封嵩   二龍雙驥

封嵩ふうすう渤海ぼっかいの人だ。慕容徳ぼようとくに仕え左司馬となる。



南燕なんえんが立つと、尚書左僕射に任ぜられた。このとき慕容徳は韓綽かんしゃくを尚書右僕射にしていた。二人はともに当時三十歳。また封嵩の弟である封融ふうゆうが西中郎將に、韓綽の弟である韓軌かんきが北中郎將であった。この四人は同時に官位を授けられていた。

慕容徳、臣下らと同席になる形の会合において、封崇ら四人に同時に入場してくるよう命ずる。そして彼らが入場し、挨拶をしようとすれば、先に慕容徳が言う。


「これぞまさしく二なる龍が王城の上を舞い、つがいの麒麟が千里を馳せ訪れた、と称すべきだ!」


我らの国は、国を大いにもり立てる英俊に恵まれているぞ、というわけだ。この慕容徳のコメントに、人々は誇りを抱いた。


しかしやがて、そんな慕容徳も死亡。慕容超ぼようちょうが即位する。まもなく大旱魃が発生。すると段季妃だんきひが慕容超に言う。


「封嵩が殷丹いんたんに教えたと言います。車を降りて町に出、直に民の窮状を尋ねるように、と。

 教えに従って殷丹が市中を回ったところ、姑によく仕えた嫁を殺した事件があった、と聞いたそうです。そこで殷丹が思い出したのはかんの裁判官、于公うこうの裁きのこと。于公もまた旱魃が起こった時に同じような事件の裁判に遭遇しておりました。そこで姑を処刑し、哀れな嫁を改めて葬ってやったところ旱魃が収まった。

 殷丹が同じような裁きを下したところ、やはり雨が降り始めたのだそうです」


段季妃としては立派な為政者になってほしいという思いから話を振ったのだろうが、結局その後の慕容超は奸賊邪佞の徒を信任、政を顧みなくなる。なので封嵩はついに慕容法ぼようほうとともに決起を計画。しかし卜珍ぼくちんという者が慕容超に、封崇と慕容法との間の行き来が怪しい、と告げる。そのため封崇は尋問にかけられた。


引き出された供述からは、なんと段季妃の名前も挙がる。震え上がった段季妃、泣きながら慕容超に言う。


「封嵩はわらわのもとに牟常ぼうじょうを遣わせ、言ったのです。陛下がわらわから産まれた訳ではないことから、賈南風かなんふうによって司馬遹しばいつが殺されたような事態が起きるのではないかと恐れている、と。わらわは婦人にして見識浅く、このままでは陛下に殺されてしまうのではないかと恐れ、そのことを慕容法に打ち明けたに過ぎぬのです。ならば、慕容法の決起はいわば誤解によるもの。無論、それを今更言ったところで遅くはございますが」


慕容超はこれを聞いて激怒し、東門の外で封崇を車裂きの刑に処した。この事態を受け、封融も慕容超にそむき、北魏ほくぎに出奔した。




封嵩,渤海人也。仕備德為左司馬,遷尚書左僕射。德又以韓綽為尚書右僕射。時嵩、綽年並三十。又以嵩弟融為西中郎將,綽弟軌為北中郎將。嵩等俱拜,德臨軒,詔令四人同入。嵩等至殿,方謝,德顧曰:所謂躍二龍於長衢,騁雙驥於千里。朝野榮之。超初嗣位,大旱,太后段氏告超曰:左僕射封嵩教殷丹下車訪問民間疾苦,丹常具陳孝婦不當死,以致亢旱,當誅姑女,改葬孝婦。丹如其言,應時雨注。後超信任姦邪,不恤政事,嵩遂與南海王法等謀反。征南司馬卜珍言於超曰:左僕射封嵩數與法往來,疑有奸。超收嵩下廷尉,辭及段太后,太后懼,泣告超曰:嵩教遣黃門令牟常說吾,云帝非太后所生,恐依永康故事。我婦人識淺,恐帝見殺,即以語法。法為謀見誤,知復何言。超聞而大怒,乃車裂嵩於東門之外。融叛,出奔於魏。


(十六国65-3_肆虐)




訓読いったんやめます。理由:つかれた。まぁ間に挟んだほうが精度は上がるんですが、訓読にも割と少なくない時間掛かっちゃってるので、そのへんをほかの時間に当てていきたいな、と。


というわけで封崇さん。なんか類書とかにちまちま記述があるみたいです。恵まれてますねー。ただし全てを卜珍に持っていかれました。ぼくちんてお前。

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