十六国春秋52 後燕臣下

光祚   秦燕を渡る宦官

光祚こうそ清河せいが人。元々宦官かんがんであり、

苻堅ふけんの下で冗從僕射として勤めていた。


慕容垂ぼようすい前燕ぜんえんから降ってきていた頃、

苻堅は慕容垂と手を携え、語り合った。

その様子を眺めていた光祚、

慕容垂が退出したあと、苻堅に言う。


「陛下は慕容垂を疑われないのですか?

 あれは人の下にいつまでも

 つこうとする器ではないでしょう」


苻堅、このことを慕容垂にチクった。

えっ。


その後淝水ひすいで苻堅が大敗し、

苻丕ふひぎょうから并州へいしゅうに落ち延びる、

と言った事態が起こった頃、

光祚はいちど、しんに投降した。


この頃、燕から離反していた温詳おんしょう

濟北さいほく郡を守っていた。

そのため晋は光祚を河北郡かほくぐん守とし、

濟北郡濮陽ぼくよう県に駐屯させ、

溫詳のサポートを務めさせる。


が、温詳はあっさり慕容垂の前に敗北。

南の彭城ほうじょうに逃げていった。

残された光祚、兵らを率い、降参。

慕容垂は光祚を許し、待遇は前秦時代と

さほど変わらぬレベルですらあった。


慕容垂、光祚と面会すると、

いきなり泣き出して袖をぬらす。


「苻堅様はおれを厚遇してくださり、

 おれもまた忠義の限りを尽くした。

 淝水の後にも忠節を示したつもりだが、

 苻丕ふひ様や苻暉ふき様に疑われたが故に

 このままでは殺されるのではと恐れ、

 離反を決意するしかなかったのだ。


 あのときの恐怖に負けて

 この道を選んでしまったこと、

 苻堅様よりのご恩に

 背いてしまった後悔、

 今なおおれを安眠させてはくれぬ」


それを聞き、光祚もまた号泣。

謎の大号泣大会が始まる。

気が済んだのか、慕容垂、

光祚に金や衣類を与えようとする。

が、固辭。


「光祚どの、そなたはなおも

 おれを疑っておられるのか?」


「私が感じたのは、

 人に仕えることを忠義と呼ぶ、

 そのことにすぎません。


 まさか陛下が、あの折のことを、

 未だ引きずっておられたとは!

 ならば私は、死を免れますまいな!」


慕容垂はそれを聞くと、答える。


「そなたの忠義、見せて頂いた!


 もとよりあなたの才を、

 おれは求めていたのだ。

 先の言葉は、ただの戯れ言よ」


そうして光祚を非常に重んじ、

中常侍につけるのだった。




光祚,清河人,本宦者,仕苻堅為冗從僕射。初,垂在長安,堅嘗與之交手語。垂出,祚言於堅曰:陛下頗疑慕容垂乎?垂非久為人下者也。堅以告垂。及堅敗,苻丕自鄴奔晉陽,祚遂奔晉。晉以祚為河北郡守,營於濟北之濮陽,羈屬溫詳。詳敗,詣軍門降,垂赦之,撫待如舊。垂見祚,流涕沾衿,曰:秦王待我理深,吾事之亦盡。淮南之敗,吾效忠節,但為公猜忌,懼死而負之。每思疇昔之恩,未嘗中夜忘寢。祚亦欷歔,悲動左右。因賜祚金帛,祚固辭,垂曰:卿猶復疑耶?祚曰:臣昔者惟知忠於所事,不意陛下至今懐之,臣敢逃其死!垂曰:此乃卿之忠,固吾之所求也,前言戲之耳。待之彌厚,以為中常侍。


光祚、清河人、本は宦者にして、苻堅に仕え冗從僕射為る。初、垂の長安に在すに、堅は嘗て之と手を交え語る。垂の出づるに、祚は堅に言いて曰く:「陛下は頗や慕容垂を疑われたるか?垂は久しく人が下の者為るに非ざるなり」と。堅は以て垂に告ぐ。堅の敗れるに及び、苻丕は鄴より晉陽に奔る。祚は遂に晉に奔る。晉は祚を以て河北郡守為らしめ、濟北の濮陽に營ぜしめ、溫詳に羈屬せしむ。詳の敗るるに、軍門に詣りて降じ、垂は之を赦し、撫待せること舊の如し。垂は祚に見え、流涕し衿を沾し,曰く:「秦王の我を待せるの理深く、吾れ之に事くこと亦た盡くせり。淮南の敗にて吾れ忠節を效ぜるも、但た公の猜忌を為せるに、死を懼れ之に負く。每に疇昔の恩を思わば、未だ嘗て中夜に寢を忘れず」と。祚も亦た欷歔し、左右に悲動す。因りて祚に金帛を賜さんとせば、祚は固辭す。垂は曰く:「卿は猶おも復た疑えるや?」と。祚は曰く:「臣は昔、惟だ事う所の忠なるを知り、陛下の今に至りて之を懐けるを意えず。臣は敢えて其の死を逃れんか!」と。垂は曰く:「此れ乃ち卿の忠にして、固より吾の求む所なり。前言は之に戲れたるのみ」と。之を待すこと彌いよ厚く、以て中常侍と為す。


(十六国52-1_寵礼)




こわ、こっわ! なにこのやりとり。これ光祚が少しでも安い振る舞いしたら即斬ったでしょ慕容垂、その度胸が今なお健在なのか試してるでしょ、つうかあの慕容垂に正面切って試されて、平然と言い返すとかこの人ちょっとただもんじゃなさすぎませんかね……?


ちなみに元ネタとなっている資治通鑑しじつがんでは「但為二公猜忌,懼死而負之。」と書かれ、訳文はそちらに寄せました。ここで「二」字を欠落させたのはおそらくわざとでしょうね。「光祚に疑われた」ニュアンスを出し、話としてのまとまりを強くしようとしたんではないか、と感じます。


とりあえず「宦者」はおおむね宦官と言うことにしてしまっていいっぽいですね。そうなるとこの辺りの存在の流れが拓跋たくばつにも引き継がれ、宗愛そうあいみたいな権勢にも繋がってくるんですね。慕容拓跋ってどの辺りから宦官と関わりだしたのかなあ。北土にいるときには飼ってないんじゃないのってイメージもあるけど、どうなんだろう。


さておき、ここに出てくる温詳について。


温詳

・燕から離反し、晋につく(385)

・済北を守るも慕容垂に襲われ、彭城まで敗走(387)

王恭おうきょう桓玄かんげんの兵動員が発生したとき、司馬元顕しばげんけんの指揮下で桓玄らを防ぐ(398)

太原たいげん王氏の王愉おうゆらと共に劉裕に処刑される(404)


資治通鑑と晋書を引くと、こんな略歴が出てきます。うーん、これ二人の温詳が混じってるのかなあ。ただ太原温氏だと考えると王愉らとつるむのも納得だし、そもそも太原郡に温氏が残ってるのも納得みがあるしで、同一人物感もないではないんですよね。出てき方がとにかく大物なので、うっかり見逃すわけにもいかない存在感。



ところで、

每思疇昔之恩,未嘗中夜忘寢。

って、「昔の恩を思えば、未だ夜中に寝忘れることもない」になって、「熟睡なんか-い!」ってツッコミが入ります(※深山さんよりのご指摘)よね……元ネタたる資治通鑑を確認したら、該当箇所の記述は「每一念之,中宵不寐。」でした。どうしてこうなった……ともあれ、訳文は資治通鑑に拠って修正しました。

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