17 争うということ


「さて、まずは武器だが、お前さんらはその……組み手の経験はないんだろう?」

「組み手?」

 武器を扱う店への道すがら、ガリアノが言葉を選びながらリチャードに問いかけてきた。彼にしては珍しいその行為に、少しばかり不安を覚える。自信なさげな、困ったような顔をするガリアノは見たくない。どうやら自分で思っていた以上に、精神的にも頼りきってしまっていることに気付く。

 レイルは後ろで黙っている。彼女の隣で、サクも静かに控えるだけ。

「簡単に言えば手の爪を使っての喧嘩だ。型にそった格式ばったものから、命を奪う争い、それかもっと単純な、単なる喧嘩でも良い」

 目的地に向かって足は動かしたまま、ガリアノは上半身だけでまるで格闘技の技を放つように右腕を突き出す。たったそれだけの動きでも、風を切る音が聞こえる程、その動きは洗練されていた。鍛え上げられたその腕は、間違いなく他者を傷つける力を秘めていた。

「あー、ガリアノ? 私らの世界では、争いで自分の身体だけで戦う奴ってのは少数派なんだぜ?」

 リチャードが言葉に詰まっていると、レイルが半ば呆れたようにそう返した。彼女のその声音には、呆れが半分。そしてもう半分は、何故だかとても冷たく響く嘲笑のように感じた。表情自体は――普段のそれ。悪意に歪む、皮肉屋の顔だ。

「……他に武器があるのですね? 己の爪や魔法以外に」

 サクが先を察して続きを促す。低く下がった彼のトーンに、未知の世界に対する恐怖心のようなものは見えない。

「私らの世界では、大きな争い……国家間の戦争になっちまうが、この世界で言ったら街同士が戦うみたいなもんだな。そんなことが起こったら、銃や爆弾なんてものが主流になる。そこまでいかなきゃ、ただ憎しみで人を殺す時はナイフで刺し殺したり、首を絞めたり。ただの喧嘩の時は、拳や足での打撃だな」

「爆弾や銃ってのは、この世界でのゼートの魔法に近い。それにアクトが使うような毒の研究もされている。ナイフも爪の鋭さを模したものだ。だから多分、生物の進化の過程自体はここも元居た世界も変わりはない」

 レイルの大雑把さはわかっていたので、彼女に続いてリチャードは補足していった。いきなり別世界のテクノロジーを言われても困惑するだろうから、見た限り近いと思えた魔法を例えに説明する。

 リチャードの説明に、ガリアノとサクは静かに聞き入っているようだった。

「ふむ……進化の過程か……」

 ざっと説明が終わったところで、ガリアノが顎に手をあてながら唸った。サクも頷きながら言う。

「なかなか興味深い話でしたね。自分達は、内なるこの地にばかり目を向け過ぎていたのかもしれない」

「この地にばかり?」

 このままだと勝手に納得されてしまいそうだったので、リチャードはサクに聞いてみることにした。ガリアノは目まで瞑って考え込んでいるからだ。だが彼の足は目的地に向かって真っすぐ歩を進めたままだ。

「自分達はこの世界を救うことを考えるあまり、自分達自身のことに関しては無頓着でした。何故ゼートとアクトというふたつの種族があるのか。その違いは結局のところ何なのか? 何故争ったのか? もしかしたら元は同じ生物かもしれない。それに果てしない水の向こうには、他の土地があるかも――」

「――そうだったとしても、だ……」

 感情のあまり浮かばないサクの瞳に、それでもはっきりとわかる程に興奮の光が燈ったが、その直後、彼の隣を歩くレイルがつまらなさそうに遮った。彼女らしいいつもの調子で、なにごともないかのように。

 その鋭い言葉に、サクは言い掛けていた言葉を飲み込む。その瞳にはもう先程の光は消えており、無機質な視線からは心の内は読めない。

「人間の……この世界で“人間”って言うのかは知らないけどよ。知的生命体の進化の理由ってのは、争いと差別に決まってるんだ。より効率的に他者を殺し、他者から奪うために進化するんだよ。差別? んなもん理由はなんでも良いんだ。世界中が同じ人種で統一されても、その中から差別は生まれるんだぜ? 果てしない水の向こうでも同じこと。そこの土地や富を奪って、新しい階級を作り出すんだよ」

「レイル……」

 彼女の吐き捨てた言葉に、リチャードは反論出来なかった。場の空気が悪くなろうが、彼女は一向に気にしない。彼女が支配者だ。そして、気にしないからこそ、そこからでも言葉を続けられる。

「ま……奪う理由が愛する者を守る為だってことはわかってるんだけどな」

 愛する者を傷つける者から守る為、家族の豊かな生活を守る為、またはそれを横取りする為。他者を殺す為。自分達を守る為。武器を――己の爪を人は研ぐのだ。











「つまり……お二人は、戦闘の経験はないということですね?」

 少しばかり話が脱線してしまったので、サクは咳払いをしつつ話題を元に戻した。

 リチャードが頷き、隣のレイルに視線を移す。サクもそれに倣う。

 彼女は、男性二人の視線なんてなんのその。少しばかり考えるような沈黙を挟んで口を開く。

「殴り合い程度の喧嘩なら何度か。それに銃も多少は扱える……あ、もちろん人に向けては撃ってねぇけど」

「リチャード殿……貴方の世界では、女性も殴り合いの喧嘩をされるんですか?」

「いや……少ないだろうな」

 予想はしていた。なんだったら予想通りなぐらいだった。だがそれでも、何なんだろうこの感情は。思いきり溜め息をつくサクとリチャードを尻目に、ガリアノは心底楽しそうに笑って言った。

「お前さんらしいな。本当に気の強いお嬢さんだ」

「口で言っても聞かねぇ奴には仕方ねえだろ」

 鼻で笑いながら返すレイルの瞳は、こんな話題なのに――こんな話題だからかキラキラと輝いている。小柄ながら身軽そうなその身体は、見ただけで身体能力に恵まれていることがわかる。

 余分な脂肪のないシルエットには年齢以上の色気を備え、攻撃的な言動がよく似合う悪い笑顔まで美しい。繊細という言葉を体現したようなすらりと伸びる手足。それに――これは昨日の服屋で見たのだが――笑う時に少し引き締まる腹筋までもが扇情的だった。

 美しさと、おそらく運動機能が同居した身体。村の女性にはいなかった。「戦闘」という部分にきっと、彼女は高い適正がある。そしてそれは、彼の方もそうだ。

 村で一番の大男だったガリアノよりも、更に頭一つ分大きいリチャードは、体格こそ遠く及ばないものの、その長身からくるリーチの長さが一番の武器になる。どんな危険な一撃も、必殺の爪も、致死量の毒も、相手に届かなければ意味はない。間合いの外から攻撃が出来る。それは何よりもの利であった。

 リーチだけでなく、彼の鍛えられた身体も相当なものだ。青年らしい若く柔軟な筋肉は、『部活』という学舎での活動の賜物らしい。膨らませただけの筋肉ではなく、実用的な鍛え方をしている。

 野生モンスターの脅威や汚染といった命の危険のない平和な彼の世界では、人々は娯楽のために運動に興じているらしい。身体能力による優劣なんて、闘いの優劣しか経験してこなかったサクからすれば、その世界はまるでぬるま湯のような、しかし何物にも代え難い安らぎにも聞こえた。この場所とは、雲泥の差だ。

「お前さん達なら、この世界の武器も使いこなせるだろう」

「これで晴れて私達も、スローターの仲間入りか」

 あくまで皮肉な態度を崩さないレイルの様子は気にはなる。先程の喧嘩の件もそうだ。彼女の性格はこの短い間にもかなり理解出来たつもりだ。

 とにかく短気で感情に素直。そんな彼女に、手が出る足が出るの喧嘩の経験があるのは納得出来る。だが、それの理由が問題だ。とても目立つ、目を引く美しい彼女。そんな彼女に降りかかる火種なんて、平和な世界ではほとんど絞られる。

 隣を歩く彼女は、口では皮肉を言いながらもその表情は穏やかだ。これはきっと、武器を持つことで自分にも何か役割をこなせるかもという期待からだろう。本当に……この短時間で彼女の気持ちをわかるようになってきた気がする。

 柔らかくウェーブのかかった赤髪が揺れる。その上にぴょこんと突き出た耳が、時たまくるりと横を向く。細長く突き出た自分のものとは全く違うそのパーツ。基本的にゼートの耳の形が少し柔らかい輪郭をしているのに対し、アクトのそれは細長く天に突き出している。無意識にまわりの喧噪に反応してしまうその動きに、彼女は本当の意味で安心しきって歩いている訳ではないことを悟る。

「人を殺すわけではないぞ。それにお前さん達はオレ達が守る。なぁ、サクよ」

 彼女の心の奥底に沈む警戒心を察してか、ガリアノが安心させるように笑いながら言った。ガハハと響くいつもの大きな笑い声は、本当に頼りになる太陽のような暖かさだ。

「もちろんです」

 任せてください、という気持ちを瞳に込めて頷くのを、彼女は真っ直ぐに見詰めてきた。視線が絡まり合ってから、その口元に浮かんだ優しい笑みに、サクの方が笑顔が引っ込まなかった。

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