4.血色の鴉

 廃墟と化したアルが常駐していた区域を、ラストと共に観光――もとい巡回している途中、青年はとある違和感を覚える。

 大火は街を舐めあらゆるものが燃え、灰となった。材木や肉が崩れ黒く降り積もり、全てのものが死に絶えた。

 だが、街は完全な木造ではない。原型を残し崩れた石造りの家屋の前で、アルは足を止める。そこには夥しい量の血痕こそ見受けられるが、


「死体が全くねぇ……」


 最初は全て燃えたのだと思っていた。壁にもたれる黒い塊を、赤黒い水の残る噴水に落ちた首輪つきの頭部を、市場の荷車の積荷ごと焼かれた人型を、無関心に眺めながら、そう思っていた。

 だが、小洒落た店の立ち並ぶアベニューであったこの場所には、灰こそ積もってはいるが塊はない。蓋を閉めて瓶の中を振り混ぜたような混乱の跡と血痕、それらだけが存在している。


「おやぁ、貴方も気が付きましたか」


 血の芳香くゆる葡萄酒を思わせる視線が、怪しい煌めきを帯びた。獲物を品定めする理知的な鴉のような視線に、またアルの背筋が泡立つ。


(コイツ、本当は全部分かってんじゃねぇのかよ)


 その上で、自分を試験テストしているのではないだろうか。アルはそう思考する。それは新入りに対する試練というより、己の興味や知的好奇心を満たすがための、奸計かんけいの類いのように思えた。


「おそらく、持ち去られているのではないかと、推測しているのですが……」


 彼はつぶやく。何のために、そう問いかけようと視線を滑らせたアルの赤錆の目が、何かを思案する横顔を捉えた。

 人差し指を己の口元に添えながら、ラストはもう片方の手で血痕をなぞりあげる。女性のように長い睫毛が、蝶々の羽のように揺れ、やがて止まった。口元には三日月が浮かぶ。


「おい、なんでそう思っ――」


「しーっ」


 ええいままよと、意を決して口を開いたアルの手首が、強力な力で捻じられた。刹那的な混乱と醒めるような痛覚が脳を揺さぶり、青年は咄嗟に拳を握り込む。


「何すんだテメェッ!!」


 振り上げられた硬い拳は、彼の華奢な手のひらに吸い込まれた。まるで分厚い石の板を叩いたような衝撃に、アルの目端に生理的な涙が滲む。動きの止まった間隙をぬって、男は青年の両手首を掴み煤けた壁に縫いつけた。

 鈍い衝撃、捩じ込まれた膝が肺の空気を叩き出す。状況が状況なら、あらゆる女子が憧れるシチュエーションなのかもしれない。だが、アルの胸は別の意味で高鳴っていた。

 眼前に整ったかんばせが迫る。それは艶やかでいて、悪辣だ。


「っ、クソッ……!」


「そのまま、動かないように……」


 華奢な体躯のどこに、その力を隠しているのか。今にも手首の骨と内臓を潰されそうな力がかかっている現状では、指先一つ動かすことも叶わない。

 苦痛に呻くアルの表情を眺め、ラストは乾いた己の唇を噛み切った。真っ赤な雫が、彼の白い肌を滑り、顎先で滴り落ちる。

 男は慣れた手つきでアルの手首――華奢とは言い難い――をひとまとめにし、壁へより強く押し付けた。強い圧迫感。爪が力に伴って食い込み、赤い跡が刻まれる。

 空いた指ですくわれた紅血。彼は嫣然と微笑み、それをアルの唇に押し当てた。


「口を開けて」


 明確な敵意を持った眼光を嘲笑い、ラストは腹に食い込ませた脚部に力をこめる。次第に酸素を欲する体の本能がアルの唇を緩め、そこにラストは血に濡れた指を捩じ込ませた。


「あぐっ」

「ふふっ、良い子ですねぇ」


 嗜虐的な笑み。徐々に広がっていく鉄の味に、眉が顰められる。せめてもの抵抗にと、アルは狂犬の如くラストの指に噛み付いた。鋭い犬歯が皮膚を裂き、更に血が滲む。

 鉄の味と匂いに、ぬるりとした舌触りを幻触した。同時に、アルは強い目眩をおぼえる。


(くそっ、なんだってんだ)


 眩む視界から、色が溶け出していく。世界が蝋のように崩れ、だんだんと黒く塗り潰され、やがて蝋は別の景色を象り始める。


 それは、不鮮明な風景だった。輪郭は定まらず、不定形に揺れている。目を凝らせども鮮明になることのない光景に、吐き気がした。

 それでもアルには見えていた・・・・・。微かに、綿毛越しに見るようにほんの欠片だけ。


 ――瓦礫の山と泣き崩れる少年と、

 ――血溜まりに浮かぶ小さな手。

 ――絡まるコード、白い寝台、大人、大勢、小さな体――……。


 やがて深海に沈められたような息苦しさに、アルの意識は急速に海上へと叩き出された。

 同時に、ラストは拘束を解きアルは頽れる。二つの意味で窒息しかけた青年の体は、必死に酸素を求めて痙攣に似た動きを繰り返す。


「ごほごほっ、かはっ……!」


 咳き込むアルを見下ろして、ラストは満足気に微笑んだ。赤い目尻で彼を睨めば、男は嗜虐的に目を細める。


「どういうっ、つもりだ! ごほっ……!」


「言ったでしょう、アル。私は貴方の直感と血の記憶・・・・が欲しいと。半信半疑だったのですよ、えぇ……本当に、そんな事があり得るのかと」


 手荒なのはほんの趣味でしたと、ラストは悪びれる様子もなく口だけで謝罪した。

 だが、もはや謝罪などどうでもいい。意味ありげな物言いに、アルの片眉が跳ね上がる。なんとか呼吸を整えると、彼は口元を拭い立ち上がった。


「そもそも、俺が血の記憶を見れるって、んで知ってんだよ。誰にも言ってねぇぞ」


 血液とは、古来より魔術や魂と関連づけられることも多い。アルの言う血の記憶も、それらに関連したものなのだろう。

 地図情報を記憶するのには便利な代物だが、口内を切ったりでもしたら己の過去も垣間見えてしまうため、好んで使いたくはない力でもある。使い所を選べないのもまた、この力だった。


 だが、故にアルの血は、決して忘れないし、決して諦めない・・・・・・・


「貴方のデータと行動を元に、色々と仮説を立てましてねぇ。私は先鋭部隊のリーダーであり、医療班であり、研究者でもありますから。私の発言に訂正する様子もありませんでしたので、ものは試しと……」


 腹の底で得体の知れぬ何かが蠢き、熱を放つような感覚がアルを襲う。地団駄を踏みそうになるのを歯を食いしばることでなんとか抑えると、低く、一言だけ呟いた。


「……お前、どっかで刺されんぞ」


「ならば、貴方が刺してくれてもいいのですよ? 私の血を浴びれば、真実も〝見える〟かもしれない……貴方としても、悪い話ではないと思うんですが」


「気色悪ぃ、却下」


 それは残念と、ラストは両手をひらひらと振るう。反省や申し訳なの欠片など、これっぽっちも見つからない。多量の砂の上に撒かれた星の砂を探せと言われた方が、まだ確率がある。なぜなら、そこに存在するのだから。彼の辞書には、そもそもそれらの言葉は載っていないのだろう。

 しかし、ラストの観察眼は本物だ。そこがより宙を翻り舞い落ちる羽のような、掴めそうで掴めない、ふざけた具合を演出していた。


 アルは、まだ目眩の余韻が残る頭を抱える。

 脳裏に焼きついた不鮮明な光景――血の記憶。恐らくそれはラストの過去。あまりにも輪郭を留めておらず詳細は理解できなかったが、アレが彼の人格を形作った要因なのだろう。

 記憶ソレは、その血の持ち主がそうなった原因を深く反映する。魂の奥深くでぴったりと癒着したソレの断片を、血を通して見る。それが、アルの持つ力の本領だった。


「一通り見回りましたし、一度キャンプへ戻りましょう。夜更けの帷も、そろそろ明ける頃ですから」


 先ほどのことなんてなかったかのように、ラストは提案する。疲労を欺くことはできない。のしかかる疲労の鉛に促されるまま、アルは首肯した。

 犬のように大きな口を開けてあくびをするアルの横を、ラストはすり抜けていく。猫背になりながら、彼も後に続いた。


   ***


 キャンプへ案内されたアルは、真っ先に寝袋へダイビングを決めた。寝心地はよろしくない、むしろ地面より多少マシなくらいだ。だが、今の彼には十分だった。そもそも野宿歓迎な野生児であるため、布があればなおどこでも眠れるのだが。

 落ち着いた深緑の低い天井を仰臥ぎょうがし眺める。すると、徐々に様々な色が浮かび上がり、光の粒は不定形に蠢きあの記憶を映し出す。


 ラストは、あの記憶を見せて、何を伝えたかったのか。はたまた本当に、記憶を覗けるか否かの確認だったのか。

 前者だと、アルは予想する。己の仮説を証明するだけならば、他の者の血でも良かったはず。


「はぁ、ったく……疲れんなァ」


 本音が静音に解けていく。

 すっかり脱力するアルの全身、その脳みそから、一つのそこそこ重要な事柄が滑り落ちた。診察のため、医療テントへ赴かねばならない。

 だが、アルはそれを思い切り無視することにした。体に異常はない、故に診察など不要。ルクスがいれば憤慨ものの結論を勝手に出し、アルは瞼をおろす。


「アル、起きてます? 入りますよ」


 入り口の布を叩く音、次いでラストの声がテント内へ入り込んでくる。アルは低く唸りながらも、上体を起こした。


「不法侵入しねぇんだな」

「必要な時しかしませんよ、私をなんだと思っているんですか」

「犯罪者」


 必要に迫られたとしても、不法侵入は犯罪だ。間違いない。

 長身を屈めテントへ入ってきたラストに、アルは辛辣な言葉を投げかけた。濡羽色がすくめられた肩を伝い、しとやかに反射した光が紫や黄色を彩なす。ほんのりと、煙草の匂いがする。

 灰紫のシャツに黒いパンツと、リラックスした服装の彼は、友人を飲みにでも誘うように


「ところで、このキャンプには裏切り者も紛れているようなんです」


 重大なことを呟いた。

 彼はアルの隣に腰をおろすと、反応を伺うように顔を覗き込む。その端正な顔立ちから、焦りの色は見られない。それどころか、ほんの少し愉快そうだ。

 アルは鬱陶しそうに手でラストの視線を払い、不機嫌に唇を歪めた。


「で、それがどうした?」


「お気をつけくださいと。ただ、それだけです」


 まるで自分は正体を知っているかのように、ラストは笑む。蠱惑的な赤紫が、不敵に曲がった。

 だが、アルの直感は彼がそうではない・・・・・・と訴えかけていた。根拠はない、しかし本能は嘘をつかない。アルはため息を吐くと、ラストの黒髪を乱暴に引っ張る。


「悪人ヅラしやがって、紛らわしいんだよ」


「悪人相はお互い様でしょう、そして髪はやめなさい」


 持ち前の出所不明な怪力でアルの手を払いのけ、男はそそくさと腰を上げた。どうやら要件は、本当にそれだけらしい。


「……私たち異能力者は、意味、血に縛られた存在です。貴方のその力は、何かに繋がる鍵なのかもしれませんね」


 入り口が捲られ、月明かりが青い光を落とす。布の波の上に作られた歪な道の先には、あらゆるものを俯瞰する理知的な鴉がとまっていた。その艶やかな翼が落とす紫の影は、忘れ去られた何かの誓いを思わせる。

 その色を瞳に宿して、彼はささめく。

 その意味を問う前に、彼は羽ばたいてしまった。後には影さえ羽さえ残らず、静寂だけが残される。


「……医療テント行くかァ」


 何を思ったのか。ぽつりと呟き緩慢に立ち上がると、アルもまたテントを後にしたのだった。

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