ep.83 ようこそ、アドラシオへ

 街中を馬車が走っている。魔術で作りだした馬の手綱たづなを引く御者ぎょしゃの顔はヒトのそれとは少し違う。どこか不思議な雰囲気を漂わせつつ、ドゥルージ教徒の正装に身を包んでいた。


「――おや」


 男の声で御者が馬車を止める。道の真ん中で女が通せん坊をしているのだ。その腕には幼子を抱いていて迫真の表情でこちら見ている。


司教しきょう様……! どうかこの子をお救いください……!」


 女は地面にひざまずいて助けをう。腕に抱いた男の子はぐったりしていて生気がない。


「あの流行はややまいですか」


 最近になって流行りだした病。元が健康であれば恐れることはないが、栄養状態が悪い時にかかってしまうと一変、致死率の高い悪魔の病となる。以前から流行る兆しはあったが、今まで問題にはならなかった。


 それはつまり見えない欠陥がこの国の根幹部こんかんぶを侵蝕し始めたからに他ならなかった。


「ちょっと失礼します」


 御者は母親に歩み寄って子供の容体ようだいを確認する。まぶたを上げてみると貧血なのか裏側が白っぽかった。口の中は乾いていて舌の色も良くない。意識がはっきりせず目の焦点が合わない。おそらくは末期に近い症状だった。


「栄養は足りていましたか?」

「……いえ」


 よく見れば母親のほうも痩せこけている。それでいてなぜか身なりはしっかりしている。


「何か事情が?」

「……その、家のお金は夫がほとんど寄付してしまうので」

「寄付、ですか……」御者は口をつぐむ。


 この国で寄付と言えば教会と決まっている。寄付は感謝の印。いつしかそれが曲解されて寄付をすればするほど死後の極楽に近づくというふうに移り変わった。他にも教会という組織内での地位や名誉を確立することができるからこそ教徒は無理に私財を投げ打つ。


「……気休め程度ですが」


 御者は子供に魔術を使った。それは痛みや苦しみを紛らわすだけのもの。根本的な解決にはならない。たとえ今から治療しようにも耐えうる体力が残されていないように見えた。


「何事だ」


 馬車の荷台、開いたその窓から声が聞こえた。御者が振り返ると、重々しい小屋のようなその荷台から男が顔を覗かせた。


「司教様……! ビザール様……!」


 女が目を丸くして声を上げた。立ち上がり子供を抱いたまま荷台へ駆け寄り、窓越しに訴えかける。


「どうかこの子を助けてください……! その奇跡の力で……!」

「奇跡は信ずる者にのみ与えられる。ほうに資格があるなら助かるだろう」


 ビザールと呼ばれる司教の男は冷ややかな目で答える。まともに取り合うつもりはないようだ。彼女を無視して、


「行け、ルドル」


 一言。御者に向けて放った。


「……はい」


 ルドルという名の御者はそれに従い、元いた場所へ。台の上に座って再び手綱を握り、馬車を動かす。


「まっ、お待ちくださいっ!」


 女は諦めきれず必死の形相で先回りして今一度立ち塞がった。また馬車が止まる。


「……そこをどいてください、どうか。お願いします」


 ルドルは女に向けて真摯しんしに告げる。それでも断固として動かない彼女に痺れを切らしたビザールが「け」と言った。ルドルはたじろぐ。


「しっ、しかしそれは……」

「轢け、と言っている。私の時間を無駄にするな」


 二度目はないと分からせる迫力。手綱を握るルドルの手が震える。葛藤かっとうで身動きが取れずにいると、意思を無視して馬車が勝手に動いた。


「役立たずが」


 背後から聞こえたその言葉とともに目の前の景色が急に変わった。ガクン、と。荷台の車輪が何か柔らかいものに乗り上げた感触がした。


「…………」


 ルドルは振り返ることができなかった。もし振り返ってしまったら、また一つ大切なものを失ってしまうような気がして。


 ###


 エスカ率いるアガスティアの隊は森を抜け、次の町で補給と休息をしたのち怒涛の行進でついに目的地へ到着した。


 鋼の国アドラシオ。その首都に着いてすぐ目に入るドゥルージ教徒の正装。階級によって色や飾りが違う。多くは白を基調としたローブ状のもので平民ならぬ平徒が身につける。


 教えを広めるために旅立つ宣教師の一団がすれ違うアガスティアの隊をいぶかしんで見ている。国教だけあってやはり異教徒の集団は悪目立ちするようだ。


 身体的特徴から忌み嫌われるセンリがただの悪目立ちで済むのには訳があった。補給地の町で髪を脱色したのだ。だから今は白髪はくはつになっている。加えて片眼は現在眼帯を着けているため一瞥いちべつしただけではまさか勇者の一族とは気づかれないだろう。


 エルフのセズナは目深に頭巾を被って人目を避けていた。怖いからそうしているわけではない。ただ面倒事に巻き込まれたくないだけ。


 街はとにかく静かで道も綺麗に清掃されている。外観は慎ましいと言ってもいい。見渡せばあちこちに教会があっていつでも礼拝に行けるようになっている。


「……気味が悪い街じゃのう」


 クロハの何気ない呟き。それにオルベールが反応する。


「同感です。ここは整いすぎている」


 現に人々が生活しているわけだが生活感がないこの街に違和感を覚えるアガスティアの面々。これまで様々な場所を旅してきたからこそ感じる居心地の悪さ。


「こんにちは。ようこそ、アドラシオへ」


 異国からの来訪と気づいて声をかけてくる住民。気さくに曇りのない笑顔を向けてくれるが空虚な印象を受ける。それこそ予め用意していた言葉を並べただけのように。


「いい香りはするのに味のしないスープといったところか」


 センリも同じことを思っていたらしくたとえて表現した。


 しばらく進んだ先に連なる壁と大きな門が見えてきた。中心地区への出入りは警備が厳しくなる。門番により許可証の提示を促された。


「どうぞご確認ください」


 エスカはオルベールを通して書状を渡した。中には特使として訪問するむねが記されており証明となる領主の署名も入っている。文面で何度か交渉した末、世界平和に関わる啓蒙けいもう活動としてなら構わないと許可が下りたのだ。


「どうぞお通りください」


 だから行動には一定の制限があり、あまり長く滞在することもできないだろう。


「行きましょう」


 門が開いてエスカが促す。隊は慎重な足取りで中心地区に入っていった。


 外観はこれまでとさほど変わらず建物が立派になったように見える。通りゆく人々の階級が上がったことを衣服の色や飾りが如実に示していた。


 既定の宿舎に到着して荷下ろしをする特使隊。賓客ひんきゃく扱いでも異教徒であるせいか待遇は可もなく不可もなし。


 国そのものが大きな影響力を保持しているため相手が大国アガスティアであろうとへりくだるつもりはないようだ。


 明日の朝にこの国の領主と謁見することになっている。この日は宿舎に荷物を運び込んでゆっくり休むだけだ。オルベール率いる騎士団は警護のための会議をおこなっている。たとえ近くにクロハやセンリがいたとしてもその任に対する責任の度合いは変わらない。


 宿舎の中、用意された部屋に入るセンリ。素朴だがじゅうぶんな広さで清潔。野宿が多かった長旅の疲れを癒すことができそうだ。


「寝床はヒトの文化のほうが好きですね」


 頭巾を脱ぎながらセズナが部屋に入ってくる。センリが言葉を発する前に、


「私の部屋は用意されていないので、ここに。片隅を貸してもらえれば大丈夫です」


 今度は言いながら自身の荷物を部屋の隅に置いた。一見物静かだがクロハよりも押しが強い。一歩踏み違えば厚かましい域に入りそうなほどに。


「こんなふうなのは私だけじゃないですよ」


 あくまでエルフとしての気質だと言いたげな彼女。


 どかそうとしてセンリが手を差し向けると、セズナはとっさに魔術障壁を張った。さすがは魔術に長けたエルフ。エスカやクロハを凌ぐ魔力の波動を放っている。


「ここにいます」

「……勝手にしろ。邪魔だけはしてくれるな」


 これまでと同じなら不快に思わせない絶妙な距離感を保つはずだとセンリは思って今回の勝負を彼女に譲った。どうせしばらくすればおさらばできる今だけの関係だと。


 少ない自分の荷物を放り投げたあとセンリは柔らかいベッドの上で本を読む。いつもならあの2人が無遠慮にやってくるのだが、そうでないのはやはり同じく長旅で疲れているからだろう。


 ちなみにエスカとクロハは同室でそのぶんかなり広めになっている。当然ベッドも幅が広い。扉のすぐ近くにはオルベールが待機していて騎士団の面々も所定の位置についた。


「お貸しした本、どうでしたか?」


 部屋の片隅にちょこんと座って見守るセズナ。見た目よりもくつろいでいる。


「悪くなかった。が、知りたいことに関しては触れられていなかった」

「そうですか。残念です。もし読めない部分があれば呼んでください」


 セズナも本を取り出して読み始めた。あとは勝手にするのでと言わんばかりに。


 読書家たちの時間は誰にも邪魔されずただ穏やかに過ぎていく。


 この日、唯一起きた事件はセズナが嵐の勢いで黙々と夕食を食べたということだった。聞けばこれまでは節制していたとのこと。相性の良い森の食事から離れて魔素や栄養素が少し欠乏していたのかもしれない。


 それを見せつけられた宿舎の料理係は彼女がエルフであることを忘れるほどに恐れおののいた。

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