十六国春秋65 南燕臣下

慕容鐘  南燕の佐命功臣

慕容鐘ぼようしょう。字は道明どうめい慕容徳ぼようとくのいとこに当たる。若い頃からその才能を示しており、あたらと喜怒を顔に表すこともなく、機知に富み、弁舌にも長けていた。様々な難題や強敵を前にした時、その知恵と勇気とを動員して慕容徳を助け、多くの奇策を提唱。慕容徳がそれを採用すれば、ことごとくが的中する。このためにあらゆる判断が慕容鐘に委ねられ、慕容徳の即位をも助け、佐命元勲となった。


慕容超が即位すると、公孫五樓の専断が激しくなる。一方で慕容鐘がいつこちらを糾弾してくるとも限らない。そのため公孫五楼、慕容超に讒言し、慕容鐘の排除を画策した。


追い詰められた慕容鐘は決起するも、敗北。後秦に亡命した。姚興は慕容鐘を始平太守、歸義侯に任じた。




慕容鐘,字道明,德從弟也。少有識量,喜怒不形於色,機神秀髮,言論清辯。至於臨難對敵,智勇兼濟,累進奇策,德用之頗中。由是政無大小,皆以委之,遂為佐命無勳。後公孫五樓規挾威權,慮鐘抑己,因勸超誅之,鐘遂謀反。事敗,奔于姚興,興拜始平太守、歸義侯。


慕容鐘、字は道明、德が從弟なり。少きに識量を有し、喜怒を色に形せず、機神秀髮にして言論清辯なり。難に臨み敵に對せるに至り、智勇兼濟し、累く奇策を進め、德の之を用うに頗る中る。是の由にて政の大小無く皆な以て之に委ね、遂に佐命為るも勳無し。後に公孫五樓の威權を規挾せるに、鐘の己を抑うを慮れ、因りて超に之を誅すべく勸まば、鐘は遂に謀反す。事敗るるに姚興に奔ず。興は始平太守、歸義侯に拜す。


(十六国65-1_仇隟)




うーんこの。晋書の書きぶりがあんまりにもきれいに「偉大なる徳サマの建てた国を超のクソが滅ぼした」に収斂させてるのが、どうにもむず痒くてならないです。いっかい魏晋南北ブログさんの記事読み返してこよう。


慕容徳のいとこ、ということは父親が慕容儁ではないのか。たしかに、それはやや遠いかもしれない。

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