Jitoh-30:大概タイ!(あるいは、コンフェしようね!/明日もバッチォ)


 よお、眠れねえのか? と自然に声を掛けられただろうか。振り返った国富は風呂上りなのかまだしっとりとした髪を艶めかせつつ、あ、うん……とそんな素の返事をしてくるのだが。いつも見せる「快活」って感じは潜んでいて、これがこいつの本来なのかもな……とか勝手に思っていると、一瞬目が合って、ゆっくりそれを逸らされる。


 何かの拍子で二人きりとかになると何故か最近はぎくしゃくしてんだよな……これといった自覚は無いんだが、いや分からねえ。俺も大概ではあるし……んんんん、まあいい機会かも知れねえ。サシでじっくり話すっつうのもいいかもな……と誘ってみたら、ええで、飲み足りなかったし、といつもの普段な感じに戻って言われた。


「……なんやろ、勝利に乾杯、とかやろか」


 深夜零時を過ぎているからか、二階の隅の方に在ったバー……ホテル規模にしちゃこじんまりとしたつくりのそこは暖色の照明を極限まで絞っているようで自分の身体もうっすら輪郭が見える程度だ。カウンターには先客がひとりいるだけ。ラフ過ぎる俺らの恰好を見てもまったく表情も声色も変えない結構若く見えるバーテンダーに促され、俺らは窓際の四人掛けの席のひとつに促される。ほどなく出て来たおすすめカクテルとやらの細いグラスを触れさせながら国富はやっぱフラットな感じで言ってくるものの、おお、という気の利かない言葉しか吐き出せなくなっているのはやっぱ何でだろうか。


 周りの薄闇がこの沈黙を助長しているようでいたたまれなくなった俺は殊更に軽い感じで延岡がジトーのドッペルゲンガーである説などをぶち上げてみるのだが、軽く笑って頷いてくれるだけであまりいつものキレが無えな……とか、傍から見たら馬鹿かと罵倒されそうな状況であることは大脳の片隅では感知しているものの、本日の疲労とアルコールの廻りによって俺はもう限界なんだよ……いつの間にか沈黙静寂も心地よくなってき始めてやがる……と、


「私な、この一か月くらい、すごぉ楽しかったんや」


 グラスを身体の前で摘まんだままの少し俯き加減の国富から、そのようなエセい感じながらも飾り気の無さそうな言葉が漂ってくる。


「……せやからそれが終わってまうのが、めっちゃ寂しい」


 それを受けての俺は、手元の甘い割には芯に響いてくるとろみがかった液体を流し込むことしか出来ねえ。


「でも楽しぃ楽しい言うてるだけの私がなんや……あかんな思てきてて。軍曹もヒナコもやっぱ色々抱えとるもんあるやん? 普段は全然意識させてこぉへんし、私もそんなん何も気にしてへんけど。それでもな、やっぱ何かあんねん……」


 空のグラスを俯いた目線の中で意味なく揺らしながら、薄明りにかろうじて照らされたその顔は、今にもくしゃっと歪みそうだった。から。


「国富はよぉ、他人を思いやり過ぎなんだと思うぜ。悪いことじゃあ全然ないんだけどよぉ、もっとエゴく振る舞ってもいいんじゃねえかと俺は……まあ俺が言うのもなんだけどそう思う」


 酔いに冒されていく大脳で、どれだけの言葉を出せたかもはっきりはしねえまま、それでも俺は思ったままのことを音声に変換して紡いでいく。視界の左隅からこちらを真っすぐに見つめているだろう視線の方は見ないでおいたまま。


「私、福祉やってても、全然寄り添えてないんだよ……思いやってなんてないよ、『私がこの人を助けてあげてる』とか、そういう目線でしか見れてないんだよ……」


 いいんだよそれで、と初めてそこで俺はその泣きそうな顔に向き合いながらそう言う。


「そんくらいの、しょうがねえなぁみてぇな感じで接すりゃあいいんだよ。取り立てて意識することも、逆に無理に意識しないフリをすることもねえんだ。誰にでも度し難い何かはあるんだからよぉ」


 考えてみても始まらねえ。考え無しに度し難いことを口走っちまうのは俺のあかんところであるものの。それ込みで遠慮なくかまし晒しちまえばいいんだよ。誰に何思われようとそこはもう逐一考えていたら何も出来なくなっちまうからよ。


 そんなことを回ってない呂律と大脳にて、それこそ遠慮も何もなく垂れ流す俺ではあったが。


「……リーダーは考えてるでしょうに。ヒナコのこととか、軍曹の想いとか、将来のこととか? ベルギー行っちゃうんだね。スイスに行く人たちもいれば、それに付いていっちゃうだろう角刈りな人なんかもいたりして。なんか、私だけ取り残されちゃうなぁ……」


 国富は視線をくるりとわざとらしく回しながら、無理やりに笑みみたいな表情をつくってみせる。ふわり漂ってくるかのような息遣いと共に流れてくる素の言葉はやはり自然で、それだけに何も反応できなかった。さらには、


「もうさ、この際だから言っちゃうね」


 吹っ切れたかのようなその顔に、視線が引き込まれて外すことの出来ない俺がいる。


「私……私ね、初めて会った時からリーダーのことが……好き、だったの。声かけてきてくれた時からずっと。何でだろ。何でかは分からないけどそうなの。それで、それからずっと毎日会ってたでしょ? その間じゅう好きが収まらなくて、それで……」


 今はもうどうしようもないくらいなの、と続けられた言葉は、俺の奥の奥の方を貫いたかに思えた。痛み。それは分かっていた。俺が分かっているってことも知りつつ、国富はあえてこの場でそう告げてくれたんだろう。


「……」


 俺がうまいこと拒否しやすいように、かわしやすいように。馬鹿だろ、そんなのよぉ……


「……リーダーがヒナコのこと思ってるって知ってて言ってるんだ。どう? 私にも少しはエゴいこと言えたでしょ?」


 違ぇよ、逆だろうが。だったら何でそんな優しい目をして笑ってられんだよ。


「……俺は」


 ああー、もういいからいいから、やっぱやめやめ。この話はもうこれでおしまいやで。明日のためにもういくら何でも寝た方がええなー、との言葉にも、わだかまりやわざとらしさを滲ませないまま、国富はす、と立ち上がると俺を促す。


 封殺されちまった。どこまでも相手のことを考えすぎだろうがよ。が、が、それでも、何かは言っておかなきゃあならねえ気はもちろんしていた。エレベーターの中では明日の試合の予想とか、そんな話に終始リードされちまったが。それでも。それぞれの部屋への帰り際、


「……勝とうぜ。俺ら五人で。話はそれからだしよ」


 いや、あかんな俺ェ……が、そんな度し難い言葉をこの期に及んで繰り出す阿呆な俺に乗っかってくれるかのように、はい熱血いただきましたー、と軽くあしらわれるが、それは妙に心地よい空気感なわけで。


「だいじょうぶだって。いろいろ話せたからもうだいじょうぶ。よう寝てな? 私も明日からはエゴ全開で行かせてもらうさかい」


 振り返った国富は、いつもの国富だった。俺が信頼している、いつもの。よ、よーしよしよし、気合い入れろよぉぉぉ……ッ、やってやるぜぇぁッ、明日もぉぉぁぁ!!


 とか、諸々を熱血でいろいろ誤魔化そうとしようとした、


 刹那、だった……


 あ、そうや忘れとったわ、との言葉と共に、廊下を引き返してくる国富の意外に素早い動きに酔いがいい感じで回っていた俺はまったく対処できなかったわけで。ぐいと近づいてきた顔には、何というかの悪戯っぽさ全開の含み笑い気味の、思わず目を奪われる何かがあったわけで。瞬間、固まってしまった俺の口元をついばむかのようにしてもたらされる、柔らかな感触、香り……


「……予選のブービー賞やで」


 囁かれた吐息混じりのその言葉も、大概過ぎねえか、オイぃッ!! だぁから寝れねえじゃあねえかよぉぉぉぉぉこんなんじゃよぉぉぉぉぉッ!!


 慟哭。

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