28.過ぎる、拍手の余韻

 救援に来ていた医療部隊によって、アルとルクスは迅速に保護された。

 想像以上にルクスの容態は芳しくなく、重体の宿主を早急に治療しようとくすりの分泌を急いだ天上花てんじょうかの影響で、外部に劣らず内部も重症だったという。

 毒と薬は紙一重とはよく言うが、天上花への適合率が低いルクスにとって、それがもたらす恩恵は、限りなく毒に近い。


 応急処置を終え、エプレの街へと搬送されていくルクスの顔は蒼白で、揺られる体は無感情で、生気のカケラさえ感じられなかった。

 それでも肩と背に残る彼の温もりは生者のものだったのだから、きっと大丈夫だろう。

 遠ざかっていく車両を見つめながら、アルはそう確信していた。


「おい、入るぞ」


 実際、その予感は的中していた。

 フィロメリアから帰還して数日後――アルは返事を待つことなく、無機質な扉を開いた。スライド式の扉は思ったよりも軽く、壁に当たってガタンと跳ね返ってくる。

 騒音がまだ染みるのか、真っ白に整えられたベッドの上で何やら資料を見ていたらしいルクスは、眉根を寄せながら来訪者へと視線を移した。


「あぁ、アルか。聞いたよ。君、翌日にはトレーニングルームに出没したんだって?」


「人をモンスターみたいに言うんじゃねぇよ」


 すぐに人好きのする笑みを浮かべる彼に、アルはぎこちなく肩をすくめる。

 雰囲気こそ穏やかだが、ルクスの様相はいまだに痛々しい。腕に繋がる無数の点滴の管、掌を厳重に覆う包帯、病衣から覗いた包帯だらけの胸部は呼吸のたびに微かに震えていた。


 部屋の白さが目に痛い。青年は人相の悪い三白眼を更にしかめながら、また資料に目を落とし始めた彼の方へと歩み寄る。

 いたずらに覗き込もうとすれば、ルクスは慣れた手つきで、文面が見えないように己の方へと傾けた。


「心臓に傷を負って危うく生還したはずの君が、翌日の朝には腕立て伏せをしてるもんだから、あの時は僕も驚いたよ」


 ルクスとは対照的に、アルは天上花への適性が高い。それは稀に見るほど――唯一、異能力の〝完成系〟と称されるラストにも匹敵する程だ。

 何をもって完成系とされるのかは、アルにもよくわからなかったが。


 青年は渋面を隠すことなく、ベッドの横に置いてあった椅子へと腰掛けた。先ほどまでラストが座っていたのか、はたまた彼に関連した思考を浮かべていたせいか、座面からはほんのりと紫煙の香りがした。


 ルクスは資料と睨み合ったまま動かず、アルもまた、口を開かずに視線を右往左往とさせるばかりだ。

 白い部屋の中で、沈黙と薬品の匂い、紙の擦れる音だけが響いている。


「寝てろよ、怪我人だろ」


「怪我人には違いないけど、僕は医師だからね」


「……」


 やっと紡いだ一言を一蹴された青年は、たまらず窓辺に視線を移す。そこは、見舞いのたびに持ち込まれているのであろう、果物や花々に彩られていた。

 籠からこぼれ落ちそうなほどの果実は瑞々しくて、エプレの街の名産品であるリンゴの赤色は一際目を引いた。


 カーテンレールに取り付けられたフックに下がる折り鶴の群れが、吹き込むそよ風に揺られて、さわさわと鳴き声をあげる。


 ぎこちなく折られた羽の先には、拙い文字で何かしらのメッセージが書かれているようだった。

 その折り鶴が孤児院の子供達から贈られたものだと気づいたのは、山と重なったリンゴの詰まった紙袋が隣に置かれていたからだ。


 これと同じように多量のリンゴの詰まった紙袋を抱えたアメリアと共に訪問した孤児院を思い返し、アルの眉は自然と渋いハの字を描く。


「もしかして、果物が目当てだったり?」


 見舞いの品に飾られた窓辺に釘付けになっているアルに気づいたのか、ルクスはイタズラに口角を緩めた。


「ちげぇよ」


「そう? 食べ盛りなんだから、遠慮しなくても構わないのに」


 本当に断らないと、彼が果物を剥き始めると直感したアルは、勢いよく首を振り回す。その様子を見たルクスは、困ったように肩をすくめた。

 アルがルクスの病室を訪れたのも、他人にすすめられたからだとか、当然果物目当てでもない。それどころか、誰かの見舞いに自主的に赴くのは、これが初めてだ。


 ルクスが医師として信頼され、愛されていることは、他人の感情をあまり意に介さないアルも、この病室から感じることができた。


 だからこそ、なおさらに、サキアの言葉が記憶の奥の方に引っかかって抜けてくれない。

 彼の叫びが、血液を通して体内に響いてくるようだった。


『ほんと気に食わない。自分は正義の味方ですなんて顔して、根っこは腐って、もう根付ける地面だって選べないくせに!』


『根腐れしたヤブ医者は、とっとと駆除しなきゃ。その方が、患者さんのためになると思わない?』


『なに忘れてるんだよ、なぁ!』


 サキアの吐き出す声の全てには、怒りと悲しみと、殺意が込められていた。

 激情のまま吐き出された言の葉は、熱された鉄のように赤く、触れただけで指が落ちそうなほどに鋭利だった。

 彼はルクスの医師としての姿――つまるところ全てを、否定していた。


「あー……」


 ――なんで俺が、他人の事情を気にしてんだ。

 詰まる言葉の栓を探しているうちに、アルの脳内は茹だっていく。いつだって、他人のことはどうでもよくて、自分の生き死にだってどうでもよかったはずだ。それが、何故。


 何気なく手に取った本の結末を希求するような、血が茹だってのぼせ上がるような、妙な感覚にアルは思わず喉を掻きむしる。


「なんで、」


 ようやく吐き出した言葉はしどろもどろで、言葉というより、ただの音に近かった。それをしっかりと拾い上げたルクスは、幼なげに目を丸くしながらアルの方を見て、首を傾げる。


「そんなになるまで、戦ったんだ。クロムの時だって、どうして俺を止めた」


 まるで異常事態を目の当たりにしたかのように、ルクスはそのままの表情でフリーズしてしまう。半開きの唇が、何を言うわけでもなく、数回の開閉を繰り返した。

 その様子を見ていると、自分がなにかとてつもなく恥ずかしいことを口走った気がして、青年の不健康な頬が赤く色づいていた。彼は唇の左端を強く噛むと、乱暴に椅子から立ち上がる。


「だーっ! んだよその顔っ、俺だって柄にもねぇって分かってんだよ!」


「あぁ、すまない、ごめん。アル、もう一回座ってくれ、悪かった。君は他人を気にかけない子だと、悪気なく思っていたから、つい……」


 暴走機関車並みの速度で立ち去ろうとするアルの袖を慌てて掴んだのは、包帯が巻かれている方の手だった。激痛に蹲るルクス。ため息を吐きながら、アルは緩慢に再着席した。

 痛みが引くまでの呼吸をおいて、やがて彼は静かに語りだす。


「僕は医師だ。救える命は必ず救うし、見捨てない。けれど――生死の選択肢は、本人が持つべきものだとも思うんだ。こんなご時世だからこそ特に、死だけが救いだという人は、残念ながら存在する」


 意外な言葉に、青年は片眉を跳ね上げる。ルクスは確かに医師だ。救済マニアが第一印象にあがるほど、彼は生命を救う医師としての姿に固執しているように思えた。

 だが、出来栄えの良いグレープを思わせた眼は、死の影を映したような暗らかさで、傷だらけの己の手を見つめている。今まで取りこぼしてきた生命の砂粒を、数えるように。


「ドールである彼女に生命があるかと言われたら、僕には分からない。けれど僕たちの意思で、彼女の意志を決めてしまうことは、憚られると思ったんだ。……君に最初から頼まなかったのも、同じ理由だよ」


 そう呟いて、医師は首をすくめた。


「正直、僕はサキアがどうしてあそこまで怒っていたのか、見当がついていないんだ。でも、そこで彼の怒りを蔑ろにするのも、なぜか許されない気がして」


 そこで死ぬなら、それでもよかったのかもしれないと、ルクスは静かに瞼を下ろす。

 黙って彼の言葉に耳を傾けていたアルは、今までの〝記憶〟を思い返していた。

 サキアがルクスのことになると感情を制御できなくなるのと同じように、ルクスはあの少女エリエスのことになると、精神状態に陰りが見られた。


 二人の因縁を解く鍵はやはり彼女に、エイルにあるのだろう。

 ルクスはエイルをエリエスと呼んだし、サキアはどこかエイルとルクスを会わせたくないようにも見えた。


(けど、エリエスは人間、だよなァ……?)


 エイルは無機物ドールで、エリエスは人間だ。単に容姿が似ているのか、雰囲気が似ているだけなのか、はたまた――

 そこでプツリと、アルの思考の糸は切れ落ちてしまう。今まで戦闘以外ではほとんど使用されてこなかった、脳みその限界だった。


 ただでさえ、血の記憶の本当の使い道やら正体不明の人型やら謎多きバーの存在やらで、頭は半ば混乱状態にあるのだ。無理もない。


「……君も、僕を医師失格だって、思ったかな」


 不意に落とされたルクスの声は悄然としていて、今にも枯れてしまいそうだった。眼前に落ちる花弁を追うように、アルは視線を持ち上げる。

 ルクスの視線は虚ろで、土の下の棺桶でも眺めているように、昏い。


「テメェが医師失格なら、世の医者はほとんど失業してんだろ」


 アルは口端を曲げる。ルクスは目を見開くことなく、微かに微笑んだ。

 枯れかけの蕾にも微かに色が残っているが、気にかけなければ見落としてしまうように。ほんの細やかな影が、未だにルクスの瞳の中で揺らいでいた。


 異能力者は特に、外傷ならば簡単に治ってしまうが、心の傷はその限りではない。

 幼い頃の傷跡が、大人になっても同じ大きさで白く残り続けるように。しかしタチの悪いことに、それは常に熱を持ちながら、人の心身を蝕んでいく。故に、本当の意味で消えることはない。

 消し去ってしまうには本当に――それを選ぶしか、ないのかもしれない。


 そしてルクスという人間は、白い傷跡を白衣で誤魔化しながら、常にその選択肢と戦い続けているのかもしれなかった。


 だからこそ彼は、これまで繰り返された時間の中で、側から見ればいとも簡単に命を絶ってしまったのだろう。

 降り積もった傷跡など、第三者に分かろうはずもないのだ。心という臓器は、不可視なのだから。


「あー……俺は帰る。なんだ、その……話、ありがとよ」


「ふふ、どういたしまして」


 口の中で飴玉でも転がしているように、もごもごとしたアルの口振りに、男は母親じみた笑みを返した。

 心なしか、ルクスの青白い肌に赤みがさした気がする。心の傷が癒えるとまではいかないだろうが、血が拭われる程度の息抜きにはなっただろうか。


「僕の方こそ、弱音を吐いてごめん。聞いてくれてありがとう、アル」


 立ち上がるアルの背を、柔らかな声が追いかける。

 青年は口をへの字に曲げ首筋に手を添えたまま、病室を後にした。

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