第6話 龍虎相対。玄武到来。生死制止に朱雀来々。
「このような夜更けに屋敷へとおいでとは……謀ですかな、秀吉殿」
明智屋敷。人知れずやってきた秀吉は、明智光秀と対談する。
誰にも気づかれていない、ふたりでの面会。ようやく、逃げ回る光秀との連絡が付き、面会と相成った。状況は悪くない。ここで明智光秀を殺せば、証拠は何も残らないと秀吉は思った。
「ああ、謀じゃて。……悪巧みは、暗い方が盛り上がる……じゃろ?」
「そうですね。そろそろ来る頃ではないかと、思っておりましたよ」
光秀が茶を点て、そっと差し出す。秀吉はそれを一瞥する。さすがにこれは飲みたくない。茶に毒が入っている可能性はある……よな?
「……毒など入っていませんよ。飲んで見せましょうか?」
「結構。わしが、これを飲まぬことぐらいおぬしもわかっとるじゃろ。……そろそろ腹を割って話さんか?」
序盤は世間話。そして、柴田勝家に持ちかけたような、手柄の山分けを提案する。油断したところを、懐にある短刀で斬り殺す。まずは、明智の気の緩みを待つ。
「わしゃ、おみゃーが好かん。おみゃーも、わしのことが好かんじゃろ? なんせ、桶狭間で斬りかかってきたぐらいでゃあや」
「そうですね。織田家にて、あなたの才能は恐ろしい。目の上のコブです」
「しかし、このままでは織田家の混乱は収まらにゃあ。ここはひとつ、手柄を山分けせんか? わしが真犯人ということで手を打て。出世はわしがもらう。おみゃーには、金をくれてやる。それで手打ちといかんか?」
「真犯人を名乗るにしては、随分弱気な提案ですね」
「いかに真犯人とて、ここから勝ち取るのは無理であろ。いずれはわしらも火炙りよ。そうなる前に、終わらすのが得策と思うてな」
「なるほど。しかし、あなたが約束を守るとは限りませんな。お互い、信頼関係がないのですから」
「信頼か。じゃあ、こういうのはどうじゃ」
そう言うと、秀吉は茶碗を手に取り、ぐいっと一気に飲み干した。
この行為には、さすがの光秀も目を丸くしていた。正直、秀吉も心臓は爆発寸前だ。毒が入ってないとも限らないのだから。けど、たぶん入っていないと思ってはいる。明智なら『秀吉が毒が入っていると見抜いていることを見抜いている』と思ったからである。
秀吉は身を乗り出し、空になった茶碗を光秀の前へと置く。膝を突き、そのまま詰め寄る。
「仲良くしてくれとは言わん。だが、一度だけわしを信じてみぃ。わしは、おぬしの茶を飲んだで、おぬしはわしの提案を飲んでくれにゃあかのう」
「……そこまでのお覚悟か」
光秀は空になった茶碗に視線を落とす。
――好機だと秀吉は思った。
心拍数が上がる。茶碗を片付けようと手に取ったが最後。その隙を突いて、懐にある短刀にて両断してくれる――!
「……良い、でしょう。私とて、これ以上織田家が荒れることは望んでいません。あなたは名誉。私は金……そういうことで手を打つとしましょうか」
明智光秀が姿勢を下げるように茶碗を掴んだ。
――いまだ! さらばだ明智くん!
と、秀吉が思ったその時であった。
凄まじい怒号が屋敷を震わせる。
「ひぃぃぃぃでぇえぇぇぇえぇよぉぉぉおぉぉぉしィィィィィッ!」
ずがんずがんと、まるで巨人が侵入してきたかのような足音。思わず、短刀に伸ばしていた腕が止まる。
「な、なんじゃッ?」
狼狽する秀吉。
ふすまが勢いよく開いた。
「ここにいたか秀吉ぃぃぃぃぃぃッ!」
「にゃ、にゃしッ……ししし柴田勝家ッ!」
幽閉されていたはずの柴田勝家が、刀を持ってご登場。鼻息荒く、秀吉を睨みつけている。
「なぜ、おぬしがここにッ! 地下牢に閉じ込められておったはずでゃあッ?」
「よくも謀りおったなクソザルが! 貴様のせいで信用は失墜! 信長様はわしの焼き討ちを所望しておるッ。……だが! その前に、貴様の首だけは刎ねてやる!」
「……これは、どういうことで?」
事情を知らぬ明智が、冷静に問いかける。
「い、いやややや、ここここれは、その……かかか、勝家はわしらを亡き者にしようとしとるんぎゃあ。ふふふ、ふたりで協力して倒すしかにゃあ!」
必死に取り繕う秀吉。だが、柴田が怒鳴りつけるように反論する。
「油断するなよ光秀ぇ……そやつは、褒美を山分けするという条件で、わしに取引を持ちかけてきたのだ。そうしたら、その一部始終を信長様に聞かせおったのよ!」
「褒美を山分け……ほう、なるほど」
疑惑のまなざしを向けてくる明智光秀。非常にマズいことになった。光秀を暗殺する機会を失った。それどころか勝家に殺されてしまう!
「み、光秀ッ! わしはなんも企んでおらん! 勝家は乱心じゃ! 協力して奴を倒そうぞ!」
「騙されるなよ光秀ぇッ そやつの言葉を信じたら仕舞いぞ!」
「さて、どうしたものでしょうか……」
「ええい! まあ良いわ! ふたりまとめてあの世に送ってやるわいッ!」
万事休す。そもそも、明智と協力したところで、勝家に勝てると思えない。勝家の刀が振り下ろされる。
「ひいぇぇえぇえぇッ!」
ザグンと、畳に巨大な亀裂が入る。奴の一振りは、馬をも斬り飛ばす威力。さらに二撃目。のけぞるように回避。その風圧が秀吉の髪をぶわりと持ち上げる。
「あわわわわッ! み、みつッ――た、助け……」
勝家が、たたみを勢いよく踏みつける。衝撃で家屋が揺れた。秀吉は思わず尻餅をついてしまうのであった。
ぬぅ、と、勝家が影を落とす。
「これで仕舞いだ、秀吉。百姓如きが、このわしを謀るから、こうなるのだ」
「ゆ、許してくれ、わ、わしゃあ、そんなつもりは……か、官兵衛が……黒田官兵衛が……」
「見苦しいぞッ、いいわけはあの世にて申せッ! 死ねぇぇえいッ!」
勝家の渾身の一撃。斬られるどころか、木っ端微塵に消し飛びそうなほど豪快な一刀。
――終わった。と、秀吉は思った。だが、その時。勝家の刀が『槍』によってガキンと防がれる。
「――ちょっと待ちな、勝家の旦那!」
「ぬ、ぐッ! な、何奴ッ!」
槍を振り払うように剣を動かす勝家。
「き、貴様はッ!」
「お、おみゃあは!」
「貴方は――」
「――そこまでだ。この喧嘩は、この前田利家が預かるぜ」
前田利家。槍の名手たる彼が、騒動の最中に現れ、柴田勝家の一撃を防いでくれたのだった。ただ、黒焦げ。そしてふんどし。あの日からずっと黒焦げだったのだろう。どういう事情か、牢から飛び出し助けにきてくれたようだ。
「おのれ、
刀を振り回す勝家。利家は、それらを槍にて受け止めていく。さすがは織田家の猛将。柴田勝家と互角に渡り合える唯一の人間である。
「待てっていってんだろうが髭親父ッ! りゃあッ!」
「槍使いの駄犬がぁあぁぁぁッ! 別に貴様も殺してしまっても構わんのだぞぉッ!」
奮闘する勝家と利家。
ちょうどいいと秀吉は思った。この隙に逃げ――。
「ひッ!」
ひゅんと、短刀が振るわれる。光秀の剣閃だった。すんでのところで秀吉は回避。
「な、なななななにをする光秀ぇッ!」
「いえ、ちょうどよいと思ったものでね。……ここで貴方を始末すれば、手柄は私のものかと――」
「にゃにゃ! み、光秀ッ! う、裏切る気かッ! というきゃ、
秀吉も、懐の短刀を抜いて構える。
「あなたも、人のことを言えないようで……」
向かい合う秀吉と光秀。そこへ、前田利家が一喝する。
「やめろっていってんだろうがぁッ!」
豪快に、槍を振り回す利家。そのあまりの圧力に、柴田勝家が怯む。秀吉も光秀も、気圧されて下がった。
「ふざけたことやってんじゃねえ! 俺たちが戦う必要なんてないんだよ! こんなことをしても、なんの意味もねえ!」
「なにを言うか利家ッ! おまえとて、信長様に酷い目に遭わされたではないか!」
「落ち着けや、柴田の旦那ッ! いいか? 信長様は、すでに誰が真犯人か見抜いておられる!」
その言葉に、誰もが一様に目を丸くする。
「にゃ……そ、それは本当か利家ッ?」
「おうよ。だから、俺ぁ一足先に騒動を止めにきただけだ。……ったく」
「だ、誰なのだ、桶狭間の怪人はッ?」
詰め寄る勝家。光秀は「……」と、様子を窺っている。
「い、いや、その……俺も教えてもらってねえけどよ……。信長様が言うには、明日の評定で伝えるそうだ。……だから、今日はとりあえず家に帰れ。柴田の旦那も、牢に戻らなくてもいいってよ。――もう、争いはやめろや……」
☆
一方その頃。織田信長は清洲城の天守閣にいた。
茶杓で緑色の粉をすくい、そっと茶碗へ入れる。釜から柄杓いっぱいの湯を注ぎ、茶筅で細やかにかき混ぜる。抹茶をふんわり仕上げると、目の前の客人に差し出して、こう言った。
「おぬしが真犯人……桶狭間の怪人であろう?」
「夜更けに呼び出されたと思ったら……これはいったいどういうことでしょうかな?」
黒田官兵衛は、にっこりと笑い、茶を受け取ると一気に飲み干した。
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