慕容垂3 ポスト淝水1  

淝水ひすいの戦い後、苻堅ふけん軍はズタボロ。

が、その中で慕容垂ぼようすい軍はほぼ無傷だった。

そりゃそうだ、襄陽じょうよう攻めしてたんだから。


ともあれ、そんな慕容垂軍のもとに

苻堅が千騎あまりで合流した。


苻堅の様子を見て、嫡男の慕容宝ぼようほうが言う。


「ただの一戦で前秦の象徴たる苻堅が

 あのようなザマとなれば、

 もはや国としての威厳は保てますまい。

 これは、天命を全うせよ、という

 天帝よりの兆しではないでしょうか。


 ならばここにえん室中興の業を起こし、

 僭主を討ち滅ぼしたの王、

 少康しょうこうに倣い、苻堅を討つべきです。


 今まではタイミングを得なかったため、

 燕室光復の大業を興せませんでした。

 しかるに、天は徳を乱したものを憎み、

 それに付き従う逆徒を破砕しました。


 すなわち、易に言うけん

 王業を立ち上げるタイミングを、

 天が授けて下さったのでしょう。


 千載一遇とは、まさに今のこと。

 天帝のお心をお引き受けになり、

 賊徒を誅滅なされませ。


 大功を立てる者は

 細やかな節度にとらわれず、

 大仁を世に示す者は

 ささやかな恩顧など気にも留めぬ、

 と申します。


 我らはぎょう龍城りゅうじょうを秦に陥れられ、

 先祖への祭祀を途絶えさせられました。

 胸に抱く復讐の念は甚だ深きもの。

 父上、どうか、苻堅より受けた

 ささやかなる恩にほだされ、

 我らが燕国の祖霊を

 軽んぜることのございませんよう。


 いわゆる五木の祥が、今、

 まさに訪れたのです」


それを聞き、慕容垂が答える。


「確かに、お前の言う通りだ。


 だが、苻堅殿は包み隠さぬ御心で

 我がもとに投じてこられた。

 どうしてこのようなお方を害せよう!


 それに、天が彼を見捨てたのであれば、

 放っておいても彼は滅びよう。


 加えて、苻堅殿を送り届けた後に

 我らの故郷に帰還し、

 その後の彼の破滅を待っておけば、

 勝手に復讐は達成されようし、

 そのうえで我らが義も全うされ、

 おのずと天下も転がってこようものよ!」



 なお慕容宝の言う「五木の祥」とは、

 長安ちょうあん韓黃かんおう李根りこんと言った人物らとともに

 摴蒱ちょぼをしたときのエピソードによる。


 宴の場でやや乱れた様子であった慕容宝、

 摴蒱のコマを持つと神妙な面持ちとなり、

「摴蒱は神の思し召し、と言われているな。

 どうしてそれが虚言であろうか!

 もし慕容が再び富貴となれるようであれば、

 今ここで五つのコマを三度投じるに、

 いずれでも「盧」の目を得られようよ!」

 と言いながら五つのコマを投げ、

 本当に三度とも「盧」の目を出したという。


 そのときのことを持ち出し、

 慕容垂を説得にかかったのだ。




堅之敗於淮南也,垂軍獨全,堅以千餘騎奔垂。垂世子寶言於垂曰:「家國傾喪,皇綱廢馳,至尊明命著之圖籙,當隆中興之業,建少康之功。但時來之運未至,故韜光俟奮耳。今天厭亂德,凶眾土崩,可謂乾啟神機,授之於我。千載一時,今其會也,宜恭承皇天之意,因而取之。且夫立大功者不顧小節,行大仁者不念小惠。秦既蕩覆二京,空辱神器,仇恥之深,莫甚於此,願不以意氣微恩而忘社稷之重。五木之祥,今其至矣。」垂曰:「汝言是也。然彼以赤心投命,若何害之!苟天所棄,圖之多便。且縱令北還,更待其釁,既不負宿心,可以義取天下。」


初,寶在長安,與韓黃、李根等因讌摴蒱,寶危坐整容,誓之曰:「世云摴蒱有神,豈虛也哉!若富貴可期,頻得三盧。」於是三擲盡盧,寶拜而受賜,故云五木之祥。




堅の淮南にて敗れるや、垂が軍は獨り全うたれば、堅は千餘騎を以て垂に奔る。垂が世子の寶は垂に言いて曰く:「家國傾喪し、皇綱廢馳せるに、至尊は命を明るみとせんと之は圖籙に著さる。當に中興の業を隆し、少康の功を建つるべし。但だ時來の運は未だ至らざれば、故に光を韜し奮うを俟ちたるのみ。今、天は亂德を厭い、凶眾は土崩す。乾の神機を啟し,我に之を授くと謂いたるべし。千載の一時、今が其の會なれば、宜しく恭くも皇天の意を承け、因りて之を取るべし。且つ夫れ大功を立つる者は小節を顧みず、大仁を行う者は小惠を念わず。秦は既に二京を蕩覆し、神器は空辱にして、仇恥の深きは此に甚しき莫し。願わくば、微恩に意氣せるを以て社稷の重を忘れざらんことを。五木の祥、今、其れ至りたらん」と。垂は曰く:「汝が言は是なり。然れど彼は赤心を以て命を投ず、若何んぞ之を害せんか! 苟しくも天の棄せる所にして、之を圖るに便多し。且つ令を縱まとし北還し、更に其の釁を待たば、既に宿心に負かず、義を以て天下を取りたるべし」と。


初、寶の長安に在すに、韓黃、李根らと與に讌に因りて摴蒱し、寶は危坐にて容を整え、之に誓いて曰く:「世は摴蒱に神有りと云う、豈に虛なるか! 若し富貴の期すべかば、頻りに三盧を得ん」と。是に於いて三たび擲じ盡く盧たれば、寶は拜し賜を受く、故に五木の祥と云う。


(晋書123-3_言語)




果断な慕容垂にしては珍しく歯切れが悪い。ただ自らのもとに飛び込んできた苻堅を下手に殺せば、苻丕ふひのもとで前秦軍がやべーことになるのは間違いがないです。正直ポスト淝水の前秦は苻堅の指揮がクソだったから弱かっただけで、「苻堅の復讐」って大義名分を与えられたら、いくら慕容垂でもかなりの痛手は免れなかったでしょう。その意味では慕容垂の判断こそが正しかったように思います。まぁたぶん慕容沖ぼようちゅうの暴走は計算外だったと思うけどね!


ひとまず、このやり取りはまだまだ続くんじゃ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る