第50話

 ノラが初めてカルヴァンと出会ったのは、街外れにある薬草畑だった。月が出始めた時間帯に、当時、街の病院に勤務する看護師だったノラは、一人で薬草を摘みにいっていた。

 そんな時に、彼女は街の悪漢たちに襲われそうになった。悪漢たちはノラを羽交い絞めにし、畑を囲う林の中へと連れ込んだ。

 服を脱がされ、恐怖で抵抗する気力も失った矢先――


「こんなところで獣が盛ってんじゃねえよ」


 カルヴァンが、悪漢たちに銃を突き付けて木立の陰から姿を現した。




 ※




 カルヴァンのこの独断行動によって、ガリア軍が街の周辺に潜伏している事実が住民たちに知られることになった。

 ガリア軍は作戦開始を早めて街へと侵攻するも、補給を待たずして挑んだ不十分な兵装では、街に多く住まうライカンスロープたちに身体能力の面で圧倒され、ほとんどなすすべなく返り討ちにされた。

 その後、カルヴァンを含めたガリア軍の兵士たちは捕虜にされ、危険な坑道での強制労働を強いられることになった。

 特に、カルヴァンは口が悪く、亜人たちに反抗的な態度を殊更に見せることが多かったため、炭鉱夫たちの日ごろの鬱憤晴らしに使われた。

 坑道での労働が終われば、夜は酔った炭鉱夫たちがサンドバッグ代わりにカルヴァンたち捕虜を痛めつける――ここ一年、そんな光景が日常となった。


 ひとしきり殴られたあと、カルヴァンは他の捕虜とは違って、そのまま酒場の前に投げ出されて一晩過ごすことがほとんどだった。

 そして、そのたびに、ノラが彼を迎えに行き、オーケンの家で看病した。


「亜人が俺に触るんじゃねえよ!」


 そう悪態をつくのも無視して――いつしかそれは、彼女と、彼の日課になっていた。







「お前、看護師クビになったって?」


 不意に、カルヴァンがそう訊いてきたことがあった。

 ノラには目を合わせてこなかったが、どことなくその声色は申し訳なさそうだった。カルヴァンは、ノラが敵国の軍人の看護をしているがために解雇されたものだと思っているようだった。実際は、病院内で白い目で見られることが多くなり、居心地が悪くなったために自主的に辞めただけであり――


「貴方が気にすることじゃないわ」


 ノラがその一言だけを返すと、カルヴァンもそれ以上の追及をすることはなかった。

 その次の日あたりから、定期的にオーケンの家の前に、花が数本置かれるようになった。

 そういえば、何気ない会話の中で花が好きだと言ったなと、ノラは思い出した。

 彼なりの謝辞と誠意の現れなのだろう――そう考えたら、思わず小さく笑ってしまった。

 いつか、彼から直接、その言葉を聞けたらいいなと――







 カルヴァンに拳銃を突きつけられたノラは、何も言わず、静かに目を閉じた。

 それを見たカルヴァンが、酷く狼狽して目を見開く。


「お、お前、何のつもりだ?」

「好きに撃っていいわ」

「ふ、ふざけること言うなよ」

「ふざけてなんかいない。どのみちこの状況じゃ、私は生きることができない。ならいっそ、貴方の手にかかることが本望だわ」


 毅然とした態度で言い放ったノラを見て、カルヴァンはさらに慄くように呼吸を乱した。彼の手に握られた拳銃が、それを嘲笑うようにしてカタカタと音を立てている。

 拳銃の照準はノラの胸元を捉えているが、そこへ不意にオーケンが間に入ってきた。


「なあ、ガリアの坊主よ。この際、わしのことはどうでもいい。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。わしはもう充分に人生を謳歌した。だが――」


 オーケンは視線を落とし、少しだけ頭を下げるような姿勢になった。


「ノラと、お前さん自身に対して嘘を吐くようなことはしないでくれないか? こんな結末、お前さんだって望んでいるわけじゃないだろ」


 カルヴァンが言葉を詰まらせ、顔をひきつらせた。


「頼む。お前さんがノラを撃ち殺すなんてことだけは、絶対にしないでくれ」


 カルヴァンの呼吸がさらに荒くなる。もはや正気を失っているような形相で、二人の亜人を正面に据えていた。

 そんな彼を見たギルマンが、


「クレール伍長、何をもたもたしている。早くその亜人二体を始末しろ」


 苛立った声を荒げた。


「クレール伍長!」


 叱咤するようなギルマンの一声が続き――その直後に銃声が一発響いた。

 カルヴァンの握る拳銃からは硝煙が上がっていた。その銃口が向く先は、彼の下顎だ。板挟みとなり、行き場を失った弾丸は、彼自身の命を標的にした。

 しかし、


「……ノラ?」


 カルヴァンを押し倒し、覆いかぶさるようにして、ノラがそれを制止した。彼女のライカンスロープの身体能力が、カルヴァンの自決を阻止したのだ。

 カルヴァンの体に覆いかぶさったまま動かないノラを見て、彼は青ざめた顔で何度も彼女の身体を揺すった。


「おい、ノラ! ノラ!」


 そこで、徐にノラの面が上げられる。なぜか彼女の顔は嬉しそうで、カルヴァンが不安そうに眉を顰めた。


「名前呼んでくれたの、初めてかも」


 ノラのその笑顔は、カルヴァンが今までに見てきた中で、最も屈託なく、幸せそうなものだった。

 カルヴァンが銃を投げ捨て、ノラの身体を両腕で抱き締める。嗚咽混じりに息をして、目と鼻からとめどなく体液を漏らしていた。


「すまない、すまない……!」

「貴方が素直じゃないの、今知ったわけじゃないから」


 ノラがそれに応えるように、カルヴァンの体に両腕を回す。

 オーケンはそれを、ほっと胸を撫で下ろして見守っていた。

 カルヴァンとノラ――二人が抱き合う光景は、人間と亜人の間にある感情が確かな形で繋がったことの証であった。

 しかし――


「クレール伍長、今この状況における貴官の行動について説明を求める」


 ギルマンの巨体が、二人のすぐ傍らに立った。その声色は、先ほどまでと打って変わり、不気味なほどに落ち着いていた。

 カルヴァンはすぐにハッとして、ノラを自身の背後に隠れさせた。それから両膝を地に着けたまま、ギルマンを見上げる。


「申し訳ございません、閣下! 自分は、自分は――准将閣下のご命令に背きました!」

「その説明を求めている」

「……どうか、この二人を見逃してもらえないでしょうか! この二人は、自分の命の恩人なんです!」


 ギルマンは沈黙したまま、カルヴァンをじっと見下ろしていた。

 カルヴァンはさらに続ける。


「この街で捕虜となって、死んだ方がマシと思えるような扱いを受けてもなお、今ここで生きていられるのはこの二人のお陰なんです! 俺……俺、ここまで“ヒト”から優しくしてもらったことなんて、祖国にいた時でもなくて……だから、だからどうか、この二人だけは生かしてもらえないでしょうか!」


 決死の形相で、カルヴァンはギルマンに訴えた。

 ギルマンは、彼の嘆願を聞いて、暫く石像のようにして固まる。その間の張り詰めた空気は数秒であったが、やけに居心地が悪く、ギルマン以外のその場に居合わせた全員が息を呑んでいた。

 そして、ギルマンが興味を失ったように踵を返す。


「貴官の思い、よくわかった」


 その一言を聞いて、カルヴァンの表情が一気に明るくなる。


「ギルマン准――」

「総員、“避雷針”の用意」


 しかし、直後に発せられた言葉に、血の気を失わせた。

 “避雷針”――その単語を耳にして狼狽したのは、カルヴァンのみならず、強化人間の兵士たちも同様だった。

 ギルマンが、うろたえる部下たちを一瞥して、少しだけ腹立たしそうになる。


「何をしている。早く準備に取り掛かれ。この場にいない同志にも速やかに伝達しろ」


 途端に、兵士たちがきびきびとした動きを見せるようになった。無線機を背負った通信兵が慌ただしく通信先の兵士に“避雷針”の用意を伝える。すると、通信先の兵士からも、驚いた声が上がった。


「総員、速やかに“避雷針”の用意! 間もなく、ギルマン准将閣下が“トールハンマー”を使用する! 繰り返す! 総員、速やかに“避雷針”の用意! 間もなく、ギルマン准将閣下が“トールハンマー”を使用する!」


 他の兵士たちは、各々が腰に装備していた一本の金属製の棒を取り出し始める。それらは警棒のような形状をしていたが、グリップ部分を捻って回すと三メートルは超える長槍へと変形した。兵士たちはそれを、次々と地面に突き刺していく。


 それらを尻目に、ギルマンは街の開けた場所へと一人移動していた。

 街の中心部と思しき場所で立ち止まると、不意に彼の足元から無数の稲妻が走り出す。それらは地面を細く焼き焦がしていき、巨大な印章を焼き付けた。


 一連の事態を飲み込めないノラ、オーケン、ステラを置き去りに、カルヴァンが一人、ギルマンのもとへと駆け出す。


「閣下、お待ちください! それはあまりにも――」

「おめでとう、カルヴァン・クレール伍長。貴官は殉職による二階級特進により、曹長となることを約束しよう」


 カルヴァンはいよいよ絶望した顔になり、すぐにノラとオーケンのもとへ戻った。


「二人とも、すぐに避難するぞ!」

「ま、待って、カルヴァン、何が起きるの?」


 鬼気迫る様子のカルヴァンに、ノラがすかさず質問した。


「ギルマン准将が魔術でこの街に雷を落とす! それも普通の雷じゃない! この街一帯を消し飛ばす威力を持った雷だ!」


 カルヴァンの回答に、ノラとオーケンが言葉を失う。

 そんな二人の背を、カルヴァンは急かすように押した。


「オーケンの家だ! あの穴倉なら雷をやり過ごせるかもしれない! 走れ――」


 突如として、強烈な破裂音が幾度と鳴り響いた。そして、夜の闇が、目も眩む光によって切り裂かれる。

 ギルマンの頭上高くに、巨大な球雷が造られ始めていた。球雷はけたたましい音を上げながら小さな稲妻を地上へと走らせている。街中のガラスや街灯が次々と破裂し、樹木や建物から火が上がり始めた。


 球雷から溢れ出した電撃の一部が、ステラを囲う籠の方へと流れていく。

 ステラは悲鳴を上げながら咄嗟に身を屈めたが、電撃は籠に当たった瞬間、何事もなかったかのように消えてしまった。

 ステラが怪訝な顔で首を傾げていると、


「王女よ、巻き込まれたくなければ籠の中で大人しくしていることだ。貴様とエレオノーラ・コーゼルを囲う籠には“避雷針”と同様の効果がある。そこから動かなければ貴様らは無事だ」


 ギルマンがその答えを言った。

 それを聞いて、ステラは、身体に風穴を開けたままうつ伏せに倒れるシオンの方へ向いた。


「シオンさん、目を覚ましてください! シオンさん! このままだと雷に打たれてしまいます!」

「無駄な呼びかけだな。いかに騎士といえど、生身の人間がそんな風穴を身体に開けて生きられるはずもない」


 ステラが必死になってシオンへ声をかける姿を、ギルマンが鼻を鳴らして嘲笑う。

 そうこうしているうちに、球雷はさらに当初の二倍ほどの大きさへとなっていた。その有様は、まさにもう一つの太陽ともいえるほどだった。


 凶悪な光の球体を目の当たりにして、カルヴァン、ノラ、オーケンはさらに足を速めた。あと一〇〇メートルほどでオーケンの穴倉式の家に到着する。間に合うかどうかの瀬戸際――そんな時だった。


「きゃあ!」「うぐっ!」


 カルヴァンの後方で、ノラとオーケンが同時に苦悶の声を上げた。

 見ると、ノラとオーケンの足元が焼け焦げており、二人の足もまた焼けてしまっていた。球雷から発せられた電撃が、二人の足を直撃してしまったのだ。


「ノラ、オーケン!」


 カルヴァンが引き返して二人のもとに駆け寄る。急いで立ち上がらせようとするが、


「駄目、痺れて足が動かない……!」


 両者とも、まともに立ち上がることすらできずにいた。

 狼狽えるカルヴァンの腕をオーケンが掴む。


「ノラを抱えて先に家に入れ!」

「お、おっさん……」

「早くしろ!」


 オーケンが、躊躇うカルヴァンに喝を入れる。

 カルヴァンは一瞬悲痛な表情になるが――すぐに何かに気付いたようにして、オーケンの家とは逆方向に走り出した。向かった先は、シオンが屠った強化人間の亡骸だ。

 カルヴァンは強化人間の亡骸に駆け寄ると、装備から“避雷針”を取り出す。これがあれば、避難せずとも雷を防ぐことができる――はずなのだが、


「“機械仕掛けの雷神”の銘、今ここに証明してみせよう」


 ギルマンが、頭上の球雷に向かって手を伸ばした。

 それを見たカルヴァンが、急いでノラとオーケンのもとへ戻ろうとする。


 しかし、それから五秒と待たずして、球雷が大爆発を起こした。

 球雷に蓄えられた電気が、無数の雷となってリズトーンの街全域に降り注いでいく。それらは束となり、もはや巨大な一筋の光の柱となっていた。あたかも、神話の雷神が振るう戦鎚が振り下ろされるかの如く、自然現象の域を大きく外れ、常軌を逸脱した轟音と電撃が地上を焼き払った。







 恐る恐るステラは目を開いた。耳を両手で塞いでいたにも関わらず、落雷の轟音が未だに頭の奥で響いている感じがする。耳鳴りのせいで、周囲の環境音をうまく拾うことができなかった。

 鼻腔を突くのは色んなものが焼け焦げた臭い――吐き気を催すのは、銃殺されたライカンスロープたちの肉が焼けた臭いが混ざるためだろう。

 やがて視界もはっきりし始めた時――ステラは目の前の光景を見て、愕然とした。

 落雷によって、街の様子は一変していた。建築物は軒並み天井部分から焼け落ち、地面は帯電しつつ、湯気を上げながら赤熱していた。

 一言で表すなら、まさに地獄絵図――今までに見たことのない凄惨な光景に、ステラは言葉を失って固まった。


 そんな静寂を引き裂くようにして、甲高い悲鳴が突如として起きる。それは、紛れもなくノラのものだった。

 見ると、ノラとオーケンがいた場所に、一本の“避雷針”が突き刺さっていた。どうやら二人は、そのおかげで生き延びることができたらしい。

 しかし、どうして二人の近くに“避雷針”が――その疑問を証明したのは、ノラの視線の先だった。


 初め“それ”を見た時は、何かの石像かとステラは思った。

 だが、目を凝らして見れば見るほどに、その正体がはっきりとした。

 それは、表面の皮膚を焼け爛れさせ、完全に動きが停止したカルヴァンだった。彼の姿勢は、何かを投擲したようなまま硬直している。

 その何かが、彼が強化人間の亡骸から奪い取った“避雷針”であることは、ノラとオーケンが無事でいることが何よりの証明だった。


「カルヴァン! カルヴァン!」


 ノラが動かない足を引きずりながら、発狂した様子で彼に近づこうとしていた。

 そんな時、不意に、低い笑い声が響いた。


「哀れな男だ。命令に背かなければ、死ぬこともなかっただろうに。亜人ごときに恩義などを感じた結末が、貴官のその無様な有様だ、カルヴァン・クレール“軍曹”」


 ギルマンがそう嘲笑して、歩みを進める。その向き先は、ノラだ。


「貴官が何をしようがしまいが、その亜人二匹が死ぬことに何も変わりはない。文字通り、無駄なあがきだったな」


 そう言って、腰から拳銃を取り出し、這いつくばるノラに照準を合わせた。

 そして、引き金に指がかけられ――


「――?」


 不意に、ギルマンが後ろを振り返った。

 ステラもまた、ほぼ同時に彼が見遣る方へ目を馳せた。

 この二人だけではない。取り乱すノラ以外、この場に居合わせた誰もが、“その場所”に目を向けていた。


 そこには、稲妻が迸っていた。

 先ほどまでの青白い光ではない。

 夜の常闇に同化するかの如く、不気味で、禍々しい色――赤黒い稲妻が、周囲の景観を侵すように、絶えず、成長するように勢いを強めながら発生していた。

 そして、その発生源となっていたのは、虫の息の状態で倒れていたシオンだった。


 シオンが、徐に立ち上がる。

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