ep.36 火の神殿には行くな

 商店街を歩いていると服屋が見つかり3人は中に入った。そこは庶民的な服が数多く置かれていた。


 気温が高いということもあり服のほとんどが涼しげなものだった。中には奇をてらった趣向のものもあって、もしも彼女たちがそれを勧めようものならセンリは即刻この店から出ていくと決めていた。


 少ない所持金で買えるものを探す庶民が1人と値段関係なしに探す王族が2人。選ぶ基準は最初から違っていた。


 庶民は気に入った服を見つけてもまず値段を確認して高ければ断念して次へ切り替えた。一方で王族はとにかく良いものを見つけては頭の中で次々と保持していった。


 靴を除いた服の上下を揃えたいセンリはイグニアの若者が好んで着るという服を見ていた。それは伝統の服を現代風に整えたもので街を歩く若者たちには評判だったが伝統を重んじる老人たちにはいたく不評だった。


 服を一着手に取って値札を見てみるとなかなかのお値段だった。手持ちの金で買えなくはないが買ってしまうと文無しになってしまう。


 センリがその服を一旦棚に戻した時、店の奥からエスカとクロハがやってきた。2人とも手に男性用の服を持っている。


「やはりこっちのほうが似合うではないかっ!」

「いえ。絶対にこちらのほうが似合いますっ!」


 2人はセンリの体に服をあてがって言い合った。


「エスカよ。その服はあまりにも地味すぎる。センリには似合わん。似合うのはこのような派手で明るい柄物じゃ!」

「クロハさんこそ、その服はあまりにも派手すぎます。センリさんは大道芸人ではないのですよ。似合うのはこのような落ち着いた素朴な服です!」


 エスカの選んだ服は胡桃色で簡素な柄のもの。対してクロハが選んだ服は薔薇色で派手な柄のもの。どちらも極端で話にならなかった。


「センリっ! 主ならば当然こちらを選ぶであろう?」

「いいえっ! センリさんならこちらを選ぶはずです」


 言い合いながらグイグイと服を押しつける2人。センリは眉をヒクヒクさせて、


「どっちも似合うか。馬鹿どもが」


 2人の意見を一蹴した。


 それにはエスカもクロハもしゅんとした。が、またすぐに服を探しに戻ってあれが似合うだのこれが似合うだの無駄な論争を始めた。


 その間に値段もお手頃で気に入った服を購入したセンリは先に店を出た。買った服は今着ている服に近い雰囲気のもの。色は派手すぎず地味すぎずの煉瓦色。当面の間はこれを着続けて王都に戻ったら服をもう1着買おうと考えているようだ。


 店内にセンリがいないことに気づいて2人は慌てて店から出てきた。


「おお、ここにおったか。びっくりしたぞ。急に消えたのでな」

「良かった。私たち置き去りにされたのかと思いました」


 当人そっちのけで服探しに夢中になっていた2人はようやく我に返ったようでほっと胸を撫で下ろしていた。


 それから3人は水分補給と休憩ができる場所を探し歩いた。2人は言い争ったせいで喉が渇いたそうだ。センリはほとほと呆れていた。


「あそこはどうでしょうか。喫茶店みたいですけど」


 エスカが指差した先には丸太小屋のような喫茶店があった。小ぢんまりとした店構えだが通風性は良く装飾もお洒落で客の入りも悪くなかった。


「ほう。なかなか良い雰囲気ではないか」


 クロハはその店を見るや否や2人を差し置いて店に入った。残された2人はそのあまりの自由さに顔を見合わせてため息をついた。


「ここにしましょうか」

「……これだから馬鹿は困る」


 2人が店の中に入るとクロハが大きく手を振った。すでに席を取っているようだ。場所は店内でも端のほうだが座れないよりはマシだろう。


「遅かったではないか。我はすでに注文したぞ」


 自分が置いていったとは露知らずクロハはけろりとした顔で足を組んだ。


「クロハさん。ここには何があるのですか?」

「ここは香草の店と聞いた。香草茶を主に自家製の香草酒と、あとは軽食くらいかのう」

「香草茶ですか。好きではありますけど今熱いものはちょっと……」

「ここでは冷まして飲むのが一般的らしいぞ。朝はともかく昼はいつも暑いからのう。だから我も冷たいものを頼んだ」

「そうでしたか。なら良かったです。それでどのように注文すれば?」

「そこに品書きがあるであろう? 中から好きなものを選べばよい」


 クロハは仕切りを兼ねた長い勘定台を指差した。その上に香草の入った瓶が並べられていた。瓶には名前だけでなく味と効能も丁寧に書かれていた。


 エスカは席を立って香草の瓶を見にいった。一つ一つ丁寧に説明書きを読み、今の自分に合ったものを選んで注文した。


 センリというと難しい顔をして瓶を眺めていた。なぜなら香草茶は初めての体験。書物で読んだことはあっても今まで口にしたことがなかったのだ。


「お困りでしたら私がこの中から見繕いましょうか?」


 見兼ねた店主は優しくセンリに声をかけた。


「……ああ」

「かしこまりました」


 店主はセンリの顔を見てこの日の体調を推測した。すぐにピンと来て手早く瓶の1つから香草を取りだした。


「しばし席でお待ちください」


 店主はそう告げて茶淹れの準備を始めた。


 席に座って待っているとまず先にクロハの茶が運ばれてきた。色は彼女に相応しい派手な黄金色だった。


「おお、よく冷えておるわ」


 クロハのお茶は注文通りよく冷えていた。その秘密は店主の手にあった。彼は魔術師で淹れたお茶を急速に冷やしていたのだ。


「先にいただくぞ」


 喉が渇いて待ちきれなかったのかクロハはさっそく飲んだ。ゴクゴクと豪快に喉を鳴らして一気に飲み干してしまった。味わうどころの話ではない。


「……ふう! 身に染みるのう」


 渇いた体に冷たい香草茶が染み渡っていく。クロハは空のティーカップを掲げてもう一杯注文した。


「どうぞ。ごゆっくりお過ごしください」


 しばらくして店主はエスカとセンリの分を持ってきた。2人はよく冷えたそれを味わいながら飲んだ。


 エスカが頼んだものは苦みが薄くじわりと甘味を感じる香草茶。センリのほうは渋みが強く喉越しが爽やかだった。そのどちらも比喩ではなく全身に染み渡っていく感覚が確かにあった。


 クロハが追加で注文したお茶はそれからすぐに運ばれてきた。ちょうどその時近くで1人用の席に座った中年男が椅子から滑り落ちた。


「ういー……ひっく」


 男は昼間から酒を飲んで酔っぱらっていた。白髪交じりの髪に老いて垂れ下がった顔の皮膚。見える手足にも年相応のしわが見て取れた。


 店主はお茶を届けたあと、ため息をつきながらその男に近寄り体を支えた。


「おう! もっと酒持ってこーい!」

「ルキさん。今日の分のお酒はもうおしまいです。これ以上は売れません」

「なんだと! 俺の言うことが聞けねえっていうのか! 金ならあるんだぞ!」

「あなたの体のためです。分かってください」

「ふざけるな! もっと酒を寄越せー!」


 ジタバタと子供のように暴れるルキという男。店主は悲しげな瞳でそれを見ていた。


 ルキはひとしきり暴れると床に座ったままいびきをかき始めた。


「申し訳ありません。お騒がせいたしました」


 店主は3人に謝罪して勘定台の向こうに戻っていった。


「なんじゃあやつは……」

「よくいる駄目人間だろ。関わるだけ損だ」

「とは言ってもいびきがうるさいのう。どうにかならんのか」


 クロハは表情で不快感を示した。


「きっと何かがあって疲れてしまったのでしょう。そっとしておいてあげませんか?」

「……ぬう。叩き起こしてやりたいところだが、エスカの優しさに免じて我慢しようではないか……」


 エスカの慈愛に満ちた顔に気圧されてクロハは衝動を抑えた。


「それよりもこのあとどうするかを考えましょう。昼食のこともありますし」

「間欠泉を見にいって腹が空けば適当にその辺で食べればよかろう。あとのことはその時考えればよい」

「それはちょっと自由すぎませんか? ある程度は計画を立てておかないと……」

「決められた道を歩くなどつまらんではないか。道を開拓してこそ新たな発見や刺激があるというもの。そうは思わぬか?」

「俺に聞くな。まあ元々散策のつもりだ。目的も計画もない」

「ほれ、センリもこう言うておる」

「……分かりました。お二人がそう言うのなら、そうしましょう」


 エスカは2人の意見を尊重してほぼ無計画で街を回ることにした。


「間欠泉は見にいくとして火の神殿はどうしましょうか」

「時間があったら見にいけばよい」

「そうですね」


 エスカとクロハの何気ない会話で今まで寝ていたルキが急に目を覚ましてむくりと立ち上がった。赤い顔のままどんどん3人のほうへ近づいてくる。


「火の神殿には行くな!」


 ルキは声を荒らげた。突然のことに3人はポカンとしていた。

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