第6話

 その日は小夜子にとって最悪の一日となった。

 デートの筈が連れ立ってきた女性を妻と紹介され笑顔が引き攣るのを感じながら後部座席に乗り込み工場へ向かうその間も、それなりに上手く立ち回れたのは我ながら褒めたいところだ。

 共に来た女性は柔らかな微笑みが印象的な小柄で飾り気もないが小ぶりの金チェーンのペンダントが似合う気の良い小夜子から見ても可愛いと思える女性だったのが救いだった。

 小夜子を気づかい工場内の見学に夢中で説明するあまりペースが早くなる男性をパンプスで来ている小夜子のため随所に於いて的確に休憩を挟んだり立ち止まる時間を見計らう。

 いつの間にか小夜子は男性よりその妻である女性に打ち解けて話を弾ませていた。

 工場見学では結局その女性に勧められた生地を幾つか仕入れられた上に、いつもは難しく取り扱わない様な和織物なども女性の勧めもあって試しにと手に入れた。

 だが帰宅し並べた上等な生地を前にしても小夜子の気は晴れない。

 気持ちごとシャワーで洗い流し、部屋着に着替えてもSNSを開く気持ちも起きない。

 スマートフォンには六十代前の男性から飽きもせず日常の些細な内容が送られてきていた。

 その中の一つに小夜子はカッと頭に血が上るのを感じ、スマートフォンをつい投げ出してしまった。

『小夜さん、生活リズム良くないのかな。ちゃんと夜に寝て朝起きないと体に良くないよ。』

 大きなお世話だ。

 そう言い返したい衝動にとうとうスマートフォンを持ち直して六十代前の男性に返信を送った。

『こんばんは、仕事で手が離せませんでした。暫くやり取りしていましたが合わないようなので...』

 そこまで打ってから暫く考えて小夜子は後半を書き直した。

『こんばんは、仕事で手が離せませんでした。暫く忙しくなるのでメールの返信遅れたり返せない事が増えそうです。』

 そう送ってからようやくSNSを開けば羅列する様々な人間の投稿はどれも幸せそうに見える。

 不意に検索をかけて、二年前に付き合っていた彼のアカウントを探す。

 直ぐに見つかりその近況を遡る。

 元彼の現在の恋人は小夜子の友人で、二人で遊びに行った報告などが楽しげに投稿されている。

 彼女の方もその投稿にレスポンスし仲睦まじい様子がわかると、小夜子は胃の奥辺りから黒いものがせり上がるのを感じた。

 それでも幸せそうな中にたまに混じる小さな喧嘩の痕跡を見つけては溜飲を下げる。

 見なければいいのはわかっているのだが、どうしても不意に思い出すと気になってしまう。

 我ながらくだらないと思いながら個人間のやり取りをするフォームに行き梨花にメッセージを送った。

『ちょっと聞いて欲しいことがあるから、通話出来るかなぁ』

 泣き顔の絵文字を付けて送信すると小一時間ほどしてメッセージが返ってきた。

『いいよ。パソコン立ち上げてくるからアドレス貼っておいて。』

 その返信に小夜子もパソコンを立ち上げてビデオ通話のフォームを開くと毎回変わるビデオ通話用のアドレスを梨花に送り小夜子は梨花が通話に入るのを待った。

 暫くして見慣れたアイコンが現れると『ちぃーす』と何時もの抑揚ない挨拶とともに梨花が現れた。

『聞いてよ!めっちゃひどいんだよ!』

 開口一番、小夜子は梨花にそう切り出した。

『この間さぁ仕事場で知り合った人が居るって話したじゃん?』

『そうだっけ?』

『うん、話した。今日その人とデートだったのよ。向こうから誘ってきたのにさ。』

『うん』

『遅刻して来てしかも奥さん連れてきてんの!信じられない!』

 通話の向こうで梨花が盛大に笑っているのが聞こえた。

『いや、だってアレってセールスでしょうに。』

 冷静に返されて小夜子はムッとする。

『でも、あんな誘い方されたらデートだと思うじゃん。奥さん居るなら先に言うべきじゃない?』

『いや、いきなり取引先に家族構成紹介なんかせんだろ。』

『でもさぁ、私今日めっちゃ頑張ってお洒落してさ。』

『まぁそんなこともあるよ。勉強代だと思って次行こう。』

 梨花に諭されながら小夜子は更に愚痴を続ける。

『久しぶりに元彼のSNS見たんだけどくっだらない喧嘩ばっかりしてんの。別れて正解だったなぁ。』

『ってか別かれた相手のSNSチェックしてんの?』

『してないよー。偶然目に入ったの。』

 そんなわけは無い。作者は小夜子が態と検索したのをこの目でしっかり見ているのだ。

 だが小夜子は偶然を装いながら梨花に見た投稿の話を続ける。

『たまにデートとかって書いてたけどカラオケボックスだったりさ、もうちょっと気の利いた所に行かないのかな。』

『あのさぁ。』

 梨花が溜まりかねて小夜子に口を挟む。

『別れたら他人なんだから一々気にしなさんなよ。それより今日工場見学に行ったんでしょ?いい生地あった?』

 小夜子は梨花の言葉に過敏に反応するとカメラを動かして今日仕入れた生地を一つずつ紹介していく。

『これ!何時もは縫うのが難しくて手が出せないタイプなんだけどね!』

『織物系?使い所難しそうだけどめっちゃ良い色だね。』

『そうなの!藍色が凄く綺麗で柄違いお試しにって一メートルずつ直販だから凄く安くって市場の三割引!』

『試験的に使うならいい価格だね、手を出しやすい。何にするの?ポーチもいいけどそれだったら布バッグも良さそう、裏地要るから面倒だけど。』

 梨花が何時もより乗り気で話し出したので小夜子の気持ちも幾らか浮上し、仕入れた生地を使うハンドメイドのプランを幾つか挙げて行く。

『やっぱり良い布触ってると落ち着くわー。』

『大収穫だねぇ。このくらい良い生地なら糸もナイロンや綿以外に拘りたくなるね。』

『さよさん考えること多くて大変だよー。』

 カラカラと笑い合いながら長話しているうちに通話の向こうで欠伸をするのがわかった。

『梨花そろそろ寝るー?私もう少しやる事あるから起きてるけど。』

『そうねぇ、明日昼から用事あるから今日は寝るわ。』

『いい気分転換になったよ、ありがとう。』

『いやいや、気持ちが落ち着いたなら何より。おやすみ。』

 そう言い残して梨花の通話が切れた。

 小夜子は散らかした生地を纏めながら写真を撮っていく。

 粗方片付けてからSNSを開き『今日の収穫!大勝利!』そう付け加えて生地の写真を投稿した。

 何気に検索履歴からまた元彼のSNSを見に行って見たが、先程ほどの苛苛とした感情は生まれず、飽き飽きとしながら検索履歴を消した。

「さよさんは過去には囚われないのよー、さあ次の出会いを探しますか!」

 そう言いながらベッドに潜り込んだ。

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