慕容超7 母妻を求めて3

南燕なんえんの内乱によって後秦こうしんに亡命していた男、慕容凝ぼようぎょう姚興ようこうに言う。


「燕王が臣下に降ると嘯いていますが、そも、陛下の徳を慕ってのことではありませぬ。それこそ、ただ母のために膝を屈したに過ぎますまい。古の帝王たちは、約束が正しく履行されるかどうかを問うために軍を興しもしています。母が帰還して後に、約束を虚言とさせぬように。ひとたび母が戻れば、又たちまち逆らってまいりましょう。先に楽団を送り届けるよう求め、その上で母を返却すべきです」


ふむ、一理ある。ならば、と姚興、いちど韋宗いそうを別口の使者として派遣した。


韋宗の訪問を聞いた慕容超、さてどのようなレベルでの接遇を為すべきか諮問する。すると張華ちょうかが言う。


「陛下は既に姚興に臣従する旨を伝えております。ならば韋宗を北に立たせ、姚興よりの詔勅を直接承るがごとく応じるべきでありましょう」


そんなバカな! 封逞ふうていが言う。


「この大燕は七世に渡る先主らの威烈により栄えた国! どうしてあのようなひよっこに、たとえ一時たりとても膝を屈さねばならぬのです!」


慕容超は答える。


「全ては太后がため。どうか、これ以上は言ってくれるな」


こうして慕容超は韋宗を姚興そのものであるがごとく奉じ、その詔勅を受取り、また大役を果たした韋宗を労い、千金を渡す。そして張華と宗正元そうせいげんに楽団百二十人を預け、長安ちょうあんに出す。


楽団の到着に姚興は大喜び。張華を主賓としたもてなしの宴会を開く。やがて酒も回ってきた中、後秦の官僚である尹雅いんがが、張華に言う。


「昔、いんがまさに滅ばんとしていた頃、楽団はしゅうに逃げ込んだものだ。いま、このしんはいよいよ盛ん。そこに燕の楽団が迷い込んできた。これは、国の興廃が見えてきたところであろうかな」


すると張華は答える。


「古より、帝王の取る道は一つとして同じものがない。国をまたいでの権謀術数は、今ここに成ったのだ。老子ろうしも言っておろう、之を取るには、まず与えるべし、と。確かにいま、楽官は西国にもたらされた。ならばこの先、賢人は東土に亡命を始めようさ。戦国の昔、戎国出身の賢人由余ゆうよが楽官によって故郷を堕落されたのに絶望し、故郷を後にしたようにな。禍と福とは、すでに現れているのだ!」


これを聞き、姚興が怒る。


「昔、せいとは弁を競い合いながらも、その軍を連ねたものだ。しかしそれも国力の拮抗がゆえ。しかるにそなたの国は小国である、にもかかわらずわが朝士に対抗しようとは何事か!」


張華、へりくだりながらも、言う。


「我が国が陛下のもとに使者を遣わせたは、陛下のお国とよしみを通じたいという思いの故にございます。だと言うのに陛下のお国が小国の臣に遣わせた者の辱めは、臣のみならず我が主、我が国にまで及んでおられた。我が国を侮辱されたのであれば、仰ぎ見ながらでも跳ね返さねばなりますまい!」


姚興、この発言を祝福。こうしてだん氏、呼延こえん氏は後秦を後とした。宗正元そうせいげんが一足先に馬を駆って段氏呼延氏の獲得成功を告げれば、慕容超は大喜び。公孫五樓こうそんごろうに二千騎を引き連れ国境まで出迎えさせた他、自らも六宮の人々を連れ、馬耳関ばじかんにまで出迎えた。




慕容凝自梁父奔于姚興,言於興曰:「燕王稱籓,本非推德,權為母屈耳。古之帝王尚興師征質,豈可虛還其母乎!母若一還,必不復臣也。宜先制其送伎,然後歸之。」興意乃變,遣使聘於超。超遣其僕射張華、給事中宗正元入長安,送太樂伎一百二十人于姚興。興大悅,延華入宴。酒酣,樂作,興黃門侍郎尹雅謂華曰:「昔殷之將亡,樂師歸周;今皇秦道盛,燕樂來庭。廢興之兆,見於此矣。」華曰:「自古帝王,為道不同,權譎之理,會于功成。故老子曰:'將欲取之,必先與之。'今總章西入,必由餘東歸,禍福之驗,此其兆乎!」興怒曰:「昔齊、楚競辯,二國連師。卿小國之臣,何敢抗衡朝士!」華遜辭曰:「奉使之始,實願交歡上國,上國既遺小國之臣,辱及寡君社稷,臣亦何心,而不仰酬!」興善之,於是還超母妻。


慕容凝は梁父より姚興に奔じ、興に言いて曰く:「燕王の稱籓せるも、本より德を推すに非ず、權に母が為に屈せるのみ。古の帝王は尚お師を興し征質す、豈に虛に其の母を還ずべきか! 母の若に一に還ざば、必ずや復た臣せざるなり。宜しく先に其の伎を送るべく制し、然る後に之を歸せしむべし」と。興は意を乃ち變じ、使を遣りて超に聘せしむ。超は其の僕射の張華、給事中の宗正元を遣りて長安に入らしめ、太樂の伎一百二十人を姚興に送る。興は大いに悅び、華を延べ入りて宴ず。酒の酣ぜるに樂作さらば、興が黃門侍郎の尹雅は華に謂いて曰く:「昔殷の將に亡びなんとせるに、樂師は周に歸す。今、皇いなる秦の道盛んなるに、燕樂來庭す。廢興の兆、此に見えたらん」と。華は曰く:「古の帝王より、為道は同じからず、權譎の理、功に會し成らん。故に老子は曰く:'將に之を取らんと欲さば、必ずや先に之を與うべし。'と。今、總章の西に入るに、必ずや由餘は東歸せん。禍福の驗、此れや其の兆なるか!」と。興は怒りて曰く:「昔齊、楚の辯を競うに、二國は師を連ぬ。卿は小國の臣なるに、何ぞ敢えて朝士に抗衡せんか!」と。華は辭を遜じて曰く:「奉使の始め、實に上國の交歡せんと願えばなり。上國は既ぶ小國の臣を遺るも、辱めは寡君の社稷に及ぶ。臣に亦た何ぞ心あらんか、不酬うに仰がざらんか!」と。興は之を善しとし、是に於いて超が母妻を還ず。


(晋書128-7_言語)


○十六国春秋

八月,秦使兼員外散騎常侍韋宗來聘,超與群臣議見宗之禮,張華曰:陛下前既奉表,今宜北面受詔。封逞曰:大燕七聖重光,奈何一旦為豎子屈節!超曰:朕為太后屈,願諸君勿言。遂北面受詔。贈宗以千金。

十一月,張華發長安,宗正元先馳反命,超大悅,遣征虜將軍公孫五樓率騎二千迎於境上,超親率六宮迎之於馬耳闗。




なんかどいつもこいつも姚興の諱犯してるけど大丈夫? これは取材元だった南燕の歴史書で、「あのクソ姚興が!」的な思いからあえて興字に置き換えられるものを置き換えてった感じなんですかね。


https://kakuyomu.jp/works/1177354054894645693/episodes/1177354054934323316


こっちでは割と鷹揚に送り出した感じですが、その詳細と来たら、どちらかと言えば南燕の姚興ヘイトがやべー。確かに戦国の王として姚興もエグい要求は突きつけてきたんでしょうけど、わざわざ発言で興字を犯させたりするのを見ると「えっお前たち発言そのものも捻じ曲げてない?」と疑わずにおれないですよね。ひいては南燕史家の記述そのそのの信頼性も、かなり低くなってしまいます。


国威掲揚とか、敵国へのヘイトを積み上げるためにやってるのかもしれませんが、なんともまぁ……。



ちなみに途中に出てくる由余については、深山さんよりのご教示を頂戴しました。ヤバい、この当時の知識人マジでどういうレベルの会話してたんだ……恐っ……。

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