宋隠 西河宋氏
曽祖父は
後に
祖父は
父は
ようは
エリート漢人の家系である。
宋恭は
宋隱はきわめて孝行者であった。
十三歳のときに学問の道を志し、
武については重んじなかった。
本州別駕を歴任した。
一方で、宋隱の叔父、
慕容垂の尚書となって仕え、
城壁北面の守備に当たった。
ここで
拓跋珪、大激怒。
中山が陥落すると宋洽をとらえ、殺す。
合わせて二人の息子、
キャンタマをむしり取った。
宋隱,字處道,西河介休人也。曽祖奭,晉昌黎太守,後為廆長史。祖活,中書監。父恭,尚書令、徐州刺史。儁徙都於鄴,恭始家於廣平之列人。隱性至孝,年十三,便有成人之志,專精好學,不以兵難易操。仕垂,曆尚書郎、太子中舍人、本州別駕。隱叔父洽,為垂尚書。魏太祖圍中山,洽率所領專守北圍。當洽所統魏軍士多所傷殺,太祖特深忿恨。城陷,被殺。子順、訓並下腐刑。
宋隱、字は處道、西河の介休の人なり。曽祖は奭、晉の昌黎太守にして、後に廆が長史と為る。祖は活、中書監。父は恭、尚書令、徐州刺史。儁の都を鄴に徙すに、恭は始めて廣平の列人に家す。隱が性は至孝にして、年十三にして便ち成人の志を有し、專ら學を精好し、兵を以て難易を操ぜず。垂に仕え、尚書郎、太子中舍人、本州別駕を曆す。隱が叔父の洽は垂が尚書為る。魏太祖の中山を圍むに、洽は領せる所を率い北圍を專守す。洽の統ぶる所に魏が軍士は多きが傷殺さる所に當たらば、太祖は特に深く忿恨す。城の陷つるに、殺を被る。子の順、訓は並べて腐刑に下さる。
(十六国52-9_暁壮)
この辺が北魏でどう繁栄しているのかも確認しておきたいところです。
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