ep.96 お口直しにどうぞ
計画に
さすがにこの人数この顔ぶれでは表立って自由に動けないことは分かっている。だから当初言われた通り制限区域を除いて街を歩いていた。物見がてら国の実態をより深く探るために。
「オルベール。病床に伏した方々の
「ご心配なく。今は快方に向かっています」
「よかった。食事はもっと栄養のあるものを出すように
「御意。添えて体調管理についても隊のみなへ改めて勧告しておきます。いざという時に動けないとあっては困ります故」
エスカとオルベールが話しているのは流行り病について。旅の疲れが出たのか、日頃の不摂生が
道のほとりを見てもそれらしき人々がいる。力なく建物の壁に寄りかかっていたり地面に寝転んでいたりと以前にも増して目に留まるようになった。
「ここには薬師の方はいないんでしょうか?」
「いえ、おりました。すでに確認済みです。使いの者を送って事情を尋ねてみたところ、彼らは診察を受けても薬はお金がかかるからと受け取らないそうで」
「
「クロハ殿の気持ちはごもっとも。しかしながら彼らには、病は祈れば治る、と信じている節があります。薬に高いお金を支払うくらいなら教会へ寄付をする、といった風潮も」
「馬鹿馬鹿しい。寄付した金を受け取るのは神ではなく、ただの人だというのに」
センリの言う通り教会に寄付をしても神のもとへは届かない。あくまでも自己満足や社会的評価のため。もしくは義務感や強迫観念によるものだろう。
場所によっては呆れるほど立派な教会のそばを通りながら、ふとある時セズナが思ったことを口にした。
「なんだか似てますね。あの病に」
「似てる?」顔を横に向けるセンリ。
「はい。あなたも見たことがある病です。そのために片眼をくださった」
ここはヒトの里。彼女は女王のこともその名も伏せてほのめかした。
「じゃあここから別の町へ
センリが言うと、意外にもセズナは首を振って否定した。
「逆です。森からここへと伝播したんです。おそらくは」
「なんじゃと」とクロハが思わず前のめりになる。
「私たちの間では『森の嘆き』と呼ばれていて、本来なら森の中でのみ発生する、種族特有の病のはずです。ヒトが患ったという話も、これだけ多くの人に伝染したという話も聞いたことがありません」
「ふむ。いわゆる突然変異でしょうか」
オルベールが興味ありげに腕を組む。他も同意見のようだ。
「もし根幹が同じものなら、魔素も同様に摂取するべきです。かかって間もないならともかく症状が進行している場合は特に。あなたたちヒトは食事からあまり多くの魔素を取らないようなので」
それはヒトと生活をともにしていたから分かったことだった。
「魔素、ですか。確かに食事でそれを気にすることはあまりないですね。お二人はどうですか?」
他の魔術師に向けてエスカが尋ねる。
「食事に関して気にしたことはないな」
「まずは味じゃな。何よりも先に」
2人とも同じ。意識して取り入れているわけではなかった。
他の種族よりも魔素の欠乏に敏感なエルフは普段から食事に気を使って能動的に摂取していた。
「何かいい食材はありませんか?」とエスカが聞く。
「花よ。ミモルの花。ここにはないけど」
森に咲く彼らの主食。当然だが一般的に売られている代物ではない。
「げえっ。あの不味いやつ」
クロハはちょろりと舌を出して吐くそぶりを見せた。
「ヒトもいい食材よ。魔素が豊富で栄養もなかなか。食べられるなら、だけど」
「嫌じゃ嫌じゃ。共食いはありえん」
「それは、ちょっと……」
女2人は大きな拒絶反応を示している。
「戦地にて極限状態ならば一考はするでしょうが」
「さすがに
男2人は状況次第。生き延びるためならば、と。そこまでいかないと普通ヒトは人間を食べるという発想には至らない。
「なら、少しでも多く含んでいそうな食材を探すしかないですね」
セズナは一度立ち止まった。全員が振り返る。
ここから
###
たまたま近くにあった青果市場に足を運んだアガスティア一行は別行動で例の食材を見て回ることにした。クロハはセズナを連れ回し。センリとエスカが並んで歩く。その少しうしろ、オルベールは適切な距離を保って彼らの邪魔にならないよう気遣っていた。
「あっ、センリさん。この果物、美味しそうですよ」
「目的を忘れたのか。美味さは関係ない」
「でも美味しいほうが中にたくさん詰まっていると思いませんか?」
エスカは目の前にあった丸い果物を両手で包み込んで顔の高さまで持ち上げる。そのせいで目から下が隠れてしまっているが、横から見ると自然に口もとが緩んでいた。
「お前にとっては美味しくても俺にとっては不味いかもしれない。要は個人の感覚だ。当てにならん」
「それなら試してみましょうか。せっかくですから」
そう言ってエスカは手にしていた果物を購入し、店主に切り分けてもらった。
「はい、どうぞ」
毒見がてら差し出されたものを口に運ぶ。噛んだ瞬間、シャクっと小気味よい音がした。
「……まあ、美味い」
それを聞いて嬉しそうなエスカ。自身も口に運んで食してみる。
「うん、美味しい。とても新鮮ですね」
「だが、俺たちが探しているものはおそらくこんなに美味しくはない。ミモルの花を思い出してみろ。広くヒトが不味いと感じるものの中に答えがあるはずだ」
「確かに。生で味見をした時は香辛料や薬草に近いと感じました。その辺りを見繕ってみましょうか」
そうと決まれば鼻を使い、香りの強いほうへ進んでいく。するとだんだん人が多くなってきた。はぐれないように手を伸ばしたエスカだったが、
「…………」
彼女にはまだ自分から手を繋ぐ勇気がなかった。だから控えめに彼の服の裾を握った。
乙女の小さなため息。こんな時こそ大胆に行動できるクロハの性格を心の底から羨んでいるようだった。
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香辛料や薬草の売り場でエスカが選んだものをまずセンリが試食する。毒の有無は分かってもやはり魔素の
買ったはいいが入れるものに困っていると、離れずについてきていたオルベールがそっと布袋を手渡した。そして何事もなかったかのように元の場所へ。さすが彼女のことをよく知っている。
台に積まれた瑞々しい野菜や果物。流れてくる青草の臭いに甘酸っぱい匂い。店主と客の他愛もない会話や不規則に鳴る人々の足音。
忘れかけていた穏やかな日常だった。旅は刺激的だが、同時に心安らぐ暇がない。
「――ここにおったか」
突如として現れたクロハが何かをセンリに握らせた。
「これを食べてみよ。美味であるぞ」
手を開くと親指の爪ほどの小さな実がそこにあった。派手な赤色で香りは
捨てるのはもったいないと物は試しに口に放り込んでみる。噛むと弾けて、
「――ッ」
想像とは違う、強烈な辛味が鼻の奥へと突き抜けた。思わずしかめっ面になる。
「ぶわあーはっはっ! 引っ掛かりおったー!」
クロハは腹を抱えて笑った。近くで見ていたセズナもつられてふふっと笑っている。
「……ガキか。まったく」
センリは無理やり飲み込んで目頭を押さえた。呆れるだけで怒りはしない。
そんな彼の横顔を見つめながらエスカは思った。やっぱり変わってきていると。出会った頃に比べると人間らしい部分がもっと出てきた。勇者の一族の末裔としてではなく、センリという名のヒトとして。
「ふふっ、お口直しにどうぞ」
エスカは甘い果実を差し出した。受け取ったセンリは丸かじりにする。
その間に悪戯の仕掛け人は人混みに消えて、代わりに付き添い人が近寄ってきた。
「お味はどうでしたか?」
「言わなくても分かるだろ。だいたい知っていたなら食べる前に止めろ」
「あなたの違う一面も見てみたくて」
てっきり傍観者的な態度かと思いきやセズナ自身もじゅうぶんに楽しんでいた。
「この頃やつとはずいぶん仲良しじゃないか。ヒト嫌いじゃなかったのか?」
「私の意志とは関係なく強引に連れ出されるので正直困っています。でもあまり悪い気もしません。彼女は……、ちょっと特別ですから」
最後に少し気になることを言い残して彼女はまたふらりと食材を探しにいった。
「やれやれ。無駄な足止めを食ったな。次は向こうへ行くぞ」
「あっ、はい」
エスカは遅れないようについていく。その背中を見ながら今度は密かに願った。
こういう日々がずっと続けばいいのに、と。
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