姚泓29 釈僧導 上

釈僧導しゃくそうどう京兆けいちょう郡の人だ。


劉裕りゅうゆう後秦こうしん討伐に出向き、

姚泓ようおうを捕らえるころ、

僧導の名声は関中内外に知れ渡っていた。

なので僧導を自らのもとに招聘、

そして語りかける。


「常々、お目に掛かりたく思っていた。

 しかしあなたは、どうしてこのような

 蛮族のはびこる地に

 ずっと留まっておられたのだ?」


「あなた様が天下を泰平に導かれ、

 その名声が黄河こうが洛水らくすい領域に鳴り響く、

 このタイミングでお会いできるのも、

 また乙なものでございましょう?」


やがて劉裕が長安から

急ぎ南に戻らねばならなくなると、

次男の劉義真りゅうぎしんを長安に残すことに。

そのとき、僧導に言っている。


「うちの次男を残して鎮守に充てる。

 法師よ、どうかあの子のことを

 気にかけては下さらんか」




釋僧導,京兆人。宋高祖西伐長安,擒獲偽主,蕩清關內,既素籍導名,迺要與相見,謂導曰:「相望久矣,何其留滯殊俗?」答曰:「明公蕩一九有,鳴鑾河、洛,此時相見,不亦善乎?」高祖旋旆東歸,留子桂陽公義真鎮關中,臨別謂導曰:「兒年小留鎮,願法師時能顧懷。」


釋僧導、京兆人なり。宋高祖の西に長安を伐てるに、偽主を擒獲し、關內を蕩清せば、既に素より導が名は籍なれば、迺ち要え與に相い見え、導に謂いて曰く:「相い望みたること久しかれば、何ぞ其れ殊俗に留滯せんか?」と。答えて曰く:「明公の九有を蕩一し、河、洛に鳴鑾せるに、此の時に相い見ゆるは、亦た善からざるや?」と。高祖の旋旆し東歸せるに、子の桂陽公の義真を留め關中を鎮ぜしまば、別れに臨みて導に謂いて曰く:「兒が年は小さきに鎮に留む、願わくば法師にては時に能く顧懷せんことを」と。


(高僧伝7-5_寵礼)




劉裕がどんな僧を保護しようとしたか、みたいなところはきっちり追っていきたいもんです。劉義真のサポートを僧導に依頼してたとか、見事に宋書では見えてこなかった内容だからなあ。これって高僧伝側で盛ってるのか、それとも宋書側で盛大にカットしたのか。まぁ基本的には後者なんでしょうね。何せ仏教がらみの話、ものすげー避けてるものね。何であんだけ別口にしたんだろう。


高僧伝を編んだ慧皎えこうが 497~554 で、沈約しんやくが 441~513 。となると、基本的には高僧伝のほうが遅い出版なんだと思うんですよね。にもかかわらず僧侶が省略されてる。うーん、沈約の「官職にありながらも心は隠者でありたい」的なメンタリティと、官職に就こうともしないで修行ばかりする僧侶たちのメンタリティがバッティングしたとか?

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