ぶらり途中懺悔の旅 -1-

 時はクシャナ王国を発って約1か月後のこと。


 エスカ率いる騎士団は細かな補給のためにとある小さな町に寄った。そこは山間にあり町中を綺麗な川が流れていた。水は川底が見えるほどに澄んでいて町の子供はそこで水遊びをして楽しんでいた。


 小さな町に突如として訪れた大勢の人間に町民は驚いていたが、エスカが直々に事情を説明すると快く受け入れてくれた。


 町民の邪魔にならない場所に馬車を止めてそこを今日の野営地とした。


「のう。エスカ。あやつを知らぬか?」

「センリさんですか? センリさんならお散歩に行きましたよ」

「散歩とな」

「ここは自然豊かで景色が良いですから。お散歩には最適ですね」


 エスカは深呼吸して新鮮な空気をたくさん取り込んだ。


「なるほど。では我も気分転換で散歩へゆくとしよう」

「いってらっしゃい。でもあまり遠くへは行かないでくださいね」

「分かっておる、分かっておる」


 クロハは軽く返事をして町の散歩に出かけた。小さい町なので自然を除けば特に見所はない。しいて挙げるとすれば川を見下ろすことができる石橋と高台にある五穀豊穣の神を祀った神社くらいだろうか。


 クロハは狭苦しい馬車での生活を忘れ清々しい気分で歩いていた。石橋に差し掛かり川を見下ろすとその畔に座ってくつろぐセンリの姿を発見した。


「うーむ……」


 行こうか行くまいか迷ったが結局行くことにしてクロハは彼に気づかれないように静かにうしろから近づいた。


「……何の用だ」


 あと一歩のところでセンリは声を発した。


「むう。気づいておったのか。面白くないのう」


 クロハは不満げな顔をしてセンリの隣に腰を下ろした。


「なぜそこに座る」

「別によいではないか。どうせ主も暇しておるのだろう?」


 言いながらクロハは石ころを手に取って川へ放り投げた。ポチャンという音がして水面に波紋が広がった。


「普段騒々しいからここで疲れを癒してるのにお前たちが来たら意味ないだろ」

「まるで我らが疲れの原因みたいな物言いではないか」

「分かってて言ってるだろ」


 素知らぬ顔のクロハにセンリは少し苛立った。


「静かよりも賑やかのほうが良いであろう? 独りぼっちは寂しいぞ」

「俺が寂しいんじゃなくてお前が寂しいんだろ」

「そうかもしれぬ。我の周りに歳の近い者はおらんかったからのう。命令せねば話し相手にも苦労しておった」

「俺に命令したら殺すけどな」

「そんなことはせん。たとえ命令して無理やり話し相手にしたとしてもそれが全く面白くないことはとうの昔から知っておる……。だからエスカや主と話すのはとても楽しいぞ。ただオルベールは歳が離れ過ぎていて話題が全然合わないが」

「ならあいつと喋っとけ。俺に構うな」

「エスカは今忙しい。だから主に構ってもらうぞ」


 クロハは立ち上がり川のほうへ。途中で靴を脱ぎ捨てドレスの裾をたくし上げてから川の中へ入った。


「くうっ! やはり冷たいのう」


 川の水は思わず身震いをしてしまうくらいキンキンに冷えていた。


「主もどうじゃ? 気持ち良いぞ」

「1人でやってろ」

「つまらんのう。……ほれっ!」


 クロハは足で川の水を蹴って飛ばした。その水はセンリに向かって見事に命中した。


「おい、ふざけるな」

「くふふ。悔しいのならこちらへ来てみい」


 クシャナ王国を出てから、クロハは初めて満面の笑みを見せた。


「ほれほれっ。ずぶ濡れになってしまえっ」


 容赦なく浴びせられる川の冷たい水。センリは頭を左右に振り濡れた顔を手で拭った。


「……いい加減にしろ」


 センリは宙を手で掬った。すると目の前を流れる川の水が不自然に持ち上がりクロハに襲いかかった。クロハは頭から大量の水を浴びて全身ずぶ濡れになった。


「……くふふ、あははっ! 実に愉快ぞっ」


 一瞬ポカンとしていたがクロハは我に返って大笑いした。


「こっちは実に不愉快だ」


 センリは不機嫌そうな顔で立ち上がり上着を脱いだ。水浸しになったそれを手できつく絞るとかなりの水が流れ落ちた。


「主のせいで我もびしょ濡れじゃ。しかしここで脱ぐわけにもいかんからのう」


 クロハは悩みながら岸に戻った。ここでドレスを脱いでしまえば下着姿を周囲に晒すことになる。花も恥じらう乙女としてはさすがに避けたかった。


「馬車に戻ればいいだろ」

「ともにゆこうではないか。主にも新たな服が必要であろう?」

「……はあ」


 仕方がないとため息をついてセンリは絞った上着をバサッと肩に載せた。


「主よ。こっち見てみい」


 呼ばれてセンリがそちらを向くとクロハはドレスの裾を大きくたくし上げていた。肉付きが良い健康的な太ももが露わとなり今にも下着が見えそうである。


「ほれほれっ。殿方は見えそうで見えんこれが好きなのだろう?」

「ガキか。馬鹿やってないでさっさと行くぞ」


 センリは呆れた顔で背を向けた。


「主は釣れないのう」


 小さく頬を膨らませたクロハは靴を拾い上げてその後を追いかけた。


 ずぶ濡れのまま野営地に戻ると、丁度外に出ていたエスカがそれに気づいて駆け寄ってきた。


「まあ! お二人とも一体どうしたのですか」

「こいつのせいだ」隣を親指で指差すセンリ。

「うむ。責任の一端は我にある」

「全部だろうが」センリはすぐさま訂正した。

「まあまあ。すぐに拭くものを用意しますね」


 そう言うエスカの視線は自然とセンリの上半身へ。肌着から見える生腕には数々の苦労を思わせる多くの傷が。彼女はそれに思わず見惚れてしまっていた。


「エスカ。主は見かけによらず破廉恥じゃのう」

「えっ、ち、違いますっ!」

「では今何を見ておった?」

「そ、それは……その……。ふ、拭くものを取ってきますねっ!」


 慌てた素振りを見せながらエスカは走り去った。


「逃げおったか。まあよい」


 しばらくしてエスカは2人分の手拭いを持ってきた。センリはその場で全身を拭いていたが、クロハは着替えも兼ねて馬車の荷台に入った。次に出てきた時、クロハはドレス姿ではなくワンピース姿だった。やはり派手な色が好みなのかそれは目立つ赤色だった。


「クロハさん。ドレス以外の服も持っていたのですね」

「常にドレスというわけにもいかんからのう。用途に合わせた服も他にいくつか持ってきておる」

「私はそのほうが素朴で素敵だと思います」

「そうか? 主はどう思う?」

「俺に聞くな」


 センリは火と風の魔術を織り交ぜ温風を作りだして服を乾かしていた。


「つまり言うまでもない。我は何を着ても美しいと」

「……馬鹿馬鹿しい」

「冷たいのう。少しくらいは優しくしてくれてもよいではないか」

「どうして俺がお前に優しくしなきゃいけない」

「……むう。もうよい。エスカ。我とともに出かけようぞ」

「あの、ごめんなさい。ご一緒したい気持ちはあるのですが所用がありまして」

「むう、つまらんっ! 実につまらんぞっ! もうよいっ!」


 クロハは子供のようにいじけてどこかへ行ってしまった。エスカは申し訳なさそうにその背を見送っていた。

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