第14話 帰りたい……

 瀬崎宵せざきよい汐平ゆうへいでの戦闘の後の記憶はなかった。

 今、大きな屋敷の一室にいるが、そこが何処なのかもどうやって移動したのかも覚えていない。気を失っていたわけではない。ずっと起きてはいたが、血を流し倒れていく人々の姿が網膜に焼き付き、頭の中には延々と続く人々の悲鳴、断末魔が駆け巡っていて現実の状況を受け入れられないのだ。


「とりあえず、この部屋を使って、宵」


 誰かに声を掛けられたが、それが誰なのか分からない。だが聞き覚えのある優しい声。


「宵? 本当に大丈夫? 戦いが終わった後から様子がおかしいよ? 一言も喋らなくなって……」


 肩に手を置かれ、その声の主は宵の視界に無理矢理映り込んできた。

 ああ、そうだ、この男は──


鍾桂しょうけい君」


 目に光を取り戻した宵は、やっとその男を認識した。心配そうに宵の顔を覗き込んでいる。宵の手を縛っていた麻縄はいつの間にか外されて両手が自由になっていた。


「ここは……? 戦いは……終わったんだっけ?」


「え? 何言ってるの? 昼前に終わったよ? 君の策のお陰でね。で、ここは荒陽こうよう廖班りょうはん将軍が用意してくださったお屋敷……この国での君の家だ」


 昼前、という言葉に、宵は窓から外を覗く。そこは城壁に囲まれた街。城壁の中に多くの建物が軒を連ね、空はオレンジ色の夕焼けが支配していた。その景色はまさに中国の夕焼け。


「……やっぱり終わってたんだ。……私、あの後の記憶があんまりなくて……」


「そうだよ、宵、あの直後から急に魂が抜けたようになってさ。宵のお陰で勝ったって言うのに、どうしてそんな世界の終わりみたいな顔……」


 そこまで言うと、鍾桂は何かに気付いたように神妙な面持ちになった。


「そっか。この後の事か……。大丈夫。君の献策で戦に勝てたんだから、殺されたりはしないさ。現にこうして住居も与えられたじゃないか」


「……うん……」


 宵は本心を口に出来なかった。口にしたくもなかった。たくさんの人を殺した事などもう思い出したくない。こんな恐ろしい世界にこれ以上いたくない。早く帰りたい。いや、帰れたとしても人を殺した事実は消えないのではないか。


 宵はそれ以上喋る元気もなく、窓際にある寝台に腰掛けてまた窓の外へ目をやった。


「何か必要な事があればこの人に頼みな。君の監視は解かれたわけだから、俺のお世話係の仕事は終わりだ。ま、女の宵にとっては、俺よりこの人の方が何かと都合がいいだろう」


「え!?」


 鍾桂の言葉に思わず声を出して振り向くと、いつの間にか鍾桂の隣には若い女が1人、淑やかに立っていた。


劉飛麗りゅうひれいと申します。宵様の下女げじょとして本日より働かせて頂きます。何なりとお申し付けくださいませ」


 劉飛麗という女性は、とても美しい容姿をしている。下女にしておくのはもったいない程だ。歳は宵と同じか少し上だろうか。

 宵は寝台から腰を上げ劉飛麗に拱手した。

 だが、そんな事よりも鍾桂が宵から離れるような事を言っていた事の方が気になっていた。


「鍾桂君、もう会えなくなるの?」


「いや、そんな事はない……と思う……その……」


「宵。いるか?」


 鍾桂との会話を遮り部屋に入って来たのは李聞りぶんだった。この男の表情はいつも変わらない。常に落ち着き払っている。


「李聞殿」


「今後の事について話をしに来た。ああ、そうだ。これは返しておこう」


 李聞は手に持っていた竹簡を宵に差し出した。古びて色褪せた竹簡。祖父の竹簡。宵の大切な祖父の形見。ゆっくりと手を伸ばし竹簡を受け取ると、中を開いて見る。やはりそこには文字は1文字も書かれていない。特に破損したりはしていないようなので、ホッと胸を撫で下ろし、また竹簡を閉じた。


「ありがとうございます。李聞殿。……それで、今後の話とは?」


「お前は外せ」


 李聞はまだ部屋に入って来たばかりの劉飛麗に言うと、彼女は一礼して部屋から出て行った。


「あの……どうぞ、お掛けください」


 宵が空いていた席を指すと、李聞と鍾桂は腰を下ろした。宵も近くの椅子に座った。


「お前の策のお陰で我が軍は2万もの賊共に大損害を与え壊滅状態に追い込めた。まずは礼を言おう」


「……あ……はい」


 複雑な気分だ。嬉しいのに、嬉しくない。


「それでだ。お前の間者という疑いは解け、当面、我が軍がお前の面倒を見る運びとなった。この小屋を宛てがわれたのはそういう事だ。お前は初め、軍師になりたいと言っていたな」


「あ……そのお話なのですが」


 宵は弱々しい口調で口を開く。


「残念ながら、お前を軍師として正式に任命する事は出来なくなった」


「え!?」


 宵の蚊の鳴くような声が聞こえなかったのか、李聞はキッパリと宵の軍師不採用の旨を述べた。

 その話は鍾桂も知らなかったようで宵と同じく驚いた顔をしている。


「どういう事でしょうか?」


「実はな」


 李聞は辺りに誰もいない事を確かめると声を潜めて理由の説明を始めた。


「廖班将軍は此度の戦果を宵の策のお陰だと認めておられるのだが、それは軍の中だけの機密事項になった。賊軍を撃退した策は、全て廖班将軍自らが考案したものだと、荒陽太守で廖班将軍のお父上でもある廖英りょうえい殿に報告なさった。まぁ……悪く言えば、君の手柄を自分のものにしたというわけだ」


「そんな……では、李聞殿。先程の戦の詳細を喋るなとの命令は、廖班将軍が宵の手柄を自分のものにする為の口封じ」


 鍾桂が言うと李聞は頷いた。


「だからもし宵が献策したという事実が将兵以外の者に広まれば、口外した者は処罰される。軍監の許瞻きょせん殿にも勿論口裏を合わせるように頼んでいた。だからお前を軍師として登用するという話はなくなった。いいか、宵。お前も自分の策で賊軍を撃破したなどとは、口が裂けても他で言うでないぞ?」


 軍師になれない。あれだけの功績を上げたというのに登用されない理由は理解出来た。廖班という男が俗物だという事も理解した。

 軍に入らなくて済むのならばこちらとしては好都合だ。


「分かりました……けど、そういう事情で私を軍師として登用出来ないというのなら、何故、この屋敷の部屋と下女の方まで私に与えてここに留めて置くのですか?」


 宵の疑問は至極当然。必要ないならわざわざ金をかけて住処を与える必要はないはずだ。


「ああ、気を悪くすると思うが、本当の事を伝える。廖班将軍は今後の戦でもお前の持つ兵法を利用して戦おうと考えている。勿論、お前を軍には入れないわけだから、お前の策による戦果は全て廖班将軍のもの。お前の名が世間に知られる事はない。しかしながら、適当な策を練られては困る故、お前に衣食住は保証し恩を売る事にした……と、そういうわけだ。もちろん、適当な献策をすれば罰される。献策をしなくても同じだ」


 宵は全てを理解し溜息をつき俯いた。両手で祖父の竹簡を無意味に触ってみる。

 そして覚悟を決めると口を開いた。


「私は……もう献策したくありません」


 宵の言葉に李聞も鍾桂も言葉を返さなかった。

 宵は俯いたまま話を続ける。


「手柄を盗られたからとか、軍師になれないからとか、そういう事ではありません。私は先程の汐平の戦いにおいて、初めて人が死ぬのを見ました。それも何万人もの数の人が一斉に血を流し、悲鳴を上げて死んでいく地獄のような光景……。あの人達は、私の策で死んだんだ……そう思うと、胸が苦しくて苦しくて……今もその光景が忘れられません」


 宵は言いながら頭を抱え嗚咽を漏らした。

 驚いてそばに駆け寄った鍾桂が宵の背中を摩る。


「なるほど。だが、それが戦というものだ。そして敵は賊。やらなければこちらが殺されていたのだ。お前のやった事は悪ではない。初めは誰でもそう思う。だが、すぐに慣れる」


「慣れたくありません!! 私は……、もう帰りたい……! もう兵法なんて知らない! やりたくない! 私を自由にしてください! お願いです……」


 ついに本心を口にしてしまった。

 宵は泣き崩れ、鍾桂の胸に顔を埋めた。


 この世界に来てから生きる事に必死だった。生きる為に兵法の知識を利用して、生きる為に敵を軍に殺戮させた。今まで日本という平和な国で呑気に生きていた宵にとって、突然の戦場はあまりにも過酷だった。頭も身体もついていけるはずがない。軍師という仕事に憧れていた自分が憎らしくさえ思える。


 咽び泣く宵の前で李聞が立ち上がった。


「お前がどこから来たのかは知らぬ。軍師になりたいというのも、生きる為に咄嗟に言った事だったのだろう。それでも、お前には確かに兵法の知識があり、その兵法は敵を殺した。これは事実だ。だが、お前の兵法で我が軍の将兵や荒陽の民の命が救われた事もまた事実だ。お前がいなければ、俺も鍾桂も死んでいた」


 宵は李聞の言葉を聞きハッとした。確かに人を殺したが、反対に救われる命もあった。今、宵を抱き留めてくれている鍾桂の命も、宵の策がなければ無かったかもしれない。

 そう考えると、宵の塞がれていた心に一筋の光が差し込むような感じがした。


「李聞殿……信じて貰えないかもしれませんが……私の話を、聴いていただけませんか? 鍾桂君も。私が何処の誰で、何故この国にいるのかお話します」


 宵は2人の男に全てを打ち明ける決意をした。この2人ならきっと力になってくれると信じて……。





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