リモート戦記

浅葱

序章

 極東のほんの小さな島国は、今や海外と渡り合える大国に成長していた。首都である岐阜を中心に、きちんと地方分権がなされ、首都はもちろんのこと島の北の端から南の端まで活気に満ち溢れている。政治的側面から、世界に代表する統治の成功例とも言えよう。


 日本におけるターニングポイントを挙げるとするならば、おそらく誰もがこういうはずだ。「安土桃山の時代、織田信長の時代だ」と。

 しかし、織田信長は武将としては取るに足らず、ひ弱で、よく言えば慎重悪く言えば優柔不断だった。内向的で表に出たがらず、戦うという行為そのものが苦手とするところだった。しかし、彼には並々ならぬ人を見る目と天下を取る強運が有った。彼が結果的に天下を治めたということになるが、実のところはほとんどが家臣集の手柄であった。その家臣集の名前は、明智光秀・羽柴秀吉・徳川家康のほかの殆んどは、いまだに判明していない。家臣集は主をよく立て、表立って功績を自慢することなく、常に黒子であった。そう、天下人・織田信長は周囲の人に恵まれていたからこそ、国を平定できたのだった。


 織田信長は、慎重な性格であったものの、下の者の意見をよく取り入れていた。その最たる恩恵は、現在の先進国になるきっかけともいえる外国との自由貿易だった。すでに楽市楽座で一定の効果を得ていた信長は、天下統一以前からオランダやポルトガルなどのヨーロッパ諸国と盛んに交流を行った。日本を統一した後は、外国との交流をさらに密にして、発展を続けた。

 信長が戦争を嫌っていたことが幸いし、信長の死後も子孫が中立の立場を貫き、日本が外国との戦火に表立って苛まれることはなかった。

 また、日本は多宗教国家としても有名であり、人によって信仰する神が異なることは決して珍しくない。外国との貿易とともに入ってきた文化をうまく自国のものと融合さたことが要因となって、他宗教を容認する寛容さがいち早く日本人に根付いたのだった。


 日本がグローバル社会に早い段階から順応できたのは、ひとえに織田信長の功績によるものと考えられる。


― 某日本史解説書より ―

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