25.幕間の決戦
「オレから逃げられると思うなよっ、ニンゲン‼︎」
極彩色の雨垂れと共に弾けたのは、足先から毛の一本までを怒りに染めあげたクロムだった。
どう頂上まで登ってきたのかは不明だが、彼女はステンドグラスのドームを突き破り、アルの前へ再び現れたのだ。
「もーっ、せっかくいいところだったのに! クロムおねーさんって、ほんっとに僕の邪魔しかしないよね」
回避行動をとっていたルクスとアルに反して、サキアはただフードを目深に被り佇んでいた。口調はすっかりと元通りになっていたが、語尾に滲む黒くて熱い感情は、繕いきれずに滲んでいた。
わざとらしくガラス片を払った後、サキアは黒いフードマントを脱ぎ捨てる。翻る布の奥で、細い翼、もしくは大輪の花弁を二つに切ったような独特な形状をしたダガーが煌めく。
柄の代わりに取り付けられた円形の刃――盾のような役割も果たしているようだ――の裏側を確かめるように握り込みながら、サキアは荒々しく自分を振り返るクロムを嗤った。
「随分と
卵の殻のように割れた天井から、月光のスポットライトが降り注ぐ。冷たいその光は、まるで陽光のようにクロムの赤髪をけざやかに照らし出し、理性の糸を焼き切った。
彼女の赤い瞳孔が溶け出してしまったかのように、鋭い銀眼が真っ赤に染まる。実際に
「ふふ、ははははっ……」
人は制御しきれずに溢れた感情が、涙やら笑いやらとなって顕現することがある。それは彼らドールも同じらしい。クロムは白い歯を綺麗に覗かせて、肩を震わせる。
笑いとも嗚咽ともつかぬ呻きは甲高い嘲笑へと変わり、怒りの余花はため息と共に花開いた。
「はぁ……散々オレをコケにしてくれるなぁ、キミ達は」
『クロム様への侮辱行為、断じて許せない』
「
掠れた怒声に、神経質な男の――ティタンの声が重なった。喋る剣というファンタジー的な代物に、アルが思わずこぼした呆れ声は、場違いな緩さで静寂に染み込んでいく。
「コケも侮辱もないでしょ。No.持ちでもないくせに。ね、クロムおねーさん?」
「貴様……っ」
決して触れてはいけないものを、あろうことか、ヒールで踏み砕いたような音がした。それは、クロムの
憤怒は鏡面に巨大な蜘蛛の巣じみたヒビを刻み、それは彼女の視界を盲目にする。
No.とは、実力と実績を
踏み砕かれた破片を更に靴底で踏み躙るように、サキアは嫌に笑う。
「君たちは二人で一つのNo.を持つ、ってことになってるけど、実際に持ってるのはティタンおにーさんの方でしょ?」
ダガーを空中に放り、弄ぶ。刃先は無防備なまま、クロムの弱点を嬲っていく。
「おにーさんの欠点は、武器に変化した時の重さだけ。その判断力は、
掌に着地した柄を握り込み、独特な形状の刃先で、クロムと彼女の手の中の
悪意を孕んだ三日月に照らされたクロムの双眸が、さらに赤く色づいていく。
「強さと暴力の違いも分からない、ただの暴れん坊。ふふ、僕とペアを組んだ時も、問題ばっかり起こしてたね――っと」
暴かれた烙印。堪えきれず、クロムは叫んだ。もはや矜持の一粒に至るまで、燃やし尽くすようだった。
孤独とは強さへの代償である。故にこれは己の確たる強さの証明、そして対価である。
それは、クロムの掲げた価値観だ。同時に、仮面であり虚飾でもある。盲目の視界は怒りばかりを反響し、神経の髄に至るまでを真っ赤に染め上げる。
音のない落雷は迸り、青い猛炎のごとく一撃がサキアへと襲いかかった。身を軽やかに翻した彼の足元に、閃光が弾ける。刃先の描いた鋭い軌跡が風を呼び、白い花弁を派手に舞い上げる。
激情のままに迸る斬撃を、サキアは次々と回避していった。口元を摩訶不思議な猫のように歪める彼に反して、クロムの相貌を覆う影は深まっていく。
上段からの斬撃が空を裂く。最小の動きで回避したサキア。一瞥する黄眼。それは斬撃の着地点を捉えていた。肉切り包丁じみた大振りな刃先は花々を深く抉りかけ、サキアの滑らせた刀身にぶつかり動きを止めた。花弁の代わりに、火の花が散る。
入り込む隙はなかった。
同士討ちを好機と見たアルは、クロムの斬撃に乗じサキアへ血の弾丸を飛ばしたが、彼はそれさえ予測して動き、弾丸は純白のガゼボの柱に砕かれた。花々と極光に彩られた楽園は、もはや彼の独壇場。サーカスの花形のように、サキアは演技じみた動きでアルとクロムを挑発した。
二人の舌鳴きを掻き消して、高い音が鼓膜を揺する。見ればサキアの振るう白銀が、なんらかの壁に阻まれていた。
「んっ?」
空気の一部が凝固して、彼の斬撃を拒んでいるようだ。不完全な形に腕を曲げたまま、サキアは間抜けな声をあげる。
アルはその壁の正体に気付いた。赤錆の三白眼を横に滑らせれば、ルクスが口元を抑えてサキアの方を見据えていた。黒手袋の隙間から、血が数滴こぼれ落ちていく。
「くたばれっ――――!」
滴る赤色が地面に落ちるよりも早く、クロムは下段からの蹴りをサキアの腹部に向けて放っていた。鋭い風鳴りは空気を蹴散らし、重い音を伴って肉に脚部が沈み込む。大ぶりの枝が踏み砕かれたような音と、細い穴に空気を吹き入れたような音が重なる。
次の瞬間、サキアは後方へ大きく吹き飛ばされた。小型の動物が馬の後ろ蹴りを食らったかのように、彼は綺麗な放物線を描いて飛び、先ほどアルの弾丸を防いだガゼボの屋根に叩きつけられた。
虚しい音を立てて一対のダガーの片割れが屋根を転がり、音もなく花の海へと吸い込まれる。
「はっ、散々ふざけたことをぬかしておいて、貴様も大したことないじゃないか。なぁ栄誉のNo.9サマ?」
いまだに泡を立てる余憤に身を焦がしながら、クロムは低く笑った。花々に埋もれてなお煌めくダガーの銀色が、いまだに動くサキアの
すでに彼女の心の中に、アルとルクスの存在はなかった。それを勘づいていたティタンは、剣の形をとったままクロムの腕を彼らの方へ引いた。
『クロム様、本命が、敵がまだそこに。戦いは終わっていない、気を確かに』
「うん? あぁ、敵、敵か……」
返されたのは空虚な安気。籠耳にかろうじて引っかかったワードを引き上げて、クロムは
「そうだ、キミへの礼がまだだったな。このオレを散々と、いいように無視して。楽しい時間も、すっかり興醒めだな」
「なーにが興醒めだ。他の男にうつつを抜かしてたのは、テメェの方だろうが」
「それは、すまなかったな」
その言葉選びはいかがなものかと、血に塗れてしまった黒手袋から指を抜きながら、ルクスは苦笑した。
存外と素直に謝罪を述べたクロムに、驚愕の視線が注がれる。それは手の中のティタンも同じだったらしい。彼は刀身を微かに震わせた。
「今度こそ、ちゃんとやり直そう。邪魔はもうない。……そこの医者も、もはや無茶はできまい?」
「つか、邪魔すんな」
意識を失おうとも、首を落とされようとも、患者のためになら走っていきそうなルクスを、アルは先に牽制する。できのいいグレープを思わせる青紫の眼が、葛藤するように開閉する瞼の裏で泳いでいたが、ため息と共に静止する。
彼は一歩引き下がる。二人は一歩、前へと進んだ。
鋭利な静寂の中では、呼吸さえも切れてしまいそうだった。無言で睨み合う赤錆と赤の瞳孔。それは真ん中でぶつかりあい、透明な火花を散らした。
不可視なはずのそれが地面に落ちたとき、二人は同時に動き出す。血の双剣が、青く濡れた刀身が、閃いた。
ぶつかりあう刃と刃が奏でる音は、まるで打ち震えた歓喜のようでいて、公園ではしゃぐ子供たちのように無邪気だ。それは、夕焼けの後に訪れる濃い静寂と、夜の気配など知らないのだろう。
それは常に、子供たちを背後から見据えている。
猫のように、音もなく。
残酷に、子供たちの笑声だけを奪っていく。
鮮やかすぎる金色が、忍び寄る宵闇の中で
「遊びの時間は、そろそろ終わりでいいかな」
猫のように間延びした声はそう、笑っていた。
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