晋書載記 後燕

巻123 慕容垂

慕容垂1 慕容覇    

慕容垂ぼようすい。字は道明どうみょう、慕容皝の五男だ。


元々の名は慕容霸ぼようは、字は道業どうぎょうだった。

幼い頃から威風堂々としたもので、親分肌。

成長すると 190cm 近くの上背となり、

手は膝下にまで届きかねない勢い。

なので慕容皝には目をかけられていた。

彼はその弟たちに言っている。


「あれは闊達にして好奇心旺盛。

 さて、この慕容を破滅させるのか、

 あるいは盛り立てるのかな」


覇という名がつけられたのはその故であり、

その寵愛ぶりは世子慕容儁を上回っていた。

そのため慕容儁はいつ地位を取られるか、

気が気ではなかった。


そんな慕容、339 年に

鮮卑せんぴ宇文うぶん部討伐で多大な功を上げる。

その功績から都郷侯に封爵を受けた。


やがて石虎せきこが侵攻してくるも、撃退。

とはいえそれで諦める石虎ではなく、

部将の鄧恆とうこうに数万を与え、

樂安がくあんに陣取らせる。

対する慕容徒河とかに駐屯。

両者にらみ合うも、

鄧恆はついに侵攻を諦める。


ところで慕容は小さい頃から

よく馬で遠乗りをしていたのだが、

猟に出たときに馬から落ち、

歯を折ってしまった。


慕容皝が死に、慕容儁が即位すると、

慕容に「慕容𡙇ぼようけつ」と名乗るよう命令。

慕容は内心この措置に怒りを覚えたが、

あえて逆らわず、命令に応じた。


ただし間もなく「宣託があった」と称し、

「夬」を取り去り「垂」を名とした。




慕容垂、字を道明、皝の第五子なり。少きに岐嶷にして器度有り、身長は七尺七寸、手は膝を過ぐるに垂んとし、皝は甚だ之を寵し、常に目し諸弟に謂いて曰く:「此の兒の闊達好奇なるは終に人が家を破る能わんか、或いは能く人が家を成さんか?」と。故に霸を名とし、道業を字とし、恩遇は世子の俊を逾ゆ。故に俊は之に平らかなる能わず。宇文を滅せるの功を以て都鄉侯に封ぜらる。石季龍の來伐せるも既に還じ、猶お兼併の志を有さば、將の鄧恆を遣りて眾數萬を率い樂安に屯ぜしめ、攻取の備えを營ず。垂はに徒河に戍り、與に恆に相い持し、恆は憚りて敢えて侵さず。垂は少きに畋遊を好み、獵に因りて馬より墜ち齒を折らば、慕容俊の王位に僭りて即けるに、名を𡙇と改ましめ、外には慕郤𡙇を以て名と為さしまば、內實にては惡めど之に改む。尋いで讖記の文を以て乃ち「夬」を去り、「垂」を以て名と為したる。


(晋書123-1_仇隟)




というわけでの慕容垂。初っ端から兄貴慕容儁との確執マックスでさいこうです。基本的に慕容暐の代の破滅って慕容皝のせいだよね……と、言いたい、ところ、なん、です、が!


鮮卑拓跋たくばつ部が散々母系血族に振り回された末、拓跋珪たくばつけいの代に至って「子貴母死」なるキチガったシステムを編み出したことを考えれば、当然親族の慕容部にだって似た事情はあったろうよ、と思うのです。つまり慕容儁と慕容垂ではなく、その母系たる鮮卑だん部とらん氏の確執。ちなみに蘭氏はのちのち後燕の外戚として慕容垂なきあとの後燕をぐちゃぐちゃに引っ掻き回します。クソわね!


にしても慕容儁って、父親たる慕容皝に対してかなりヤバい感情を抱いていそうです。というのも慕容皝、落馬死なんですよね。その死を受けて即位した途端、ムカつく弟を「落馬にまつわる名に変えさせる」とかヤベー、ヤベーですわよこいつ……クソ of クソ……萌え……。


これまで釈道安しゃくどうあんやクマーラジーヴァでやってきた通り、慕容垂も淝水ひすいまでをざっとまとめてから淝水後に移行します。

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