僧叡2  禪法要     

僧叡そうえいは二十四歳になると

各所の大都市を巡り、講説を行う。

すると同好の士らが

そこに本を背負って集合。

彼らは軒並み嘆息している。


「マスターしている経典の本数こそ

 少ないものの、ものの因果を

 知悉しておられる。ただ、禅の心を

 マスターしておらぬため、

 うまく地に足着けられぬのが残念だ」


クマーラジーヴァが長安ちょうあんにやってくると、

早速『禪法要』三卷の訳出が依頼された。


これははじめの部分四十三条を

クマーララータが著述し、

終わりの部分二十条を

アシュヴァゴージャが著述した。

要は端書きと後書きである。

そしてその間、いわゆる本論は

五法門と呼ばれる。すなわち、

ヴァスミトラ、サンギャラクシャ、

ウパグプタ、サンギャセーナ、

パールシュヴァら聖人によって

まとめられた「治貪欲」「治瞋恚」

「治愚癡」「治思覺」「治等分」

について説かれていた。

「菩薩禪」と別称される経典である。

な、なるほど??????


ともあれ、そういう「何だかすごいお経」

を手に入れた僧叡、日夜読みふけり、

ついにこの五つの法門をマスター。

こうして六静、すなわち六根と呼ばれる

色・声・香・味・触・法の諸感覚を

沈静化させるスキルを得た。


つまり、すでに備わっている

経典の理法に加え、禅の境地も

インストール完了した、ということだ。

ことわざに言う「鬼に金棒」である。


そんな僧叡のことを知って感動したのが

後秦こうしんの大物、姚嵩ようすうサマであった。

その評判は、姚興ようこうの耳にまで届いていた。


なので姚興、姚崇に問う。


「僧叡どのはいかなる方なのだ?」


ぎょうに生まれた美しき松栢の木、

 と申せましょう」


ほほう、そこまでなのか。

なので姚興、僧叡を召喚、

その才器がいかほどなのかを

試そうとした。すると幹部たちも

その様子を見てみたいと集結。


衆人環視の中、僧叡は堂々とふるまい、

紡がれる言葉もあざやかであった。

姚興はすっかり僧叡を気に入り、

活動資金、人足、駕籠を手配させた。


そして、姚崇に言っている。


「彼は天下が仰ぎ見るべき導だろう。

 鄴の松栢どころではないぞ」


 こうして僧叡の名声は遠くにも伝わり、

 遠近の別なく、人々は

 僧叡を慕うようになった。




至年二十四,遊歷名邦,處處講說,知音之士,負袠成群,常歎曰:「經法雖少,足識因果,禪法未傳,厝心無地。」什後至關,因請出『禪法要』三卷,始是鳩摩羅陀所制,末是馬鳴所說,中間是外國諸聖共造,亦稱「菩薩禪」。叡既獲之,日夜脩習,遂精練五門,善入六靜,偽司徒公姚嵩深相禮貴。姚興問嵩:「叡公何如?」嵩答:「實鄴衛之松栢。」興勅見之,公卿皆欲集觀其才器。叡風韵窪隆,含吐彬蔚。興大賞悅,即勅給俸卹吏力人輿。興後謂嵩曰:「乃四海之標領,何獨鄴衛之松栢。」於是美聲遐布,遠近歸德。


年二十四に至り、名邦を遊歷し、處處にて講說せば、知音の士は袠を負いて群を成し、常に歎じて曰く:「經法は少かりきと雖ど、因果を識るに足る、禪法は未だ傳わらず、心を厝く地無し」と。什の後に關に至れるに、因りて『禪法要』三卷を出ださんことを請い、始め是れ鳩摩羅陀が制せる所にして、末だ是れ馬鳴が說きたる所ならざれど、中間は是れ外國の諸聖が共に造りたれば、亦た「菩薩禪」と稱す。叡の既に之を獲るに、日夜脩習す。遂に五門に精練し、六靜に入るに善く、偽司徒公の姚嵩は深く相い禮貴す。姚興は嵩に問うらく:「叡公は何如?」と。嵩は答うるらく:「實に鄴衛の松栢なり」と。興の勅し之に見ゆるに、公卿は皆な其の才器を集觀せんと欲す。叡は風韵窪隆にして、彬蔚を含吐す。興は大いに賞悅し、即ち勅し俸卹、吏力、人輿を給せしむ。興は後に嵩に謂いて曰く:「乃ち四海の標領なれば、何ぞ獨だ鄴衛の松栢たらんか」と。是に於いて美聲は遐きに布かれ、遠近は德に歸す。


(高僧伝6-14_賞誉)




ここまでのあらすじ!


経典理解力がド級にやばかった僧叡さん、しかし禅をマスターできてないのが惜しいと思われていたよ! そこで禅をマスターしてみたらたちまち後秦のお偉いさんに気に入られて「にはこんなすげえやつが生まれていたのか!(※鄴は魏の一都市)」って賞賛された。で後秦のボスには「魏国どころじゃねえ、天下の器だ!」って賞賛される。めでたしめでたし。


しかし途中で入る『禪法要』の解説が本筋を圧迫する勢いで分厚くてわろた。そしてそこに、さらに吉川氏のなされた注釈を加えることで分厚さを加速させるワイ。まぁけど、確かにこの経典についてはある程度しっかり補足が欲しいところかもしれないですわね。


にしても、これが禅行の基礎というわけですか。ちょっと各項目に踏み込んでみると、

 治貪欲:欲望を捨てる

 治瞋恚:怒りから解き放たれる

 治愚癡:愚かしさ、妄執を捨てる?

 治思覺:雑念を捨てる?

 治等分:罪業へと至る考えから逃れる?

? マークを付けたのは、うまく解釈が拾えなかったところです。ほぼ拾えていない。ともあれ、解脱に至るに当たっての基本的なマインドセットを得る、みたいな感覚なのでしょう。心に余計なさざ波が立っていると、確かに入るものも入らなくなってしまう。こういう境地に至れると、推し活も無心に楽しめるのかもしれないよなーと言う気もします。えっ推し活そのものが雑念だって? ごもっとも! 故に知ったこっちゃねえ!!!

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