姚緒   ふたりの叔父1 

姚緒ようしょ姚弋仲ようよくちゅうの子らのうち、

兄の姚萇ようちょうと母親を同じくしていた。

姚萇にとっては重要な存在であり、

非常にかわいがられていた。


はじめ征虜將軍になる。

姚萇が長安ちょうあんを支配し、皇帝を名乗ると、

姚緒を司隸校尉とし、長安を守らせた。


姚興ようこうが皇位を継承すると、安定あんていに転封。

しん王とされた。


安定周辺の情勢を落ち着けるため

新平しんへいを攻撃。これによって、

河東かとう栁恭りゅうきょう、安定の秦茂しんもらは

姚緖に投降した。


姚緖は新平や安定に住まう

六千世帯の流民層を蒲阪ほはんに移住させ、

そこに籍を置かせた。


これらの功績から并冀へいき二州牧に任ぜられ、

いわば後秦こうしんの東の守りとして君臨した。


姚興が政情不安等から自らの地位を

皇帝より天王に降ろすと、

姚緒と姚碩徳ようせきとくはともに王位を返上。

公爵への降格を願い出、受理された。


403 年、柴壁さいへきの戦い勃発。

ちなみにまさしく姚緖に

与えられた地で起こった戦いである。

なので姚緒は兵を率い、

前鋒軍として参戦した。


しかし、この戦いは後秦の惨敗。

撤退する姚興に対し、追撃する拓跋珪たくばつけい

ここで姚緖は蒲阪に戻ると守りを固め、

拓跋珪の攻撃を防ぎ切った。


姚興が改めて姚緖の元に訪問したときには、

城から出て出迎えた。

この尊敬すべきおじに対し、

姚興は同じ家族であるかの如き礼を取り、

またその功績を称えるため、

国内で子に名をつけるに当たり、

緒、碩德の名を犯してはならない、とした。

つまりこの二人が国を代表する名であり、

皇帝に準じるレベルで讃えよ、としたのだ。


姚興、この二人に対しては

常に謙虚に対応していた。

同じ家の上の世代の者のように接した上、

名を呼ぶときには常にあざな、

入手した車や馬、装飾品なども

先に二人に選んでもらい、

その次に自分が選ぶほど。

朝廷内の重大な検討事項も、

すべて二人を通したうえで施行していた。


その後姚緖は丞相にまでなるが、

まもなく死亡した。

敬王と諡され、姚萇の廟に配饗された。




姚緒、弋仲子、與萇同母弟、故萇甚友愛之。初、為征虜將軍。萇之至長安也、署緒為司隸校尉、鎮長安。興嗣立、徙鎮安定、封晉王。率眾攻新平。河東太守栁恭、安定太守秦茂等勢屈詣降。因徙新平、安定六千新戶以實蒲阪。緒遂為并冀二州牧、以鎮撫之。興既降號、緒與碩徳固讓王位、降稱晉公。弘始四年、興發兵伐魏、使緒綂河東見兵、為前鋒節度。興兵敗魏、乘勝進攻蒲阪、緒嬰城固守、攻之不克、乃引而去。及興如河東、緒出城迎之。興見緒待以家人之禮、班告境內及在朝文武立名、不得犯叔父緒及碩徳名、以彰殊禮。興謙恭孝友、事緒盡禮、整服傾悚、言則稱字、車馬服玩先以奉緒而自服、其次者。國家大政、必諮而後行。累遷至丞相、卒。謚曰敬王、配饗於萇廟。


姚緒は弋仲が子にして萇と母の同じき弟なれば、故に萇は甚だ之を友愛す。初、征虜將軍と為る。萇の長安に至れるや、緒を署し司隸校尉と為し、長安に鎮ぜしむ。興の嗣ぎて立つに、徙りて安定に鎮じ、晉王に封ぜらる。眾を率い新平を攻む。河東太守の栁恭、安定太守の秦茂らは勢に屈し詣で降ず。因りて新平、安定の六千新戶を以て實し蒲阪に徙す。緒は遂に并冀二州牧と為り、以て之を鎮撫す。興の既に降號せるに、緒と碩徳は王位を固讓し、降じ晉公を稱す。弘始四年、興は兵を發し魏を伐たんとせば、緒をして河東の見兵を綂べ前鋒節度と為さしむ。興が兵の魏に敗るるに、勝に乘じ蒲阪に進攻せど、緒は嬰城固守し、之を攻むるも克さずば、乃ち引きて去る。興の河東に如くに及び、緒は城を出で之を迎う。興は緒に見うるに家人の禮を以て待し、境內に班告す。名を立つるに叔父の緒、及び碩德の名を犯せるを得たらずとし、以て殊禮を彰らかとす。興の謙恭孝友なるは、緒、及び碩德に見える每、家人の禮が如くし、服を整え悚を傾け、言うに則ち字にて稱し、車馬服玩は必ず二叔を先とし、然る後に其の次者を服す。國家の大政は必ず之に諮りて後に行う。累遷し丞相に至り、卒す。謚して敬王と曰い、萇が廟に配饗さる。


(十六国60-2_暁壮)




どこまでも姚興載記の焼き直しでしかない感じですが、まぁ、略歴を知るには有用でしょう。こらそこ wikipedia のほうが精度高いとか言わない。


ぶっちゃけ後秦はろくろく前秦の儀礼すら継承しきれてないイメージがあるので、官位叙任とかもかなり雑だったんだろうなーって思う。劉裕が長安を落としたときにたくさんの祭具をゲットした、とのことだが、たぶん使い道がよくわかんなかったもんがたくさんだったんでしょうね。ついでに言えば東晋の奴らも割とその辺の伝統から置き去りにされてる連中だから、


……えーと、周以来の正統なる皇統を儀礼的観点から見れば、漢で瀕死、西晋滅亡でとどめ?


正直漢魏晋の皇統って、その後のどシャッフルっぷり知ってると「うんうん、ぜんぶ内輪もめだよね?」としか思えないのが、こう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る