第2話 瀬崎宵の苦悩
「ただいまー……」
玄関の扉を開け、沈み切った声で帰りを告げると
大きな溜息をつくと、背後から心配そうな顔をして母親が声を掛ける。
「お帰りなさい。宵、どうだった? 面接」
「見れば分かるでしょ。駄目だったと思う」
就活が上手くいっていない就活生のストレスと言ったら相当なものだ。周りが次々に就職先を決める中、自分だけが将来の進路が決まらない不安。常に頭の中を駆け巡る企業の志望動機、社風、自己アピール。そして、両親からの悪意なきプレッシャー。挙げればキリがないが、宵にとっては就活に関わる事の全てが鬱陶しく苛立たせる材料になった。
「そう……でも、次も頑張ってね。宵の望み通り大学院に進学させてあげられる余裕はないんだから、危機感を持って貰わないと」
宵の家庭は裕福ではなかった。母は身体が弱く働きに行く事が出来ない。それでも、宵が大学に進学したいといった時、両親は何とかお金を工面してくれた。
ちなみに、祖父の遺産は、父の兄、宵の伯父に当たる人物が全て持ち去りどこかへ消えてしまったらしい。
そんな家庭だから、宵自身も大学近くのアイスクリーム屋でアルバイトをしたりして少しずつ学費を返した。そうした状況で、さらに大学院の学費など払い続けることは出来ないというのは宵も重々承知だ。
「分かってるよ」
しかし、口から出る言葉には自然と苛立ちが籠る。
「このまま内定貰えなかったらどうするつもりなの? ただ闇雲に応募してたら受かるものも受からないよ? お父さんも心配してたよ? あなたに合った企業を見つけなくちゃ」
母の心配はごもっともだが、この時の宵にはその言葉が癇に障った。
「闇雲に? 私に合った企業? 何それ? 私はずっと真面目にやってるんだけど? お父さんなんてほとんど家に帰って来ないじゃん? 私の話も聞いてくれないくせに……心配なんかしてないよ!」
「お父さんはお仕事で忙しいのよ。分かってるでしょ?」
「そうだね! 娘の事より、仕事の方が大事だもんね! 社畜万歳だね!」
宵は母を睨みつけ、そして靴を脱ぐと、そのまま祖父の部屋の襖を開け中へと逃れた。
母は追って来なかった。
いつもピリピリしているから慣れているのだろう。
先程一瞬見えた母の顔は、今まで見たことのない程悲しい顔をしていたような気がする。
少し……いや、かなり大人気ない酷い事を言ってしまった。母に八つ当たりするのは良くない。分かってはいるが、つい口が滑ってしまった。
母の言う通り、宵は企業を闇雲に選びエントリーしていた。
『残業少な目で完全週休二日制で給料がいいところ』その条件であれば仕事内容なんてどうでもいい。だから志望動機も適当に考えて応募する。
だって宵にはやりたい仕事など、一般の企業にはないのだから──
お陰様で面接では『貴女は弊社でどのような活躍が出来ますか?』とか言う質問に大苦戦。就活本に載っていた言葉を引用するが、その後の面接官の追及にはしどろもどろで何と答えたか覚えていない。多分碌な回答をしていないだろう。覚えているのは面接官の無機質な表情だけだ。
「おじいちゃん。今日も面接に行ってきたよ。……また、失敗しちゃったけどね」
宵は仏壇の前の座布団に正座すると脇に鞄を置き笑顔で祖父の遺影に話し掛ける。
こんな気持ちなのに笑顔になれるのは、写真の中で祖父が笑っているからだ。
祖父の顔には父の面影がある。さっきは父にも酷い事を言ってしまった。父は最近転職し、医療機器のサービスエンジニアとして日本全国を飛び回っている。それまでも、会社が倒産するという危機を不運にも二度も経験して、その度に仕事を探し回っていた。
そんな理由で父は家にはほとんど帰って来ない。
ただ宵には分かっている。父が家族にも会えない状況でも仕事をするのは、働かなければ家族を養えないからだ。父が働いてくれているお陰で宵は今こうして大学で好きな事を学べているというのに……。
先程母に言ってしまった自分の身勝手な言動を今更後悔した宵は俯き、座布団をぎゅっと握り締めた。
そしてまた祖父の遺影へと視線を戻す。
大好きな祖父が亡くなったのは宵が大学へ進学する直前。父が家に帰れなくなったのもその頃。
それからというもの、宵は大学が終わると自分の部屋ではなく、真っ先に祖父の部屋に来て祖父の遺影に話し掛ける。今は仏壇しかないこの部屋で、かつて宵は祖父と遊び、三国志を教えられ、孫子に出会った。
宵にとっては思い出がたくさん詰まった大切な場所。今でもこの部屋には大好きな祖父はいるのだ。
そして宵は、静かに遺影に向かい語り出す。自分の本当の気持ちを。
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