第16話 兵法ゼミの司馬教授

 宵の見舞いを終えた厳島光世いつくしまみつよ貴船桜史きふねおうしは、春秋学院大学の兵法学研究室にやって来た。

 研究室からはコーヒーのいい香りが漂っている。それはここに2人の探し人がいる事を示している。

 研究室の扉を開けると、すぐに光世は部屋の奥へと走っていった。部屋には生徒は他に1人も居ない。


「司馬教授! 宵の事聞きました!?」


 デスクでコーヒーカップを片手に寛いでいる初老の男に、光世が声を掛けた。


「何だ? いきなり。瀬崎さんがどうした?」


 司馬勘助しばかんすけ。春秋学院大学の歴史学教授。白髪頭と白い髭を生やした丸眼鏡の温和な男だ。瀬崎潤一郎せざきじゅんいちろうの三国志の講義を受けて学者の道を志した歴史学や兵法学、考古学にも精通する男で、宵や光世達のゼミの担当教授でもある。


「宵、昨日から入院してるんです!」


「何だって?? 病気か? 事故か?」


 顔色を変えてコーヒーのカップを置いた司馬は光世に顔を近付けて問い詰める。


「落ち着いてください、司馬教授。特に病気でも事故に遭ったわけでもありません。宵のお母さんの話では身体には異常はなく、就活の疲労でしょうって。さっき私と貴船君でお見舞いに行ってきました。まだ眠っていましたが、無事ですよ」


 冷静に光世が宵の様子を説明すると、司馬は光世から顔を離し、椅子の背もたれに寄り掛かり大きく息を吐いた。


「そうか。体調を崩す程追い詰められていたのか……私ももう少しフォローしてあげた方が良さそうだね。とりあえず、今はしっかり養生してもらうしかないか」


 司馬の言葉に光世と桜史は頷いた。


「司馬教授、それで宵のお母さんからこれを預かったんですが、見て頂けますか?」


 光世は宵の母から託された分離した状態の竹簡を渡した。

 司馬はそれを受け取ると、数本を取り上げ、書かれている文に目を落とす。


「これを瀬崎さんのお母さんから? また随分と古い竹簡だね。見事にバラバラになって。これを解読して欲しいと言う事かね? 厳島さん」


「はい。内容を理解するにはまず、バラバラの竹片を1本ずつ読解し、正しい順番で並べ直す必要があるかと思いますので。教授のお力をお借りしたく」


「そうだな。今目に入った範囲だと、ここには私の知らない王朝の名が書かれているな。“閻王朝えんおうちょう”というのは聞いた事がない。歴史的価値のあるものかどうかは調べてみないと分からないが……これは瀬崎さんのお母さんが調べて欲しいと言ってきたのかな? 一体何故お母さんは興味を持ったのだろう。そもそもどこで手に入れたのやら」


「その竹簡の字は、瀬崎教授の筆跡なんだそうです」


 “瀬崎教授”という名が出た瞬間、司馬は目の色を変え、答えた桜史を見た。


「そうか。それが本当なら内容が気になるな。明日にでも解読作業に入ろう。それと、バラバラだと見栄えが悪い。ちゃんと元の状態に戻して差し上げよう」


「ありがとうございます! 私達もお手伝いします! 司馬教授のご都合が宜しければ今日からでも……」


 光世が言うと、桜史も頷いた。

 ところが司馬はううむと唸る。


「気持ちは嬉しいが、私はこの後6限まで講義があるから取りかかれても20時近くになってしまう。それだと君達終電がなくなってしまうだろ?」


「ああ……まあ私は進路決まってるからこの後も明日も暇ですし、遅くなってもいいんですけどね〜。バイトのシフトも入ってないし。貴船君は?」


「俺も特に用事はないかな。司馬教授が今日お忙しいなら、むしろ俺達が先に作業進めときますよ。で、明日解読出来なかった部分を見て頂きます。6限の講義の後だと大変でしょうし」


 桜史が言うと、司馬は声を出して笑った。桜史と光世は顔を見合わせる。


「私もね、瀬崎教授の竹簡の内容は物凄く興味があるんだよ。それこそ、今すぐにでも内容を確認したい程にね。君達がそこまでして協力してくれるのなら、私が頑張らないわけにはいかん。『将師しょうすいは、必ず士卒しそつ滋味じみを同じうし、安危を共にする』」


「では、『将吏士卒しょうりしそつは、動静一身なり』という事で」


 司馬と桜史の会話に渋い顔をしながら光世が割り込む。


「……また……“三略さんりゃく”とか“尉繚子うつりょうし”とか、いちいち会話の中に入れなくていいですよ。宵じゃないんだから」


「そういう厳島さんも、何からの引用かすぐに分かるとは流石だねー」


「そ、それは、まあ、私だって一応、武経七書ぶけいしちしょゼミの生徒ですから? そのくらいは分かるっていうか……いや、あの兵法オタク・・・・・・・のせいだ」


 嬉しそうに感心する司馬の言葉に、ボソボソと言い訳しながら苦笑いを浮かべる光世。


「はいはい。それでは私は講義に行ってくるよ。私が戻るまでには解読を終えていてくれてもいいからね」


「御意〜! 頑張ってみます!」


 光世は元気よく返事をすると拱手をした。“拱手”は、宵がゼミの生徒に対して始めたのがきっかけで、すっかりゼミでの挨拶は拱手が浸透していた。しかしながら、隣のノリの悪い桜史が乗ってこないので光世が肘で小突く。


「いてっ……よ、宜しくお願いします」


 渋々桜史も拱手した。


「宜しくな」


 司馬はニコリと微笑み、拱手を返した。

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