2ー26 プルート将軍の末路2
領主モーガンの孫娘シャルティは、千年を生きるエルフ種の中ではとても幼い十三歳の少女だ。
思考も夢見がちで幼く、奴隷椅子を飼う領主の元で育てられた残虐さも備えている。
それでも、将軍の最強たる勇士に憧れていた、素直な少女のはずだった。
「……なにを言っているのかね、シャルティ?」
「私、ずっと楽しみに待っていたのです、将軍様が戦われる勇士を。どんな状況でも、最後は必ず逆転してくれるのだと。最強の将軍様だ、と。でも」
薄暗い迷宮の中、泥と血で汚れきったシャルティが顔をうつむける。
純粋な宝石のような眼ではない。
プルートのよく知る、疑いを混ぜ合わせた非難の目だ。
「私、ずっとずっと見ていました。将軍様が戦うところを楽しみにしてました。でも……兵士さんを身代わりにして、ご自分が戦う時は薬に頼って。王女様から頂いたベヒモスのお力を、自分のもののように扱い振る舞われる。それは本当に、最強の将軍のなされることなのでしょうか?」
「ち、違う。我は最強の将軍なのだ! 今から本気を」
「では、今すぐ本気を出してください! 私のお爺様の敵を取って、あの聖女の首を討ち取って!」
「気持ちは分かる! だが今はその時ではない! 将軍たるもの、正しく機会を狙うのも作戦の内なのだ!」
まだ可愛い幼子には理解できぬだろう、と将軍は慌てて言い訳をする。
シャルティは領主モーガンの忘れ形見であり、非戦闘員の幼い子供だ。
なにより、彼女はプルートに恋する乙女のように慕ってくれていた。
狂乱めいたまま「将軍様万歳」と連呼する私兵達より、よほど信頼が置ける相手だったはず。
そのシャルティが、牙を剥く。
「嘘つき」
「っ……」
「この、大嘘つき!」
真っ赤に叫ぶシャルティの悲鳴に、プルートの過去が蘇る。
あいつはーーなんだ。
王女にもーーって呼ばれてるぜ。
何が常勝将軍だ、本当はーー。
数多くの武勲を上げながら、常勝将軍プルートの背中にいつも張り付いた悪辣な言葉。
嘘つき。
嘘つき。
いつだって欺瞞と偽りに満ちた、ニセモノの将軍様。
「将軍様の嘘つき」
「っ、我は、嘘など……」
「ではどうして私達は逃げているのですか!? 本当に最強の将軍様なら、あの悪魔のような聖女を一撃で倒せる筈でしょう!?」
「逃げてなどいない! 戦略的撤退もまた将たる者の勤めで」
「これのどこが戦略的ですか! お爺様を見捨て、ベヒモスを奪われ、仲間を盾にして! あなたの中にあるのは、自分を守りたい気持ちだけです!」
今日は楽しい迷宮ピクニックの予定だった。憧れの将軍様とともに初の迷宮探索を経験し、祖父と食卓を囲みながら、素敵な一日の思い出を語る予定だった。
なのにシャルティは祖父を殺され、街を壊され、血と汗にまみれながら嘘嘘嘘、将軍様は嘘ばかり!
悲鳴が聞こえる。
シャルティと将軍が言い争っている合間にも、地下五十階の怪物達が牙を剥く。
トカゲのような魔物が炎を吹き、兵達の腕を焼いて捕食する。
「あなたなんか、最強なんかじゃない。最弱の将軍です。自分では絶対に戦わない、臆病者の、卑怯者!」
その言葉は常勝将軍たるプルートにとって、絶対的な禁忌であった。
臆病。
卑怯。
正義の刃の権化たるプルートに対し、決して向けられてはならない台詞。
「この我が……臆病、だと……?」
プルートの瞳が赤く血走り熱を帯びる。
嘘つきと連呼する、シャルティの姿がいびつに歪む。
「…………」
その淀んだ眼球で将軍が幼女を観察すれば、新たな事実が浮かび上がった。
シャルティの姿はまだ幼く、耳の発達も遅れている。
エルフ種は耳が尖るほど美しいとされるが、彼女の耳はまだ丸みを帯びていてーーよくよく観察すれば人間に近いようにも伺える。
十歳少しという幼さと、領主の娘になりすました狡猾に騙されてきたが……
嘘を口にし、将軍を惑わす幼女の正体は、もしや。
人類種の成りすましなのではないか?
でなければ、自分が彼女に罵られる理由がない。
この幼女はエルフの皮を被った人間だ。
そして人類種を前にした時、エルフ種が行うべき行動は何か?
答えはひとつだ。
プルートはゆっくりと、彼女に迫る。
迷宮に、新しい死体が加った。
口から泡を吹いたまま転がる幼い死体には、首を締められ藻掻いた痕が痛々しく残っていた。
その死が、私兵達を最後の恐慌状態に陥れた。
「な、な、なにが最強の将軍だ、あんたなんか、ただ頭のおかしなオッサンじゃ」
「黙れええええっ! 我は、我こそは最強の将軍プルートなのだああああっ!」
口堪えした兵士を切り捨てる。
怯えた眼差しを向ける男を切り捨て、将軍万歳と褒め称える男を切り捨て、逃げ惑う者は魔物の餌食になっていく。
「あ、あんたについていけば昇進させてくれるって」
「お前達が役立たずだからだ! なにが、なにが最強のベヒモスだ、リーゼロッテの役立たずが! 全員揃って我を騙しおって!」
くそ、くそ、くそ、と将軍は血濡れの刃を振るう。
裏切り者、裏切り者と連呼しながら。
自分はなにも間違ってなどいない。
嘘など一つもついていないーー
「畜生! 畜生がああああっ!」
刃を振るい、血を撒き散らし、そしてついに、
……彼以外、動く者はいなくなった。
魔物を除いて生きる者がいない、死だけが満ちた空っぽの空間に、ふふ、と将軍の笑いが木霊する。
「っ……くくっ……ふははは! そうだ、最初からこうしていれば良かったのだ! 我は常勝にして最強の将軍。最強たる者、誰にも理解されない事もあろう! ならば必然! そう、我が本気を出せば今からでも……」
狂乱めいた叫びをあげた、そのとき。
「あらあら。随分と追い詰められてるようですねぇ、プルート」
将軍の笑いを遮ったのは、小さな声。
カツカツと階段を降りる、二つの足音。
将軍は笑みを浮かべたまま強ばり、ゆっくりと振り返る。
「お待たせしました、プルート将軍。随分とお連れの死体が多いようですけれど……醜い同士討ちでもされました?」
「随分と小さい死体もあるわね。将軍の末路が知れたもの、ってトコかしら」
「ですねー。まあ大人であろうと子供であろうとエルフは全て始末するので、手間が省けたと言うものです。さて……」
ひゅん、と聖女が血に塗れたバトルメイスを振る。
「では始めましょうか。あなたの地獄を。もう余興は十分でしょう?」
「この瞬間まで生き恥をさらしていたことを後悔させてあげるわ、プルート。一度死んだくらいで、許されると思わないことね」
その隣では魔法使いが憎悪を糧に杖を構え。
もう、プルートには何も残されていなかった。
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