第32話 マゼンダとイエローと... 備考:芳子の研究の話
桃や橙、紅の羽織を着た飾り雛が街に吊るされ、春の訪れを前に華やかに装う。木造の年季の入った飴色の家々が立ち並び、軒先で出される出店を目当てに賑わいを見せる。
そんな祭りの一場面を切り取ったポスターが、さらに写真に収められクラウドに転送されてきた。送り主は、先月結婚した従姉妹だ。
『芳子さん、絶対忙しくてお雛様飾る暇もないだろうなーと思って、ポスターだけど送ってみた。嫁ぎ遅れないようにね♡』
とのことだ。言葉の端々に皮肉を練り込むことを忘れない、林又らしい人間だ。一見相手を心配してお節介を焼いていると見せかけて、相手より自分が高位にあると暗に示している。
大した用件がないのなら態々連絡をよこす事はないのにと思う芳子であった。
「先生、結果でま...て、何油売ってるんですか」
リアクトの傍ら、Lutricを操作していると、実験室から帰ってきた藤村に見つかった。
「油を売る程の量は保有していませんし、そういうものを生業とはしていません。というのは、講師も把握しているでしょうから、この場合は遊ぶなという意味で受け取って良いのでしょうね」
「口上が長いです。必要ない時は思考の過程まで説明なさる必要はないですよ」
「尾活型は職業病です」
「そのようにおっしゃられるから、皆先生と話したがらないんだと思います」
「必要だったら来るでしょう。余計な時間が取られずに済みます」
「そういう問題ではないのですが...あっ、そうだ、結果届きました」
「どちらの方ですか?」
「LEDですね」
藤村は手に持っている書類を一瞥して、芳子に手渡した。
現在、芳子の研究室が行っているのは、大きく分けて二つ。一つは、青いLEDを作り出すもの。二つ目は、磁石の強化だ。
先程上がってきたのは前者の報告書である。
日本は永世中立国で、いち早く自然との共生を訴え、今なおその最前線に立って扇動する立場にある。殆どの戦争に当事者として、また支援者として立たなかったこともあり、他国とのしがらみを考えず動ける利点からも、今の日本の地位を盤石な物としている。
クリーンエネルギーがトレンドワードに入り始めたのは、ほんのつい最近の事だ。
エコという概念が浸透して登場したのが、使用する側の省エネだ。そこで、スポットライトを浴びたのがLEDライトだった。
従来の物より耐久性や燃費が良く、主に信号機で問題視されていた見えづらさを克服できるそれは、実現できれば正に21世紀の大発明と言える。
芳子はインクの匂いと熱を持った書類を一枚一枚目で追っていく。
因みに、情報の漏洩を防ぐため、実験の報告書は全てアナログ式で厳重に保管されているのだ。
「結果は...上々みたいですね」
「先生、そうじゃなきゃ困ります。これまでかなりの苦戦を強いられてきた訳ですし、やっと見つけた糸口、離すわけにはいきません」
「そうですね」
青色LEDライトの開発は難航していた。
まず、前提から話していこう。日常生活で使われるライトの殆どは白色だ。しかし、白色のライトというものは、実際には存在しないのだ。
では、どうやって作るか。そこで必要になってくるのが青色のLEDライトだ。
今発表されている物では、マゼンダとイエローのLEDライトが存在する。もう一つ、シアン、つまりは青が開発すれば光の三原色の法則により、合わせ技で白色のLEDライトが実現する。
しかし、青色LEDライトだけがなかなか開発を困難にしている。それにも、ちゃんと理由がある。
青色LED、正確には青色の発光ダイオードは、とにかく実験が大変だった。窒素ガリウム(GaN)を基盤に様々な素材や方法で製作を試みてきたが、いくらやっても出ない結果と発光の性能を実験したいのに、実際にやるのは素材の合成とどうにも伴わない作業の連続。匙を投げた人間は数知れず、しかし、一部の諦めない研究員達が、なんとが実現まで持っていこうとしている。
翠学園もその一つだ。工学部は、広く行っているとは言え、元を正せば生活に根付いたそういった研究が売りの研究室である。
つまり、翠学園としては是非とも成功させたい実験・開発だ。
「この分ならなんとかいきそうな、と言いますか成功してもらわなきゃ困りますけど。開発自体は上手くいきそうですよね」
「割合力を入れていますから」
「そうですね。今まで何処とも協力してこなかった翠学園が、遂に海外企業や研究室と手を組みましたからね」
「このままでは資金が底を尽きるということに、やっと老害共も引き算ができるようになったのでしょう」
「...先生、口悪いですよ」
「事実です」
藤村は何を思い出したのか、芳子が言葉を発してからしばらくしていきなり笑い出す。
お腹を抱えて、
「何ですか?」
芳子は結果報告書から顔を上げ、半眼で藤村を不思議そうに見つめる。
「い、いえ。ふふ。なんか、お変りになりましたね」
「そんな事はないと思いますが」
「いーえ、お変わりになられました。前は、こんな軽口とも言えない普通の会話にも付き合ってはくださりませんでした」
「ある程度付き合っていた気がします」
「いやいやならそうですけど。自然に会話をなさる事は無かったですよ」
「今でも、不要だとは思っていますが」
「それでも、です。最近は悪態までつかれるようになって、一層人間味が増しました」
「そうですか?」
「はい。...肩の荷が、少しは降りましたか?」
「いえ、これからが佳境です」
「そちらではなく、ほら、例の方です」
藤村は空に棒のような物を描き、それを右手で構えて左下に振り下ろす仕草を見せた。
「ジェスチャーが絶望的に下手ですね」
「これ以上どう表現しろと」
藤村は頬を膨らませて上目遣いに睨んできた。
「それはそうと、実用化の方はどうなりましたか?」
藤村は素直を従いたくないようで、ぶつぶつと何かしら呟きながら、何処からかもう一つの報告書を取り出す。
「サイアロン蛍光体での実用化はスムーズにいきそうです。まあ、青色LEDができればの話ですが」
「分かりました」
LEDライトの実用化に際しては、特にこれと言って障害がない。そもそも、青色LEDができてしまえば、サイアロン蛍光体(発光物質)での白色化は容易いのだ。
光にはエネルギーが有り、そのエネルギーに関する一定の法則が存在する。その一つが、高次のエネルギーを持つ色は低次の色を作り出すことができるというものだ。
各々の色で持つエネルギー量に差がある。様々ある色の中でも、青は高次に存在する。その為、青を作り出すことができれば大概の色は作ることができるのだ。
「結局のところは青色が出るかどうかだけの問題なんですよね」
「言葉にすれば陳腐なものです」
「はぁー、言うのは簡単なのに、何でこんなに難しいのでしょう」
「具体性のあるものをある種の抽象的な言葉という枠に無理矢理嵌めているから、では?」
「いえ、決してそんな答えを求めていたわけでは...はぁ、幼い頃に戻りたい。努力は結果につながるって純粋に信じてみたいです」
「貴女がそれを言うと、嫌に哀愁が漂いますね」
藤村は、再び芳子の方を睨みつけた。
数日後、青色LEDが翠学園と海外研究所との連合チームによって実現されたというニュースが日本中を湧かせることとなる。
しかし、それを芳子達が知るのはもう少し先の話である。
<途中経過>
日時:西暦2020年 2/26(金) 10:05現在
結果検証:特になし。
考察:特になし。
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