閑話.語らぬ心

(こちらの話は閑話になります。

本編に直接関係はないので、後からお読みいただいても大丈夫です。息抜き程度にお楽しみいただければ幸いです)



 これは、アルがフィロメリアに到着する少し前のお話だ。


 双星エトワールの象徴である、天の使者を思わせる白髪と、光の有無で表情を変える赤い瞳を隠すこともせず、ヨシュアは濡れた石畳みを鳴らしていた。

 腕に抱えられた紙袋には、大切な妹クローフィーのドレスがしまわれている。

 彼女はとても美しい。自分に似て、ではなく、純粋に唯一無二に美しいのだ。

 だが一つ、困ったことがある。それは彼女自身が、その稀有な美貌を大切にしないことだ。よってこのドレスは、見かけによらぬ彼女のワイルドさの犠牲になったものだった。


「そこもまた可愛いので、許しちゃうんですが」


 血液がこびりついてとれなくなったドレス、チーズのようにとろけたブーツ、邪魔だからと破り捨てられた装飾品の数々――ヨシュアの脳内に次々と浮かんでは、クローフィーの可愛さの前に撃沈していく。

 謎に、彼は満足そうだった。


「おっと、いけない。店はここでしたね」


 脳内の愛しい横顔に見惚れて、危うく目的地を通り過ぎてしまうところだった。

 黒の外套は翻り、ドールショップの前で止まる。丁寧に磨かれた大きなショーウィンドウは特徴的だが、今は飾られるものがなく、敷き詰められた青い造花だけが物寂しげに暖色の光に照らされていた。

 ヨシュアが最初にここを訪れた時は、同胞が飾られていたものだから驚いた。ドールのコレクターがいるとは聞き及んでいたが、その対象に自分たちが含まれているなど、思ってもみなかったのだ。

 彼は肩をすくめ、気を取り直して扉を開く。


「お待ちしておりました、ヨシュア様」


「どうも、ご老人」


 涼やかな来店のベルと共に、カウンターに向かい作業をしていた店主は手を止め、彼の方を向いた。形の良い髭を数回撫でて、店主は温和に微笑む。

 人好きのする笑みを返しながら、ヨシュアは持っていた紙袋を店主の前に掲げた。


「ドレスの仕立て直しを、お願いできますか?」


「貴方様の――天使様のためならば、喜んでお受けいたしますとも。どれどれ、お見せ願えますかな?」


 紙袋から出されたのは、クローフィーが珍しく愛用していた黒のドレスだ。

 パニエなしでもふんわりと広がる軽やかな生地は数段に重ねられており、数色の赤が大人の艶やかさと同時に、少女の鮮やかさを演出していた。

 全体的にゆったりとしたシルエットは、彼女の肢体を惜しみなく包み隠し、飾り、演出するのに最適な形をしている。少なくとも、ヨシュアはそう感じていた。

 だが今や、裾は乱雑に引きちぎられ煤に塗れており、指先までを覆える袖は、黒が変色するほどの血を吸ってしまっていた。他にも細かなほつれや傷をあげれば、キリがない。


「これはまた……随分と派手に……」


「えぇえぇ、クローフィーはとても頑張りましたから。貴方の繕ったこのドレスをまとい、戦場を駆ける様は、筆舌し難いくらいに華麗でしたよ」


「天使様の美を彩る一部であれたならば、これほどない喜びと称せましょう。私の心は最早、

そうである・・・・・ことでしか、満たされはしないのですから」


 破損箇所を丁寧に確信にながら、老店主は微笑んだ。ヨシュアも満足げに、瞳を細める。

 美を命よりも重んじるこの都市にとって、クローフィーの美とは、至高そのものであった。双星が戦場で踊る様は、都市の誰もが新聞越しに釘付けになったものだ。

 つまり、彼女の衣服を仕立てられるというこの現実は、老店主にとって、この上のない名誉と言える。


「少し、店内を見ても?」

「えぇ、もちろんですとも。どうか、心ゆくまで」


 まだ時間を要すると判断したヨシュアは、カウンターから離れ、広くはないが凝られた内装の店内の物色を始めた。


『衣装の修繕代は構わない。これは生涯の栄誉であるから。けれどその代わり、叶うならば、天使様の姿を模した人形を作らせてほしい』


 という店主の熱は本物で、彼は本当にクローフィーを模した人形を作って以降、代金を請求してくることはなかった。

 本当に変わった店主であり、それがこの都市の有り様なのだと、ヨシュアは実感した。

 彼の作るドレスや装飾品は、どれもに夢と憧れが詰められており、仕上がりにはいつも感嘆させられている。もっと大きな通りに仕立て屋として店を構えれば、きっと夢を求める淑女達で、この店は溢れかえったのだろう。


 ヨシュアは彼の技術への敬意と称して、細やかながら、必ず店内の商品を購入することに決めていた。

 ヨシュアとクローフィーが常に身につけている白薔薇のリボンとラペルピンも、ここで購入したものだった。


「うーん、このクローフィー。何度見ても、可愛らしいですねぇ」


「お褒めにあずかり光栄です」


 ヨシュアが足を止め覗き込んだのは、一つのガラスケースだ。中には白い造花の花畑と、その中央に透き通った小さな棺が閉じ込められている。

 棺の中には、天使との邂逅を思わせる無機物――その人形が、まるで生きた少女のような繊細さで眠りについていた。

 これこそが、老店主の望んだ対価。クローフィーを模した、人形だった。


 ヨシュアは、赤手袋に包まれた拳を握り込む。

 いつも近くにいるのに、ガラスの壁を一枚隔てたかのように触れられない距離感。それを生み出しているのは紛れもなく自分自身であったが、こうして隔たりが目に見えてしまうと、どうしても奄々とした呼吸が溢れそうになる。


 彼女は決して、自ら壁を壊したりしない。

 自ら毒林檎の呪いを解き、目覚めたりは、しない。


 それがどうしようもなく心地よくて、ただ寂しかった。

 だが、己の選択を曲げるつもりもない。こうして壁越しにでも彼女といられる幸福を再認識できるこの瞬間が、ヨシュアを確たる兄たらしめていた。


「ヨシュア様、確認は終わりましたが……この分だと、少しお時間をいただいてしまいそうです」


「えぇ、当然構いませんよ」


 店主の呼び声に、ヨシュアはカウンターへと引き返す。

 その途中、等身大ドール用の装飾品だろう。透き通る黒のヴェールを手に取ると、迷いなくカウンターへと置いた。

 大輪の薔薇の透かし模様と、銀の縁取りが美しいそれは、クローフィーの神秘性によく映えるだろう。次の任務にも、ちょうどよく使えそうだ。


「それと、これをお願いします」


「毎度お気を遣われずとも、構わないのですよ」


 代金の代わりのように、毎度何かしらを購入していくヨシュアの行動を、店主は気遣いだと受け取っていたらしい。彼の言葉を受け、困ったようにヨシュアは肩をすくめた。


「気を遣っているわけではありませんよ。貴方の品は素晴らしい。見るとつい、欲しくなってしまうんです」


 それは、紛うことなく本音だ。店主は深々と頭を下げ、差し出された硬貨を受け取った。

 ヴェールの包まれた袋を受け取ると、ヨシュアは店を後にする。背を追う退店のベルに、店主の声が重なった。


「今後とも、ご贔屓に」


「えぇ、またよろしくお願いします」


 ヨシュアは振り返り、ずっと下げられたままの頭に微笑みを返す。閉められた扉。ベルの残響が、心にくすぶる感傷の余花を散らせていた。


 鳥籠のような街灯が光の果実を実らせる中、彼は静かに背を向けた。

 光は、誰にも齧られることなく、ただ白く街を照らすばかりだ。

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