道融1  佛法の興    

釈道融しゃくどうゆうきゅう林慮りんりょ県の人だ。

十二歳のときに出家した。

出家先の師はその秀才ぶりを愛し、

まずは外界で学びを得させようとした。


ある時、師が道融に命じる。

村に論語ろんごを借りてくるように、と。

命令通り村に出た道融、

しかし論語を持って帰らない。

なんと、すべて暗誦してしまったのだ。


いやいや、あのね?

お師匠、もう一回道融を村へ。

そして本を改めて借りてこさせて、

本を伏せて、口述させる。

するとその内容は、

一字一句違わぬものだった。


うわ、こいつヤバ。師匠、まじでビビり、

自由に学ぶことを許可。


おかげで三十歳に至る頃には、

凄まじい学識を獲得し、

国内外の様々な経典を心のなかで

自由に駆使し、思索を深めた。


やがて、クマーラジーヴァが長安ちょうあん入り。

汲郡、つまり淮水わいすい支流域にいた道融は、

クマーラジーヴァに会うため、長安へ。

そして教えを請うたところ、

クマーラジーヴァもこの異才に気付く。

姚興ようこうに言う。


「先日会見した道融殿は、仏典に対し、

 極めて聡明でありました」


そこで姚興も道融に会ってみれば、

たちまちその才覚に感嘆。

重んじるようになった。

なので逍遙園しょうようえんに招待し、

経典訳出事業に参画させた。

クマーラジーヴァに手がけさせた

菩薩戒本ぼさつかいほん』については、

今の世にも行き渡っている。


後に『中論』二巻が翻訳されると、

クマーラジーヴァは道融に、

この経典についての講義をさせた。

その講義では言葉に込められた内容を

精緻に読み解き、全体の意味合いを

明瞭なものにしていた。


クマーラジーヴァは、さらに『新法華』を

道融に講義させ、それを自ら確認。

やはり例によったようで、

クマーラジーヴァは嘆息しながら、言う。


「仏教を隆盛させるのは、

 まさに道融その人であろう」




釋道融,汲郡林慮人,十二出家。厥師愛其神彩,先令外學,往村借『論語』。竟不賫歸,於彼已誦。師更借本覆之,不遺一字,既嗟而異之,於是恣其遊學。迄至立年,才解英絕,內外經書,闇遊心府。聞羅什在關,故往諮稟。什見而奇之,謂姚興曰:「昨見融公,復是大奇聰明釋子。」興引見歎重,勅入逍遙園,參正詳譯。因請什出『菩薩戒本』,今行於世。後譯『中論』,始得兩卷,融便就講,剖析文言,預貫終始。什又命融令講『新法華』。什自聽之,乃歎曰:「佛法之興,融其人也。」


釋道融、汲郡林慮の人。十二にして出家す。厥師は其の神彩なるを愛し、先に令し外にて學ばしめ、村に往きて『論語』を借りせしむ。竟に賫せずして歸し、彼にて已に誦す。師は更に本を借らしめ之を覆えせど一字の遺えもなく、既に嗟し之を異とし、是に於いて其の遊學を恣とす。立年に至る迄、才解英絕、內外の經書を心府にて闇遊す。羅什の關に在すを聞き、故に往きて諮稟す。什は見ゆるに之を奇とし、姚興に謂いて曰く:「昨に融公に見ゆるも、復た是れ大いに釋子に聰明なること奇なり」と。興は引見し歎じ重んじ、勅し逍遙園に入らしめ、詳譯に參正せしむ。因りて什に『菩薩戒本』を出ださんと請い、今も世に行ず。後に『中論』を譯し、始め兩卷を得らば、融は便ち講に就き、文言を剖析し、終始を貫ぜるに預かる。什は又た融に命じ『新法華』を講ぜしむ。什は自ら之を聽き、乃ち歎じて曰く:「佛法の興り、融は其の人なり」と。


(高僧伝6-10_文学)




仏法の探求と、布教ってのはまた違った次元のお話ですしねえ。自分がよく使う言葉として「文章とは自分語の他人語への翻訳だ」ってのがあるんですが、この道融という人はそこについての能力が異常だった、と言えるんでしょう。ただやっぱり頭の中に収めている経典の数がクマーラジーヴァとでは違いすぎるから(なにせクマーラジーヴァは訳出した経典の数が頭の中に収まってる経典の数の十分の一に過ぎないとか言われている)、そうするとその分、「仏法的視野」が違いすぎる。


当たり前ですけどインプットとアウトプットなら基本前者のほうが圧倒的に速いわけで、もとよりクマーラジーヴァの脳内をすべてひっくり返すなどと言えば無理。しかも中には梵語の「音楽的側面」とどうしようもなく深くくっついており、漢語に翻訳などしようもないものだって多かったはず。そうすると、どう頑張っても漢語圏で学びを得る僧たちが得られる学識はクマーラジーヴァに比べると限定されざるを得ない。


クマーラジーヴァの最後の嘆息も「本来の仏法を語り切ることはできぬが、漢語圏に伝えられた経典に基づく」布教ならば、という但し書きがつくんでしょう。


先日読んだ仏教絡みの本でも「地域が変われば、信仰の内容とはどうしても変質せざるを得ない」と語られていました。クマーラジーヴァはその変質を最前線で見なきゃいけなかったんだなぁ。つらい。

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