第39話 傀儡の意思

 ほんの数週間前に這い出た幾重にも連なる桜の花弁は、あっという間に儚く散る。春を求めて木陰に集った影を払い、一つまた一つと地面を桃色に染め上げる。次第にそれも土に塗れ、靴に踏まれ、雨に打たれ、そうしてやがて土に還る。


 12ある翠学園のモデルパークのうち、温帯区域はCfa-パーク(温帯湿潤気候モデルパーク)とCfb-パーク(地中海性気候モデルパーク)が存在する。実質は13ある事になる。しかし、Cfaといえば周知の通り、日本の気候区分に相当する。とどのつまり、12という数字は囲われ機械で徹底管理されたモデルパークの数を示す。

 そしてCfa-パーク-つまりは庭だが-は、翠学園のモデルパークでも最大規模を誇る。


『何か、とてもとてもギクシャクしてる』


 今日は、大学が一斉点検の日。研究室以外の部屋が使用不可なので敷地内の庭で、芳子は昼食、と言う名の砂糖菓子、を黙々と食していた。

 講義自体が全くと言っていいほど無いので、人もまばら。咲き誇っていた八重桜や枝垂桜しだれざくらは緑の差し色を入れ、青々しく引き締まった雰囲気を醸し出していた。

 人がいないのをいいことに、芳子がスマホの着信の確認作業を白昼堂々していると、待っていましたとばかりに哲男からのメッセージが届いた。


『主語述語修飾語を正確に使用してください』

『へいへい、分かりましたよっと。明智さんと!俺の!関係が!ギクシャクしてる!』

『把握しました』

『それはようございました』

『それで、この話は発展するのですか?』

『今から発展しようって時に邪魔したのはあなたよ』

『伸び代が感じられませんでしたもので、すみません。それで、続きを』

『悪かったな、伸び代なくて! んで、続きね。なーんか、重っ苦しい空気がね、あるのよ〜。もー耐えられなくて(泣) どうにかならない?』


 明智光秀のと確執は、大方、明智珠子の一件での事だろう。

 先の一件は、明智珠子が細川忠興と結婚することで決着がついた。明智光秀の強力な反対が大きく、また国内の統治が完全では無い今、縁組は時期尚早だという意見が少なからずあったことも助けとなった。

 明智珠子と細川忠興の縁組は、ポルトガルとの縁談を進めてしまった経緯上織田信長の声明のもと進められた。


 そうして1578年(天正6年)8月、表向きは織田信長の発案により細川忠興と明智珠子の婚姻が成立した。織田信長は家臣間の婚姻を統制しており、細川珠子の婚姻で主君の命令による婚姻「主命婚」が生まれたのだった。


『そういう話は兄さんの専門では?』

『...本当だ。あれ、俺何で芳子に相談しようなんて思ったんだろ?』


 芳子の対人スキルの低さは、最早前提となるほどだ。それを知らない哲男では無い。明智光秀との不和に随分と頭を占拠されているらしい。

 そよそよと優しい風が芳子の髪を持ち上げる。ぽかぽかした陽気を纏う揺らぎは、四季の豊かな日本を強く感じさせる。心地よさに微睡みが襲う。

 一つ欠伸をし、芳子は眠気を堪えてスマホに当てた指を動かす。


『結婚は成立したのでしょう? まだ蟠りわだかまりがあるのですか?』

『残念ながら、ね。言ってる俺もどうかと思ったもん。流石にねー、外人に娘嫁がせたくは無いだろう』

『そうですか? 金髪碧眼の見目麗しい子どもの親になれますよ。ヨーロッパあたりの子どもは本当に可愛らしい見た目をしています』

『分かってて言ってるだろ( ̄∇ ̄) この時代の人間にとって、外国人なんて妖の類なんだよ』

『昔は、地理的条件もあってなかなかに排他的でしたからね、日本は』


 極東の島国、日本は、他国と陸続きでないことで安土桃山時代まで他文化との交流が非常に少なかった。

 新しいものとはえてして受け入れ難く、それを成し得た織田軍は大層な勇気の持ち主であったと言えよう。

 猿か氷河期を終えて餌を求め仕方なく地上に降りた時も、人類が火を持った時も、別の言葉を話す奇怪な動物に遭遇した時も、それぞれ想像を絶する勇気を振り絞り、時に覚悟を決めて、そうして人間は進化してきた。


『そうね、俺もこっち来てから改めて思ったわ。恵まれてんだよな、俺たち。今や、アプローチすれば普通に金髪美女と結婚できる。幸せなんだよな、これでも』

『そういえば、兄さんも生前ヨーロッパ系の方と付き合っておられましたよね』

『あー、ハーフだけどな。普通に行けば、もし結婚してたら、金髪碧眼の可愛い女の子産まれてたかな? 失敗した〜、子どもできてからこんなとんでも状態になればよかった o(`ω´ )o』

『まずもって、兄さんに選択権はないと思います。それと、日本人とヨーロッパ系の方だと、かなりの確率で黒髪黒眼ができあがります』

『えっ、マジで?!』

『遺伝子的に黒の方が顕性なので』

『マジかΣ(゚д゚lll)つか、だったら言うなよ』

『全くもってあり得ない、と言うわけではないので』

『小数点くらいの確率に賭けようと仰るのね』

『博打はお好きなのでは?』

『そこまで腐ってねーよ。ん? もしかして俺、別のことで揶揄われてる?』

『お好きな方に解釈していただければ』


 春一番が吹き抜ける。後から遅れてやってきたそよ風は、少しの冷気が足元からふわりと舞い上がった。若草色の芝生は野草のような青々とした芳香を漂わせ、微かに花の香りもする。


『あー、ダメだ。明智さんの事どうしようしか浮かんでこねー』

『眠いので止めていいですか?』

『...妹よ、この状況でよくもそんな事言い出せたな』

『すみません。だんだん頭が回らなくなってきているので。相談であれば日を変えていただきたく』

『あー、さっきから珍しく言いきらないスタイルだしな。了解! んじゃ、まー適当に...ダメだな。芳子に適当にって言ったら絶対一年後になる。うん、3日後くらいに連絡するわ』


 太陽に照らされて緑は翠に変わる。太陽光を反射しきれず余った光を芝生が跳ね返し、視界で虹色に光る。朝露も相まって、写真家の一枚のようだ。

 芳子は半分から開かない瞼を必死に動かしてスマホのロック画面をディスプレイに映す。


 3月13日土曜日 13:40


(そろそろ、タイムリミットが近いな)


 急に手から力が抜けて、砂糖菓子が芳子の膝から滑り落ちる。なんとか意識が浮上して間一髪、大惨事を逃れた。

 青い空と白い雲、白光りする太陽を目を細めて見上げる。芳子は口元に手を当てて、また一つ大きな欠伸をした。




<途中経過>


日時:西暦2021年 3/13(土)13:41現在


結果検証:織田軍内で織田信長と明智光秀の不和が起こっている様子。


考察:講師による後援が必要に思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る