辺獄の黒騎士
シベハス
第一部
序章
プロローグ
「裁定を言い渡す!」
薄暗い法廷の法壇にて、判事が声を張った。
傍聴席で多くの白装束の集団――修道士たちが見守る中、シオンは法廷の中心にある証言台に立ち、凍てついた空気に身を震わせていた。数ヶ月に及ぶ勾留でその顔は疲弊しきっており、生気はほぼ感じられない。上半身には何も着衣を着けておらず、拷問による痣や擦り傷が痛々しく刻まれていた。
しかし、それよりも目を引くのは、背中いっぱいに描かれた印章だった。
騎士の剣を模した巨大な印章――通称“騎士の聖痕”が、十九歳の青年の背中に、絵画の如く刻印されているのだ。
「騎士シオン! 我ら騎士団の戒律に基づき、彼の者に下される裁定は――有罪!」
有罪を宣告されたシオンは、眉一つ動かさずに、その赤い双眸を黒髪の隙間から覗かせ、判事を睨みつけた。
「“円卓”の議席ⅩⅢ番に座す騎士でありながら、教皇に反旗を翻し、騎士団の分裂に加担したことは大罪に値する。また、怒れる感情のままに戦場で多くの人命を奪ったことは、騎士の信条に背き、更生を望めない非人道的な行いである。ゆえに、その身に破門を意味する“悪魔の烙印”を刻んだのち、彼の者を死刑に処す!」
判事が主文を読み上げると、三人の衛兵が証言台に向かって歩みだした。
そのうちの一人の手には、魔術を行使するための印章が彫られた木盤が握られている。その衛兵が証言台の上に木盤を置くと、別の衛兵がシオンの上半身を証言台に抑えつけ、猿轡を噛ませた。
「これより、“悪魔の烙印”を罪人の身に刻む」
その言葉が判事の口から発せられた直後に、木盤から激しい光と稲妻が放たれた。赤黒い稲妻はけたたましい音を上げながら、シオンの身体を侵すようにして焼いていく。
悲鳴を上げることすら叶わない激痛がシオンを襲った。細胞の一つ一つを針で貫かれ、骨と臓物を獣に食い破られているかのような痛みだ。シオンは呼吸もままならず、猿轡を噛み砕かんばかりの強さで顎に力を込めた。
「――!」
間もなくして光と稲妻が止み、法廷に静寂が訪れる。
シオンの背中には、騎士の聖痕に上書きするようにして、黒い烙印が残されていた。もともと描かれていた剣の印章に貫かれる形で、悪魔を模した印章が新たに刻まれている。“悪魔の烙印”――裏切り者であり、背信者であり、重罪を犯した騎士である証だ。
この烙印を刻まれた騎士は“黒騎士”と蔑まれ、その一生を監獄の中で過ごすか、死を以てその罪を償うことを強制される。
シオンは、痛みから解放された瞬間に気を失い、そのまま証言台で倒れた。法廷での彼の最後の記憶は、傍聴席に座している教皇と枢機卿らが、崩れ落ちる自分の姿を見て口元を厭らしく緩ませている姿だった。
※
一般の汽車の運行がなくなった深夜、山奥を走行する騎士団専用の囚人輸送列車が、今まさに鉄橋に差し掛かろうとしていた。輸送列車は蒸気を吐き出しながら甲高い汽笛を上げるが、今宵は生憎の空模様で、激しい雨と風、雷によってそれも虚しく掻き消された。
黒騎士の死刑判決から丸二年が経った今日この日――刑執行のために、黒騎士の身柄は、監獄から処刑場へと移送されている最中だった。
囚人を収監する車両の中央に、黒騎士は白いローブ姿で、棺のような拘束具に黒いベルトで固定されている。目隠しと猿轡が付けられ、手足の動きの一切を封じられている状態だ。
「ここ数年じゃあ一番の嵐かもな」
その両脇を固めるようにして、白い戦闘衣装を纏った二人の衛兵が立っている。退屈したように、衛兵の一人が、片割れに何気なくそう話しかけた。
「酷い雨風だ。汽車の振動よりも響く」
声をかけられた衛兵が、どことなく不安げな面持ちでぼやく。
「何か、急にさっきより振動が強くなっていないか?」
「多分、鉄橋を渡ってるんだろ。さっさと渡りきってほしいね。何だか嫌な予感がする」
「おい、そういうことあまり口にしないでくれ。無駄に不安になる」
二人の衛兵は軽口を叩き合いながら、各々が感じる異様な雰囲気を払拭しようとした。
だが、それらは杞憂とはならず――
「な、なんだ?」
ガタン、と大きな音を立てて、車両が上下左右に大きく揺れた。車両内に吊るされていたランプが激しく揺れたあと、室内の灯りが一斉に消える。
「脱線か!?」
衛兵の言葉を裏付けるかの如く、今度は車両が上下にひっくり返った。
鉄橋を渡っていた輸送列車は、突如として上流から来た濁流と土砂崩れに横っ腹から飲まれてしまう。
先頭車両から最後尾の車両まで、自然の猛威が容赦なく襲い掛かった。
乗り合わせていた人間は誰もが悲鳴を上げることすら叶わず、無情にも嵐の闇の中へと消えていった。
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