第74話

 勢いよく地を蹴ったシオンは、そのままアルバートに刀を横薙ぎに払った。その一閃が長剣によって防がれると、両者の間に激しい衝撃波が生まれる。二人を中心に雨は球状に弾き飛ばされ、おおよそ剣戟とは思えない轟音が高台全域に鳴り響いた。


 鍔迫り合いをする間もなく、シオンは力任せにアルバートの長剣を弾こうとしたが――背後から強烈な殺気が迫るのを感じ、すぐにその場から離れた。

 直後、耳元で風切り音が数回鳴る。併せて、シオンは右頬に痛みを感じた。レティシアが双剣を手に肉薄し、シオンの頭を掻っ切ろうとしたのだ。シオンはぎりぎりのところで二つの刃を躱したが、間髪入れずレティシアから追撃が繰り出される。


 レティシアは風車のように自らの身体を高速で回転させ、地を滑る勢いで迫ってきた。双剣がシオンの胴体を捉えるが、彼は一本を刀でいなし、もう一本は体を反らして避ける。

 シオンは反撃のために体勢を整えようとするが、突如として、地面から無数の岩盤が突き出してきた。足元が浮ついたと認識した時には、すでにシオンの身体は宙を舞っていた。


 セドリックの魔術だ。彼は、印章を彫った大剣を地面に突き刺すことで、地面を変形させる攻撃手段を持つ。


 地面から突き出た岩盤の槍に腹を強打され、堪らずシオンの口から短い呻き声と少量の血が溢れ出る。身動きが取れなくなった空中で、アルバートとレティシアが、剣を振り被って飛びかかってきた。

 長剣と双剣が、シオンの身体を挟み込むように迫る。

 シオンは、アルバートの長剣を刀で受け止めると、レティシアの右手首を蹴りつけた。そうして三本の剣のうち二本はどうにか防げたが、まだレティシアの左手に握られたサーベルの一振りが残っている。シオンは身体を捻って避けようとするも、サーベルの切っ先が彼の脇腹を斬り裂いた。赤い飛沫が、雨の水滴に混じって飛び散る。


 痛みに顔を顰めながら、シオンはどうにか着地した。だが、その瞬間、真横から巨大な影が凄まじい速度で肉薄してきた。

 セドリックが大剣を頭上から振り下ろそうとしているのだ。大剣の質量がその巨体から生み出されるパワーに乗れば、それは到底、刀で受け止めきれるものではない。


 シオンは横っ飛びになってセドリックから距離を取った。直後に、先ほどまでシオンが立っていた場所が、手榴弾が投げ込まれたかの如く爆ぜる。セドリックの大剣は地面を深く穿ち、彼を中心に半径三メートルほどに渡って強力な衝撃波を発生させた。


 それに怯む間もなく――今度は、アルバートとレティシアから無数の斬撃が繰り出される。


 呼吸どころか、瞬きひとつする余裕もない。


 三人の騎士からの猛攻を、シオンは紙一重のところで防ぐが――致命傷にこそならないものの、胴体、手足に少しずつダメージを負っていった。高台の水溜まりは、いつの間にかシオンの生き血で赤く染まっていた。


 そしてついに――


「――ッ!」


 アルバートの長剣が、シオンの左腹部を貫いた。その場から動くことが叶わなくなったシオンに、レティシアとセドリックの剣が強襲してくる。


「――なめるなぁ!」


 刹那、シオンは短い雄叫びを上げ、“帰天”を使った。それまでに負った傷が瞬時に回復し、赤黒い稲妻が三人の騎士を焼き切らん勢いで迸る。

 赤黒い稲妻を纏い、双角のような光輪を携えたシオンの姿に、アルバートたちは悪魔を目の当たりにしたかのように一瞬だけ目を剥いた。


 アルバートはすぐにシオンから長剣を引き抜き、後ろに飛んで距離を取る。レティシアとセドリックは強襲の慣性を止めることができず、そのままシオンへの攻撃をやむなく継続したが――レティシアとセドリックの身体は大きく後ろに吹き飛ばされた。シオンが、“天使化”状態の時のみに使用できる斥力の操作によって、二人を退けたのである。


「レティシア卿、セドリック卿、ここからです! 二人は援護をお願いします!」


 続けて、アルバートが“帰天”を行使した。

 シオンとは対照的に、本来あるべき“天使化”の姿――青白い発光と共に、茨の光輪を頭上に携えた神々しい様相に変貌する。


 先のアルバートの号令を受けて、レティシアは受け身を取りつつ舌打ちをした。


「まったく以て忌々しい、何が“天使化”だ! 相変わらず、腹立たしいほどに反則染みた力だな!」


 レティシアとセドリックは“帰天”を使えないため、“天使化”することができない。そのことに対する劣等感の現れなのか、レティシアは、“天使化した二人の騎士”――赤い天使と、青い天使を前に、そう吐き捨てた。

 それを宥めるかのようにして、セドリックが声を張り上げる。


「レティシア、言っても始まらん! “天使化”状態のシオン相手では、俺たちは近づくことすら精一杯だ! 体力切れを狙ってさっさと“天使化”を解除させるぞ!」

「言われなくてもわかっている!」


 直後に、シオンとアルバートが激突する。その衝撃は、最初に交えた時の剣戟とは比べ物にならない威力だった。高台に溜まりに溜まった水溜まりが、その衝撃を受けて瞬時に消し飛んだのだ。互いの一閃から繰り出された斬撃は斥力の操作によって威力を増幅され、周囲の木々や廃教会にまでその余波が及んだ。シオンとアルバートが剣を交わすたびに、至る所に亀裂が入り、大気が斬り裂かれる。何度もぶつかり合う赤と青の光の軌跡は、不規則な幾何学的な模様を生み出していた。


 その光の衝突に――シオンが微かに足を止めたところに、レティシアが割って入る。しかし、彼女が振った双剣は虚しく空を薙いだ。直後、レティシアの身体が勢いよく横に吹き飛ぶ。シオンの放った蹴りが、女騎士を廃教会の外壁に叩きつけた。

 シオンはそのまま刀を引いてレティシアへと迫る。だが、そうはさせまいと、すぐにアルバートが後ろから追いついた。


「させるか!」


 その一声と共に、アルバートが長剣の先をシオンへ突き出す。シオンはそれを左手で掴んで防ぐと、そのまま刃を強く握りしめた。

 アルバートが動きを止められた刹那、シオンが刀を振り下ろす。しかし、両者の間に滑り込んだセドリックの大剣が、黒騎士の一刀を防いだ。


「ぬうっ!」


 “天使化”によって強化されたシオンの膂力は、片腕一本でセドリックの巨体を吹き飛ばしかねないほどだった。セドリックは大剣の柄を両手で掴み、低く腰を構えて両足を地面に立てる。


 セドリックが吠えた。


 力任せに大剣を持ちあげ、シオンの刀を弾こうとする。シオンは堪らず、アルバートの長剣を手放して両手で刀を握った。


 直後、シオンの刀が、大剣を横に両断する。力の均衡を失ったセドリックが、たたらを踏むように体勢を崩した。そこへ、シオンが追撃の一刀を見舞おうとするが――


「私を相手によそ見する余裕があるのか!」


 アルバートの長剣が、シオンの背中を逆袈裟に斬りつけた。

 シオンは、セドリックを蹴り飛ばし、すぐにアルバートへ向き直った。背中の傷が治る間もなく、今度はシオンがアルバートの体正面を袈裟懸けに斬る。

 そんな斬り合いの応酬が、僅か二秒ほどの間に何度も繰り広げられた。二人から迸った鮮血は飛び散った矢先に雨で流され、血だまりを地面に残していく。


 その有様は、あたかも神話の一節で取り上げられる天使と悪魔の争いのようだった。


 刹那、サーベルの刃がシオンの首を横から貫いた。

 廃教会の方を見ると、頭から血を流したレティシアが、右手を伸ばしてサーベルを片方投擲した直後だった。


 シオンは短い怒りの声を上げ、すぐにサーベルの刃を首から引き抜く。そして、お返しとばかりに、渾身の力でレティシアに向かって投げつけた。

 驚異的な速度で迫るサーベルの刃は、真っすぐにレティシアの心臓へ向かっていた。だが、


「余計なことをするな、セドリック!」


 身を挺して間に入ったセドリックの右腕に深々と突き刺さり、挙句、貫通して脇腹まで到達した。

 そんな光景をシオンが確認した矢先に――


「――!」


 アルバートが、両手で振り被った長剣を、シオンに向かって斬りつけた。

 そのひと振りは、もはや斬撃と呼ぶことすら憚れるほどの威力を持っていた。

 直撃を受けたシオンは体正面を斬られつつ激しく吹き飛び、高台の地面を勢いよく転がる。静止した時には、夥しい血痕が彼の周囲に点在していた。


 アルバートは呼吸を整える間もなく、シオンへと歩みを進める。

 うつ伏せに倒れるシオンは、両手を地に付けて、徐に立ち上がろうとしていた。

 だが――


「もう、限界だろう」


 すでにこの時、シオンの“天使化”は解除されていた。そのせいで、アルバートから受けた最後の一撃の傷が塞がらず、大量の血を垂れ流している状態だった。


 それを見たアルバートが、同じく“天使化”を解く。


「“天使化”が解けてしまった以上、その深手ではもう長くはもたない。せめてもの情けに、苦しまないよう止めを刺す。無駄な抵抗はするな」


 しかし、そんなアルバートの言葉に反し、シオンは獣が唸るような声を上げて立ち上がろうとしていた。そればかりか、徐々に赤黒い稲妻を復活させ、再度“天使化”しようとさえしている。


 その執念に、アルバートが微かな慄きを孕んだ双眸で顔を顰めた。


「その状態で、まだ戦うつもりか……!」


 シオンは立ち上がった。血を全身に滴らせながら、大口を開けて肩で呼吸をするその有様は、まさに騎士の幽鬼そのものであった。

 刀を手に、覚束ない足取りで前進を始め、無理やり“帰天”を発動――


「そこまでにしてもらえる?」


 突如として聞こえた女の声に、シオンは動きを止めた。

 そして、声がした方を向き、驚愕に言葉を失う。


「悪いんだけど、アンタにはここで死んでもらわないと困るの」


 エレオノーラが、怯えと混乱で顔面蒼白となっているステラに、ライフルを突きつけて立っていた。

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