慕容超9 悪政に次ぐ悪政

新年一番の会合が開かれた。ここで慕容超ぼようちょう、会場である東陽殿とうようでんに鳴り響く音楽の薄さを聞き、姚興ようこうに楽団を送ったことを後悔した。なので、「よっしゃしんから人さらってこよかい!」などと言い出す。驚いたのは韓綽かんしゃくである。慕容超を諌めて、言う。


「先帝はぎょう中山ちゅうざんを保ちきれなかったためこのせいの地に出向かれ整備なさいました! 口惜しきことながら、今なおもって旧都奪還の時運は巡ってきておりませぬ!

 ならば戦略を動かさぬのが、現在における上策! 今、陛下は先帝の業を見事に継承されております、ここで為すべきは関所を閉じて戦力を養い、外敵に隙が生まれるのを待つことでございます! むやみに怨念を南部にばらまき、災いを招くことではございませぬ!」


しかし慕容超の返答はつれない。


「もう決めたことだ。卿の言葉なぞ知らぬ」


こうして、改めて徐州じょしゅう斛谷提こっこくてい公孫帰こうそんきらが派遣された。宿豫しゅくよを攻撃、陥落させ、陽平ようへい太守の劉千載りゅうせんざい濟陰さいいん太守の徐阮じょげんを捕獲。また大いに掠奪を働き、帰還した。引き連れてこられた者のうち男女二千五百名を選別、楽団に所属させ、音楽を教え込んだ。


この頃、公孫五樓こうそんごろうは宮廷内外の政を完全に牛耳っていた。兄の公孫帰、叔父の公孫頹こうそんたいにそれぞれ郡公の爵位を与えまでする。他の宗族も多くが栄達、我が物顔で宮廷内にのさばり、慕容ぼよう氏の宗門ですらその権勢を恐れるありさまとなっていた。


慕容超はまた、宿豫掠奪についての論功行賞をなし、斛谷提らをみな郡公、縣公に封じた。これはたまらぬと、慕容鎮ぼようちんが慕容超を諌める。


「臣は聞いております、褒賞のために働き、勲功の授与を待つ。それは一概に悪いことでもない、と。しかしその功績が公爵に到底見合わぬ、どころか、公孫帰どもがなしたのは兵力を頼みに無辜なる民を虐げ、彼らより奪っただけではありませぬか! このような者たちを封爵しようとは、まるで道理に合いませぬ。

 忠言は耳に逆らうものでございますが、近親の者でなくば言い出すこともできますまい。臣は凡庸なる才のものに過ぎませぬ、しかしお国の宗室として、愚かしくも陛下への僭上と知りながら、思いを尽くさんといたしました! どうか陛下、重々ご検討下さいませ!」


これに対する慕容超のリアクションは、怒りながら無言、であった。こののち臣下たちはもはや諌言を口にしようとも思わなくなった。


 王儼おうげんという人が公孫五樓に盛大に媚を売って仕える。すると公孫五樓、王儼を尚書郎、濟南太守、尚書左丞、まぁ要は要職を歴任させた。時の人はこう語っている。


「侯爵になりたいか? なら黄犬に尻尾を振るがいい」




超正旦朝群臣于東陽殿,聞樂作,歎音佾不備,悔送伎于姚興,遂議入寇。其領軍韓訁卓諫曰:「先帝以舊京傾沒,輯翼三齊,苟時運未可,上智輟謀。今陛下嗣守成規,宜閉關養士,以待賦釁,不可結怨南鄰,廣樹仇隙。」超曰:「我計已定,不與卿言。」於是遣其將斛谷提、公孫歸等率騎寇宿豫,陷之,執陽平太守劉千載、濟陰太守徐阮,大掠而去。簡男女二千五百,付太樂教之。時公孫五樓為侍中、尚書,領左衛將軍,專總朝政,兄歸為冠軍、常山公,叔父頹為武衛、興樂公。五樓宗親皆夾輔左右,王公內外無不憚之。超論宿豫之功,封斛穀提等並為郡、縣公。慕容鎮諫曰:「臣聞縣賞待勳,非功不侯,今公孫歸結禍延兵,殘賊百姓,陛下封之,得無不可乎!夫忠言逆耳,非親不發。臣雖庸朽,忝國戚籓,輒盡愚款,惟陛下圖之。」超怒,不答,自是百僚杜口,莫敢開言。尚書都令史王儼諂事五樓,遷尚書郎,出為濟南太守,入為尚書左丞,時人為之語曰:「欲得侯,事五樓。」


超の正旦にて群臣を東陽殿にて朝せるに、樂の作るを聞き、音佾の不備を歎じ、伎を姚興に送れるを悔い、遂に入寇を議す。其の領軍の韓訁卓は諫めて曰く:「先帝の舊京の傾沒せるを以て三齊を輯翼し、苟しくも時運の未だ可ならざれば、上智は謀を輟む。今、陛下の成規は嗣守し、宜しく關を閉じ士を養い、以て賦釁を待つべし、怨を南鄰に結び廣く仇隙を樹つるべからず」と。超曰はく:「我が計已に定まれり、卿が言を與とせず」と。是に於いて其の將の斛谷提、公孫歸らを遣りて騎を率い宿豫を寇ぜしめ之を陷し、陽平太守の劉千載、濟陰太守の徐阮を執え、大いに掠し去る。男女二千五百を簡じ、太樂に付し之に教う。時に公孫五樓は侍中、尚書為りて左衛將軍を領し、專ら朝政を總じ、兄の歸を冠軍、常山公と為し、叔父の頹を武衛、興樂公と為す。五樓が宗親は皆な左右に夾輔し、王公は內外に之を憚らざる無し。超は宿豫の功を論じ、斛穀提らを並べて封じ郡、縣公と為す。慕容鎮は諫めて曰く:「臣は聞く、賞を縣け勳を待つに、功の侯ならざるに非ざるに、今、公孫歸は禍を結び兵を延べ、百姓に殘賊せるに、陛下は之を封ず、可ならざる無きを得んか! 夫れ忠言は耳に逆らわん、親しきに非ざらば發さず。臣は庸朽なると雖ど、忝くも國の戚籓なれば、輒ち愚款を盡くす、惟だ陛下は之を圖るべし」と。超は怒りて答えず。是より百僚は口を杜ざし、敢えて開言せる莫し。尚書都令史の王儼は五樓に諂らい事え、尚書郎に遷り、出でては濟南太守と為り、入りては尚書左丞と為り、時人は之が為に語りて曰く:「侯を得んと欲さば、五樓に事うべし」と。




って、テンプレぇ〜……!


個人的に気になるのは、「ここまで民心から離れた慕容超が、どうして半年以上も劉裕相手に籠城戦を繰り広げられたか」なんですよね。あの劉裕相手ですよ? ここまでバカやってる君主を、どうして半年も守り続けられたんでしょうか。


うーん、やっぱりこの辺、妄想のしがいがあるなー。

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