球」状態で塞がれているし、左には日之影の放った青球が密着している。手前側に引き戻す? ビリヤードの達人ならバックスピンを強烈にかければそれも可能かも知れねえが、今はそのひと回り大きな球でなおかつ重量もある。さらにはそれを手で投げると来てるわけだ、手首がめちゃくちゃ強くて鬼のようなスナップが掛けられる奴じゃないと無理だ。


 よし、これでひとつは残せることになるぜ、とか考えた俺だったが、その読みが甘かったことをすぐさま知ることとなる。


「……」


 また殊更の余裕ヅラでさして時間も使わず青球を放った日之影の、投擲軌道を目で追った俺だが、それが右奥のポケットを一直線に目指していることに気付いたその時には、


「……!!」


 わざと強めに当てにいったか……? 穴前に横並びの二つの青球のその中央付近に吸い込まれていったかの日之影の青球は、衝撃を与えた二つ球を穴前の「通路」で乱反射させ、その振動の間に自らをねじ込むかのようにしてその隙間に押し入っていったのであった。


 三つ球……密だな……とか思うとる場合じゃねえ。より盤石なバリケードが築かれちまったじゃねえかよ。やっぱり奴ら側からしたらこれ以上の「攻め」は不要ってわけか。防御に徹しちまえば、その数の多寡での優位さえ保てば、押し切れると思ってるわけだな?


 軍曹やばいぜ何か策ねえかよ……と、すがる思いで右手側、目にうるさい白色で毛先水色の野郎の長髪を挟んでその向こう側、車椅子の上で黙考してるかのような鉄腕の横顔が窺うが、ん? 何か呼吸が不規則じゃねえか……?


 左手で赤球をまた眼前を横切らせる「儀式」の途中だったが、いつにない手の震え方だぞ大丈夫かよおい……


「!!」


 とか息を止めつつ見守っていたら、怖れていたことが。


 前にくずおれるようにして一瞬、痙攣のような動きを見せたその痩せた身体から、赤球は無情にも転がり落ちていってしまったのだった。こういうことが、練習の時もよくあった。その度に何ともないみたいな素振りで全部交わされちまったが。こいつはこいつでいつもいつだって極限状態でやってんだってことを痛烈に今また感じさせられてきやがる。くそぅ。


 かろうじて鉄腕のボックス内に落ちたその球は、力無く漂うかのようにしてだったが、何とか場を囲む「枠」の上を転がり、ラシャの上には落ちてくれた。いや、


 それよりも容態が危ぶまれる……ッ!! だが駆け寄ろうとした俺の視界には、背を丸め込んだ姿勢ながら、奴の震える左掌が既にこちら向けて差し出されていたわけで。出るなってことか。勝負をまだ……諦めるなってことか。慌ててボックス内に入ろうとした女子二名を、今度は俺が身振りで引き留める。何か言いたそうな天使の切なげな表情が俺の何かを貫こうとしたがそこは耐えた。そして二人共そこに留まってくれた。しかして窮地。


 ちくしょう……全てが悪い流れ……こうなったら……こういう時こそはもうそういう空気を絶対読まないマンに委ねるしかねえ……ッ、頼むぜJJッ!!

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