第2話
「承諾しておいて今更だが、エルフはもうここにはいないかもしれないぞ」
二人が出会ってから数十分が過ぎた頃、森の奥へと進む中で、シオンがステラにそう声をかけた。
「数年前にあった戦争のあと、大陸に住まう亜人の多くはガリア公国軍に弾圧されたはずだ。その時に、ログレス王国内にあったエルフの独立自治区もガリア軍が根こそぎ奪ったと聞く。さっき殺した軍人二人が堂々とこの森で発砲していたのもその前提があるからだろ」
「エルフの独立自治区がガリア軍に襲われたのは知っています。でも、もしかしたらまだいるかもしれないんです」
ステラが足を止めずに答えると、シオンはさらに眉根を寄せた。
「根拠は?」
「こ、根拠は……あるにはありますけど、あまり詳しくは言えないです」
聞かれたくないことなのか、はっきりと濁した表現で返答した。
シオンは続けて、
「なら、場所のあては? むやみに森の中を歩いているわけじゃないだろ?」
そう訊いたが、ステラからの即答はなかった。
シオンは嫌な予感がしつつも小さなため息を吐く。
「ないのか」
「……すみません」
心底申し訳なさそうな声色でステラが肩を落とした。
そんな時、不意に、シオンが足を止める。
「どうかしました?」
ステラが振り返ると、シオンは徐に周囲を見渡していた。
「お前が正しかったみたいだ」
「え?」
シオンが、ステラの前に移動する。
そして、
「俺たちに敵意はない。少しだけ会話させてくれないか?」
微かに張った声で、どこに呼びかけるでもなく、そう言った。
ステラが訝しげに首を傾げていると、突如、周囲の木立の陰から続々と人影が現れてきた。人数はおよそ十人。そのどれもが弓で武装しており――弦が引かれた状態で、矢先はシオンとステラに向けられていた。
あからさまでこの上ない警戒のされ方に驚いたが、ステラは彼らのその容貌にも目を丸くさせた。
その全員が、金髪碧眼で透き通った白い肌をしており、例外なく若々しい見た目で美形だった。また、特徴とするべきは彼らの耳で、人のそれより大きく、翼のように広く尖っている。その特徴的な耳こそが、エルフである何よりの証であった。
取り囲むエルフたちは全員男のようで、革の軽装で武装している。弓を絞りながら、じりじりとシオンたちとの距離を詰めていった。
ステラは、初めてエルフを目の当たりにして、緊張から一度大きく唾を飲み込んだ。
「何者だ?」
エルフの一人が唸るように訊いてきた。
ステラは、一瞬悩んだ表情になったが、すぐさま口を動かした。
「ろ、ログレス王国から流れてきた難民です。とある事情で国を追われてしまい、どうかエルフの皆さんに匿ってもらうことはできないでしょうか?」
「そっちは?」
ステラの回答には即答せず、エルフは続けてシオンを見た。エルフたちはシオンの方を強く警戒しているようで、矢先のほとんどが彼に向けられている。
「正直、自分でもよくわかっていない。強いて言うなら遭難者だ」
「ふざけたことは言うな。貴様、教会の関係者か? その身なりは何だ?」
エルフがシオンの服装について指摘してきた。白いローブ――確かに、一見すると教会の修道僧にも見える。
「自分の意思で着ているわけじゃない。だが察しの通り、教会の衣装だ」
「なら受け入れることはできない。射られる前にここからさっさと立ち去れ」
「立場としては教会に追われている身だ」
「信用できない。そもそも、貴様ら“バニラ”とまともに取り合うつもりは毛頭ない」
シオンとエルフの会話を聞いて、ステラが不思議そうな顔になった。彼女はシオンに近づき、耳打ちする。
「余計な詮索するつもりはないんですけど、シオンさんって教会に追われてるんですか? それに、エルフが言っている“バニラ”って何ですか?」
「“バニラ”は亜人たちが俺たち人間を識別するために使う蔑称だ。亜人のように、産まれながらに何か秀でた能力がないことをそう揶揄している」
後者の質問についてはそう端的に答えたあと、シオンは改めてエルフたちに向き直った。
「エルフが教会と人間を嫌っていることは十分に理解している。だから、アンタたちの領域に入っている間は手足を縛って動きを拘束しても構わない。それでも受け入れられないか?」
「エルフってなんで教会嫌いなんですか?」
「少し黙っててくれ」
無邪気に質問を投げてくるステラを短く制止し、シオンはエルフたちの動向を伺った。
しかし、シオンの提案を受けてもなお、エルフたちは首を縦には振らなかった。
「無理だ。早く立ち去ってくれ」
断固として変わらない回答に、シオンは目を瞑って大きく息を吐いた。諦めるしかない――そんな雰囲気が漂った矢先、ステラが突如としてエルフたちに近づいていった。
エルフたちは一瞬驚きつつ、即座に矢先をステラに向ける。
「あの、エルフの偉い人にだけでもお会いできないでしょうか! どうしてもお伝えしたいことがあるんです!」
急に声を張り上げたステラに対し、エルフたちの警戒心が一層強まる。
シオンが咄嗟にステラの肩を掴み後ろに引かせた。
受け答えをしていたエルフが、弓を降ろしながら首を横に振った。
「私たちの族長はとっくに死んだ。二年前の戦争が終わって間もなくだ。ガリア軍が最初に森に攻め入った時、多くの同胞たちが殺され、連れ去られた。その時にだ」
「あ……」
前置きなく凄惨な事実を聞かされ、ステラが眉先を下げて声を漏らした。
「新しい族長も決まっていない。今は私がなし崩し的に代役を務めている状態だ。もういいだろう。とにかく、我々は貴様たちをこれ以上森の奥に入れることはさせない。人間とは関わりたくないんだ」
その言葉が採決であったかのように、一斉にエルフたちが弓を収めた。少なくとも、こちらに敵意がないことはわかってもらえたようである。
シオンはそれを見て踵を返そうとした。
「ステラ、もう無理だ。ここは引くしかない」
「で、でも――」
「時間の無駄だ」
「私にはどうしても――」
ステラが何かを言いかけた時、不意にシオンの顔が顰められた。
それから五秒とせず、エルフたちも同じようにして忙しなく周囲を気にし始める。その特徴的な耳を、それこそ翼のようにぴくぴくと動かし、懸命に辺りの音を拾っていた。
間もなく、森の外へと続く方角から一人のエルフが焦った様子で駆け寄ってきた。両膝に手を置いて激しい呼吸を何度かした後で、その青ざめた顔を上げる。
「が、ガリア軍の兵士たちが近づいてきている! まずい、僕たちの隠れ家がバレたのかもしれない!」
先ほどまで受け答えをしていたエルフが、険しい顔つきでシオンを睨みつけてきた。
「おい、貴様ら! ガリア軍の手先じゃないだろうな!?」
エルフたちが、再度一斉に矢先を二人に向けてくる。その剣幕は、彼らの美貌を鬼の形相へと変えていた。
「答えろ! 貴様らはガリアの人間か!?」
「違う」
「貴様らは敵か!?」
「最初に言ったように、アンタたちに敵意はない」
「それはどう証明する!?」
「ガリア軍のために何かするなら、今ここでこうして大人しくしていない。さっきの押し問答中に、さっさと引き下がって連中と合流している」
シオンの言葉を受けて、エルフたちは互いに顔を見合わせた。数秒の沈黙の間に視線だけの会議を行ったあと、シオンとステラの両腕を手早く拘束しだした。それから二人の目には布が被せられ、視界を完全に塞がれてしまった。
「え、あ、ちょ――」
「これでいい。抵抗するな」
戸惑うステラをシオンが宥めると、エルフたちが二人の背を押した。
「これから貴様らを我々の領域に入れる。許可がない限り何もするな」
エルフに言われるがまま、二人は森の奥へと歩みを進めることになった。
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