44 転生者


 ひょろりとした貧弱な身体に、神経質そうな瞳の動き。口元が震えるように動いているが、そこから聞こえた声は先程の文句だけだった。

「それはお前さんが先に絡んできたからだろう? オレ達は訳あって魔法の石を集めておってな」

「ガリアノ様、霊石にございます。鍛冶屋の者にはその仮称では伝わらないかと」

「ああ、そうであったな。とにかくその手に持っておる石が、オレ達には必要なんだ。なに。さすがにこんな危険な土地で頼みの綱のその石を奪おうとは思わんさ。そこは安心して欲しい。オレ達が近くの街まで送ってやるから、その代わりに譲って欲しいのだ。お前さんも、こんな所で“一人”は辛いだろう?」

 まるで先程視えた幻等なかったかのように、ガリアノはそう言った。男に対して『一人』と言った時の彼の表情は、とても鋭いものにリチャードには見えた。

 男はガリアノの指摘通り、その手に森の中でも見た蒼を握ったままだった。そしてもう片方の手には、予想されていた通り、憎しみの朱を握っている。

「これは俺の手に入れた“理想の力”なんだ。絶対に渡さない」

「その理想で、あんたは何がしたいんだ?」

 この湿地帯は心に重たく圧し掛かるような、陰湿な空気が充満している。空から降り注ぐ光すらも効果がないかのように、隣の愛しい存在から零れる言葉は、この湿地帯に入ってからというもの、深い憎しみの沼に絡め捕られているのだった。

 闇を湛える影より淀んだ、そんな瞳で彼女は男を見据える。いつもなら過剰なまでに感情を表すその顔が、今は何も表すことがない。言葉を投げ掛けた対象に、彼女が憎しみをぶつけているのは明白だというのに。

「俺の理想かっ!? 俺は、特別なんだ!! この世界では勝ち組の鍛冶屋に生まれて、魔法の才能だってたくさん褒められた! なのに、なんでいきなり生まれ育った場所が死んじまうんだよ!? 助かる方法なんて絶対あって、すぐに水神だろうが女神だろうが言うこと聞かせて、故郷に帰ったら王様になるんじゃないのかよ!?」

「……お、お前さんは何を言っておるんだ?」

 突然喚き出した男のあまりの勢いに、ガリアノが呆れたように眉をひそめるが、その制止は届いていないようで、更に男は捲し立てる。その言葉の節々に、リチャードは違和感を覚える。

「せっかく魔法の世界に生まれたってのに……旅の仲間の美少女もいねえし、野生モンスターも魔法だけじゃ追い払えないし、霊石をせっかく手に入れても、もう頂きの街に向かう“意味”がない……」

 男はやはり、あの鍛冶屋の息子だったのだろう。故郷からは少し離れてしまったが、おそらく自身の故郷が溶岩にのみ込まれ、家族の命がないことは既に悟っている口ぶりだ。しかし、それ以上に問題なのは……

――魔法の『世界』に生まれたってのは……

 ガリアノやサクが言うには、これまでこの世界の人間達に『世界』という概念はなかったようだ。彼等だけが特別ではないだろうということは、街の門を出る時にリチャードも感じた。簡易的な近辺の地図が門には掛けられていたのだが、そこには『世界』といった類の文字は記入されていないらしい。海すら記されない、閉じられた地こそが、この世の全てなのだと。

 比較的多くの人で賑わう『フヨウの街』でそうなのだ。溶岩にのまれた小さな集落の中で『世界』を意識している者がいる可能性は、とても低く感じる。そして何より『生まれた』という言葉だ。

「お前は……この世界の住人じゃないのか?」

 頭に浮かんだバカげた可能性を、リチャードは恐る恐る口にした。その言葉に男より先に反応したのは、ガリアノとサクの二人だった。思い至ったように息を呑む二人の背後で、リチャードの隣で、愛おしい存在は何も反応することはない。

「……その言い方……お前も『転生』したのか?」

 目の前で男が、驚きに目を見開いたのが、リチャードですらわかった。それ程までに大きく目を見開いて、その男は肩を震わせ始める。

「……初めてだっ……っ……初めて、この世界の人間じゃない人間を見た……この夢のような世界でっ」

「転生ってのは、どういうことだ?」

 他に誰も口を開かないので、リチャードが仕方なく男に問い掛けることになる。前に立つ二人は、リチャードとレイルにこの場の判断を任せようとしているらしい。暖かい目でちらりと振り返ったガリアノと目が合い、リチャードも力強く頷く。

 この男はどうやら違う世界――よくよく考えれば、リチャード達がいた世界と同じとは限らないが――から『転生』という形でこの世界に招かれたらしい。男が言う『転生』という概念が、リチャードが一般常識として考える生まれ変わってという意味で合っていれば、の話ではあるが、そうなると彼は、『前世での別世界』の記憶を持ったままこの世界に生まれたことになる。

「剣と魔法の異世界に転生して現代知識で無双なんて常識だろ!? あんた本当に若者か?」

「……む、むそう?」

 聞き慣れない言葉に、返答に困る。こちらの問い掛けが理解出来ていないのだろうか。耳から入る言語は同じように聞き取れているが、そもそもこの世界の言語というものを文字を見るまで意識すらしていなかったので、もしかしたらこの世界に渡った時点で、リチャードとレイルの頭なり耳なりに何か変化があった可能性も否定出来ない。身体自体が変わっているのだから、充分その可能性がある。

――もしかしたら、とも思ったけど……違う世界か、『世界』は一緒でも国が違う可能性もあるな。

「……リチャードよ……この男もお前さんらと同じ『世界』から来たのか? お前さんらよりも随分と難解な言葉を発しておるが」

「……俺もそう思ってたんだが、そもそも世界が違うかもしれない」

「世界が一緒だったとしても、だ。国が違えば言語も異なる。風習や考え方なんて全くの別物なんだ。下手したら全く無関係よりも面倒なことになるぜ。国と信仰の話はタブーってもんだ」

 リチャードの危惧をそのままストレートにレイルが表現してくれて、その説明にガリアノとサクも納得したようだ。やはり二人は遥かに大人である。ガリアノは「街以上の規模で集団にもなれば、そうなるものだろうな」と呟き、サクも「言語の問題はなさそうですが、あの者との相互理解は苦しいように思えます」と苦笑いした。

「えっと……俺達は気が付いたらこの世界に飛ばされてた。この表現が合ってるのかはわからないが、もし同じような意味で君が『転生』と言っているのなら、俺達にも知っていることを教えてくれないか? この世界にいきなり投げ出されて、俺とレイルは何も知らない」

 リチャードは敢えて自分達の状況を伝えた。男の目に落ち着かない挙動を感じ取ったからだ。

 この男の反応は、リチャードのクラスメートにも似たような者がいたので知っている。残念ながらリチャードはそのクラスメートとじっくり話したこともないし、どちらかというと彼は“絡まれているタイプ”の人物だったので、登校してくることすら稀だった。

 心を開いたように穏やかに、そして皆から褒められる笑顔で問い掛ける。爽やかなクラスの人気者の雰囲気は、自分で言うのもなんだがそれなりに評判が良い。劇の主役も任されたし、力を入れている部活動でもレギュラー候補に入っている。生徒会は来年からしか主軸にはなれないのでまだ興味はないが、早くも考えておくようにと担任には勧められていた。

 これは嘘の、偽りの笑顔だ。努力もしないくせに卑屈な自信のない人間のことを、リチャードはあまり好きではなかった。そのクラスメートと同じ空気を、この目の前の男からは感じるのだ。

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