第45話 宵の謀・後

「下女の皆さんは、夜お見掛けしませんが、一体どちらにいらっしゃるのでしょうか?」


 瀬崎宵せざきよいは、下女の清華せいかを部屋に招くと、開口一番にそう訊いた。

 あまりに唐突な宵の質問に、清華は目を見開く。


「あの……私は廖班りょうはん将軍から、敵国への間者を選ぶ為に軍師殿が呼んでいる……と聞いていましたが……? 何故、下女の動向などお訊きになるのでしょう?」


「いいですか? ここでの話は他言無用でお願いします」


 宵は辺りを警戒しながら念を押すと、清華は何かを悟ったように素直に頷いた。


「私は下女の中から間諜を選ぶつもりはありません。貴女達を危険に晒すつもりは毛頭ないのです。ただ私は、劉飛麗りゅうひれいに……飛麗さんにもう一度会いたい……居るんですよね? 飛麗さんは、ここに」


 宵の告白に、清華は大きな瞳をパチクリさせ、深呼吸した。


「居ます。あの方は、病に伏せているわけではありません。廖班将軍に存在を隠せと命じられ、先程は仕方なく嘘を申しました。どうかお許しください」


「いいんですよ。他の方々が口を噤む中、清華さんだけは自ら“申し上げられません”と答えてくれました。それは、飛麗さんが居るという事に他ならない。それで私は飛麗さんの存在を廖班将軍に隠すように言われてるんだなと確信していました。だから私は、貴女をここへ呼びました。私のはかりごとに協力してくれると思ったから」


 そこまで言うと、清華はハッとして急に床に膝を突き、そして、額を床に付けた。


「嗚呼、軍師殿。その洞察力、感服致しました。わたくしも、劉さんを廖班将軍から解放して差し上げたいと思っているのです。その為なら、例えこの命が尽きようとも、軍師殿に協力致します」


「頭を上げてください。“解放したい”とは、やはり拘束されているのですか?」


 そう訊ねながら、宵は床に額を付ける清華の手を取り立ち上がらせた。


「はい。わたくし達下女は、毎晩、廖班将軍のお部屋に呼ばれ、30名の中からその日の気分で何名か選ばれ夜のお相手をするのです。それは、廖班将軍がこの高柴こうしに来てから毎日です。荒陽こうようにいらっしゃった頃は、奥方様がいらっしゃったので、下女を相手にする事などありませんでしたが、奥方様を荒陽に残してきた今は、下女を代わる代わる夜の相手にするのです。……勿論、皆不本意です。毎晩泣く者もいます」


 昨晩、廖班の部屋から聞こえた喘ぎ声は下女達のものだったのだ。予想はしていたが、その廖班の行動に宵は激しい嫌悪感を抱く。


「……やはり、そういう事だったのですね。それじゃ、飛麗さんも……」


「いえ。わたくし達下女は皆、廖班将軍に抱かれておりますが、劉さんだけはそれを頑なに拒絶し続けております」


「え??」


「劉さんは意思の強い方です。下女が主人に逆らえる筈がないのに、廖班将軍との交合だけは絶対にしない。力ずくで寝台へ連れ込まれても、廖班将軍をはたいて部屋の隅に逃げる程です。勿論、そんな事をしたら廖班将軍に暴力を振るわれます。でも、劉さんだけは特別なのか、廖班将軍は手を出さず笑っておられました。でも、その反抗的な態度のせいで、劉さんは他の下女達よりも監視が厳しく、一日中廖班将軍の部屋に監禁されているのです」


 劉飛麗が廖班にまだ抱かれていなかった事実。それと同時に知った下女達に対する酷い扱いと劉飛麗の監禁。宵の廖班への怒りは最高潮に達した。


「酷い……、清華さん、本当にお辛い日々を送られて来たのですね。話してくれてありがとうございます……でも、どうして私に話してくれたんですか?」


 素朴な疑問。助けて欲しかったにしても、話した事もない宵に、廖班の行いを密告するのは危険過ぎる。宵が廖班と繋がっていたとしたら、清華はタダでは済まない。


「わたくしは、劉さんには荒陽にいた頃から良くして頂いておりました。下女の仕事を教えてくださったのも劉さん。お慕い申し上げておりました。そんな劉さんが、高柴に来てから廖班将軍に自由を奪われているのを見るのが、私には耐え難かったのです」


 宵は黙って頷く。


「そんな時、劉さんが言いました。“宵様は信頼出来る。今の状況に貴女が耐えられなければ、勇気を出して相談しなさい”と」


 清華は張り詰めていたものが切れたように、涙を流し始めた。そんな清華を宵は優しく抱き締めた。


「飛麗さんがそんな事を」


 嗚咽を漏らして泣く清華の頭を、宵は優しく撫でた。そして口を開く。


「下女から間諜を選ぶ……。本当は、飛麗さんを助ける為に仕掛けたはかりごとでした。でも、今の話を聞いたら、貴女も、他の下女の方達も放っておく事なんて出来ないな……」


 宵は清華の両肩に手を置き、そしてその涙に濡れる顔を見つめる。


「必ず、皆さんを助けて差し上げます」


 宵は笑顔でそう言った。

 その笑顔を見た清華は、袖で涙を拭い、宵の瞳を見つめた。


 これで劉飛麗奪還の第二段階目が整った。後は明日、最終段階を実行するだけだ。



 ♢



 翌朝の定例軍議。

 宵は誰よりも早く議場にいた。

 続々と後から議場に来る将校達が皆一様に驚いた顔で宵を見る。それは、宵が早く来ていたからだけではない。未だかつてない闘気を纏った宵に驚いているのだ。


 いつも通り遅れて入場して来た廖班が部屋の奥の席に着いた。


「では早速軍議を始めよう。まずは、間諜の進捗から聞こうか、軍師」


「はい」


 宵は一歩前へ出る。


「まさか清華に間諜の素質があるとは思わなんだ。して、敵国に放つのはいつだ?」


 昨日、清華と話してからすぐ、他の下女達とも話したが、廖班を恐れてか清華のように現状を訴える者はいなかった。宵は一先ず、廖班に清華を間諜に選んだ旨を報告に行った。その時の廖班は清華が密告したとは露知らず、機嫌良さそうに清華を間諜にする事を快諾した。


「教える事がまだ沢山ありますので、あと5日はかかります」


「5日か。まあよい。間諜に関しては全て軍師に任せる。好きにしろ」


「それと廖班将軍。もう1人、間諜として頂きたい下女がおります」


「何だと? 何故昨日、清華を選んだ時に言わなかった?」


「あの時はそこに彼女は居ませんでした・・・・・・・・・・


 その宵の発言に廖班の目の色が変わる。


「馬鹿を言うな! 下女は全員集めたのだぞ!?」


「劉飛麗が居ませんでした。隠さないでください。居るんですよね? 将軍の部屋に」


「なっ! 貴様、そんな事誰が!? ……そうか、清華だな!? ふん! そんなデタラメを、軍師ともあろう者が信じるのか?」


「信じます。劉飛麗が居ないと嘘をついて清華に何の得がありますか? 尤も、劉飛麗を抱きたいが為に、一日中部屋に監禁している廖班将軍は、劉飛麗の存在を私に隠したいのかもしれませんが」


 宵の告白に黙って2人のやり取りを聴いていた将校達がザワつく。

 すると突然、廖班は卓を思い切り叩いた。


「無礼だぞ!! 貴様!! 軍師だからと言って、偉そうに!!」


 激昂した廖班は腰を上げ、宵の目の前に来ると腰の剣を抜いた。鈍い銀色に煌めく冷たい刀身が宵の首に触れる。

 その廖班の行いを咎める将校達。しかし、廖班は怒りに我を忘れ聞く耳を持たない。

 宵は冷や汗をかきながらも廖班を鋭い眼光で睨む。


「私を殺すのですか? 私を殺せば廖班将軍は朧国ろうこくに勝てませんよ。華々しい昇進が消えてなくなりますよ?」


「き、貴様など居なくとも、この後、呂大都督が100万の大軍勢を引き連れやって来る。そうなれば、朧国など一捻りだ! 貴様も不要となる!!」


「ああ、100万の大軍勢。それは諦めた方がいいです」


「何だと!? どういう事だ!?」


 迷いのない宵の発言に廖班は目を見開く。


「この国は久しく戦をしていない。故に、兵の調練は疎か、将兵は行軍にも慣れていない。ましてや、都・秦安しんあんから葛州かっしゅうまでは何百里と離れています。しかも道中山を越えなければならない道のりです。100万もの大軍勢を、ここまで連れて来るのは至難の業。さらに、あと一月もすれば雨季です。私の予想では半分も来ないでしょう」


「なっ……! 馬鹿な」


「私を斬れば、廖班将軍は景庸関けいようかんを奪還出来ずに朧軍に敗北するでしょう。ですが、私の兵法があれば、必ず朧軍を倒せます」


 必ず勝てるなどとは勿論ハッタリだ。だが、廖班の如き俗物の小人には、戦に勝てず、昇進出来ない事が一番の不安材料だという事はこれまでのやり取りで把握してる。

 案の定、廖班は舌打ちをして剣を鞘に戻した。


「劉飛麗は監禁しているのではない。あれは俺の下女だ。俺の世話を焼かせているだけだ。其方も知っているだろうが、あれは優秀だ。手放したくはない」


「優秀だからこそ、間諜の仕事も務まるのです。私は、閻帝国の為に進言しています。ですから、劉飛麗の監禁を解き、私にお貸しください。任務が終われば必ず清華も劉飛麗もお返し致します」


 しかし、愚かな廖班は尚も駄々をこねる。


「……劉飛麗だけは渡さん! 他の下女なら全員くれてやる! だが、劉飛麗、あの女だけは俺のものだ!」


 呆れてものも言えない。宵は溜息をつくと、廖班最大の弱みを突く事にした。


「そうですか。では、私の存在を荒陽太守・廖英りょうえい様に御報告致します。どうなるか、お分かりですね?」


「それはやめろ!!」


 廖班は先の賊軍討伐の戦功を独り占めにした。しかし、それは明らかに宵の献策があってこその事。しかもその時の宵の立場は得体の知れない国から来た捕虜。そんな捕虜に献策を任せた事を上官に当たる廖英に報告せず隠蔽している事実を露見されたら廖班の信用は失墜するだろう。高柴太守の座を狙う廖班にとってはそれは是が非でも避けたい筈だ。


「ならば私の願いを聞いてください」


 宵は廖班の目を執拗に追いかける。その視線から逃れようと、廖班の瞳は上下左右に揺れている。


「おのれ……卑怯な……」


「廖班将軍!」


 宵と廖班のやり取りを見兼ねた李聞りぶんが口を挟む。


「もうおやめください。女一人に拘って国を潰すおつもりですか? そんなに女が大事なら、荒陽に戻り、どうぞご自由になさってください。朧との戦は我々で引き継ぎます」


「何だと李聞! 貴様、軍を乗っ取る気か!?」


「将軍が女にうつつを抜かしていては勝てる戦も勝てません。我々は命を懸けて戦おうとしているのです。軍師だってそうです。皆が命懸けで臨む戦に、貴方のそのよこしまな心が支障をきたす! 戦うなら下女を解き放ち、遊ぶなら荒陽へ帰られよ!!」


 李聞のド正論に、廖班は指をさして何か言い返そうと口をパクパクさせていたが、結局言葉は出て来ず、肩を竦め自席に座った。


「分かった。面倒事はごめんだ。劉飛麗を解き放つ。他の下女も、軍師の好きにしろ。もう要らぬ」


 廖班は魂が抜けたかのように消沈し、それから宵と目を合わせる事はなかった。

 李聞は宵を見て微笑み、小さく頷いた。

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